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16.そうだ、デートしよう!



 開業初日、仕事が終わったのは、午後六時過ぎだった。

 終わってみれば、四時間で、三十五匹のワンちゃんとお話ししたことになる。

 中には人見知りの子もいたので、質問に答えてもらえなかった場合もある。それでも、最後の方は同時に六匹と会話することができ、最初の夫婦が支払いを拒否した件を除けば、トラブルもなく何とか「犬医者」をやりおおせた。


「ヒルダ先生、お疲れ様。素晴らしかったですね」


 ヘル=ハウンド男爵様は、心から嬉しそうな顔をしていた。


「ありがとうございます。男爵様がそばにいてくれたおかげで、どうにか犬医者をできました」

「驚きましたよ。ちゃんと、歯の病気を見抜いたときは」

「たまたまです。でも病気だったのは、あのモコちゃんくらいでしたね」


 犬の「診療録」を開いてみた。病気ではないが、肥満の犬が十二匹もいた。可愛がるあまりに、食べさせすぎている。今夜、書庫で肥満について調べて、それについて適切なアドバイスをできるようにしておこう。


「ヒルダ先生、すごかったねー」


 夕食は、普段より遅い午後八時から始まった。受付で奮闘したルナが、食事を運んできて私をねぎらってくれたとき、思わず椅子から立ち上がって彼女を抱き締めた。


「ありがとう。ルナのおかげよ」

「ううん。私は待合室で立ってただけだから」

「嫌な思いはしなかった?」

「全然。おじさまがピシッと言ってくれたあとは、全員ちゃんとお金を払ってくれたしね。楽しかったわ、なんて声をかけてくれる人もいて、私のほうが嬉しくなっちゃった」


 男爵様が、モコちゃんの飼い主と一触即発になりながらも、きちんと料金を支払わせたことは大きかった。


 犬医者は職業であり、私のしたことは立派な仕事である。


 という意識を持ってもらうことは、極めて大事だ。

 でなければ、今後同じことをする人が現れたときに、仕事と思ってもらえず、パーティーの余興と同然に扱われてしまうだろうから。

 それと同時に、正当な対価をいただくことで、仕事をするほうも充実感とプライドを持つことができる。


(女性が、自分の能力を他の人のために使って、お金をいただいた。これはきっと、意味のあることだ。男性に養われるだけではない、こういう生き方を続けていけば、犬令嬢と蔑まれた私のような女でも、きっと自信を持つことができる。そのときこそ、男爵様のプロポーズを、正面から受け入れる気持ちになれるかも……)


 たった一日、四時間働いただけでも、そう前向きになることができた。

 とはいえ、


(まだまだ始まったばかりよ。今日のお客様の大半は、ヘル=ハウンド男爵邸を見物したついでに、犬としゃべる女の余興を楽しんだだけだと思っている。お金は払っても、チップ程度のつもりでいる。人々の認識が変わるのは、おそらく何年も先のことだ)


 と、気を引き締めることも忘れなかった。


 翌朝私は、早く目を覚ました。

 まだ夜が明けたばかりの庭を散歩し、スモークサウナの小屋のほうへ行ってみた。


「おはよう、ケン」

「わっ!」


 せっせと薪を燃やして小屋を温めていたケンが、私の声に驚いて飛び上がった。


「ごめんね、びっくりさせちゃって。昨日はありがとう。掃除をたくさんしてくれて」


 お客さんが来る前に、待合室や診察室やトイレをピカピカに掃除し、また終わったあとも犬の毛などをきれいに掃いてくれたのはケンだった。


「別に……」


 照れ屋のケンはそっぽを向いたが、私は感謝を表すために、薪をくべるのを手伝った。


 朝八時頃、男爵様がサウナにやってきた。


「ヒルダ先生、おはよう」


 もう習慣になっていたので、男爵様と一緒にサウナに入った。じろじろ見ることはなかったが、男爵様の濃い体毛にも今はすっかり慣れてしまった。


「犬病院は、評判になりますよ。何しろ世界中でここだけですからね。ほかの国からも患者がやってくる日も、きっとそう遠くないでしょう」


 開業二日目も、多くの人が来てくれた。

 その中で、ちょっと気になる出来事があった。

 トイプードルと会話をしていたときに、その飼い主の夫婦が連れてきた幼い女の子が、


「わたしも、先生みたいになりたい」


 と言ってくれたのだ。


「ありがとう」


 嬉しくて、女の子に向かってそうお礼を言ったとき、母親の表情に気づいた。

 実に、いやーな顔をしていた。


(そうか。この御婦人は、働く女性を蔑んでいるのだろう。だから、自分の娘が憧れを口にするのを聞いて、とても嫌な気持ちになったのだ)


 貴族令嬢は、学校へ行って良い妻になるための教育を受け、社交場で良い相手を探し、良い結婚というゴールを目指す。このパターンは、おそらく永久に変わることはないだろう。貴族というものが存在するかぎり、ずっと。


 でもそれは、そこまで気にならなかった。

 それ以上に、仕事をすることの楽しさを感じていた。

 充実感、満足感があった。


(金曜まで働いたら、土曜日には、男爵様と一緒に買い物に出掛けてみようかしら?)


 ふと、週末に初デートをすることを思いついて、その日の夜にルナに相談してみると、


「絶対やって! やんなかったら、受付をやめるからね」


 と脅された。

 ルナが受付をボイコットしたら、H&H犬病院はたちまち立ち行かなくなる。それは一大事なので、男爵様にデートを申し出た。


「本当ですか!?」


 男爵様は、花束を持って現れた初対面の日に、私が捨て犬になって拾われると宣言したときと同じように、喜びを全身で表して床を飛び跳ねた。


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