15.プライド
ポメラニアンは、王室で飼われていることでも有名だ。
そうすると、必然的に貴族のあいだで人気が出る。
おそらく、今のシェナ王国でもっとも多く飼われている犬種だろう。
「はじめまして。私はヒルダ。あなたは?」
(……モコ)
「あら、そう。毛がモコモコしているからモコちゃんなのね。とってもいい名前ね」
ポメラニアンのモコちゃんに向かってそう言うと、抱いていた御婦人が目を丸くした。
「どうしてこの子の名前を? 調べたの?」
私は微笑んだ。
「彼女が教えてくれました。素直ないい子ですね」
隣の御主人が、身を乗り出して言った。
「では、モコが好きな食べ物を当ててもらおう。これは、私たちしか知らないはずだ」
「モコちゃん、あなたの好きな食べ物はなあに?」
(……メロン、メロン)
「メロンですね?」
夫婦が顔を見合わせた。
「合ってるわね。この子がそう言ったの?」
「ええ。頭のいい子ですね」
「へえー、こいつは驚いたな。それじゃあモコに、私たちのことをどう思っているか訊いてくれないか?」
「モコちゃん、御主人様のこと、どう思ってる?」
(……大好き)
「大好きだそうです」
立派な顎ひげを生やした御主人の顔が、デレっとなった。
「わたくしは?」
「奥様のことはどう?」
(……好き)
「好き、と言っています」
「まあ。主人は大好きで、わたくしは好きなのね。差があるのだわ」
「仕方ないだろう。犬は順位をつけるんだ。私が主だと、ちゃんとわかってるんだ」
御主人が愛犬の頭を嬉しそうに撫でた。
「ではこれで、よろしいですか?」
まだ家族が十九組残っているので、時間を気にしてそう言うと、
「この子の健康に、何か問題はないか?」
御主人に訊かれた。犬の医者を名乗る以上、この質問には答えなければならない。
「どう、モコちゃん。具合の悪いところはある?」
(……別に)
「食欲がないとか、どこか痛いとか、ない?」
(……食欲はあるけど)
「あるけど?」
(……この頃、ちょっと食べにくい)
食べにくい? ひょっとすると、歯や舌に何か問題があるのかもしれない。
「口を開けてみて」
モコちゃんが、あーんと口を開けてくれた。とっても素直で可愛い。
「そのままじっとしててね」
モコちゃんの口の中を見る。歯そのものには特に異常なかったが、歯に汚れがあり、歯茎が腫れていた。
「すみません。この子の歯磨きはしていますか?」
この質問には、御婦人が答えた。
「昔はしていましたけど、嫌がるようになったので、やめてしまいました」
「どうして嫌がるようになったのでしょう?」
「世話係りのメイドが変わったら、不器用な娘で、痛くしてしまったのです」
なるほど。歯磨きイコール痛いという記憶が、脳にこびりついてしまったようだ。
「歯磨きをやめたせいで、歯茎が腫れています。この子自身も、食べにくいと言っています」
「まあ、モコが?」
「はい。ですから、歯磨きを再開して下さい。でも嫌な記憶が残っているので、最初は優しく歯を触ったり、歯ブラシを見せたりして慣れさせてから、次に磨くステップに進んで下さい。嫌がったらすぐにやめて下さい。もし一本でも磨けたら、ご褒美をあげて下さい。焦らず、少しずつステップを進めることが大事です」
小型犬については、前にチワワを飼っていたことがあるので、経験からアドバイスができた。
モコちゃんについてはそれで終わり、次は時間を考慮して、二組の家族を同時に呼んでもらった。
二組の夫婦が、互いの愛犬を紹介し合っているときだった。
「おじさま、ちょっと」
客間、すなわち診察室の扉を開けて、ルナが男爵様を手招きした。
ルナが小声で何かを言うと、男爵様が私を振り返った。
「ヒルダ先生。来て下さい」
ドキッとした。男爵様の口から、お嬢様とかあなた以外の呼び方をされたのは、初めてである。
私は二組の夫婦に頭を下げて、扉のほうへ行った。
「問題が起きました。先ほどの夫婦が、受付での支払いを拒否したそうです」
それを聞いた瞬間、キリッと胃が痛んだ。
(やっぱり……わけのわからない小娘が、ペットと話したからといって、それにどうして金を払う必要があるのか理解できないのだろう。そもそも犬医者なんてものは存在しないのだから、これが仕事だとは到底納得がいかないのかもしれない)
「ヒルダ先生も来て下さい。僕が説得します」
気まずい思いをしたくなかった。もし払うのが嫌だったら、そういう人からはお金をいただかなくてもいいーーというのが正直な気持ちだったが、男爵様が険しい顔をしていたので、何も言えなかった。
「すみません」
大ホールに入るなり、男爵様は鋭い口調で言った。
「ここはH&H犬病院です。ヒルダ先生は医者です。医者が患者を診た以上、こちらが決めた料金を払ってもらわねばなりません」
すると先ほどの御主人が、ひょいと肩をすくめた。
「これは閣下。興醒めなことを申される。うちのモコの心を読んでみせたのは、パーティーの余興のようなものでしょう? あれを医者の療法と一緒にするのは、いささか強弁がすぎます」
「余興などではありません。彼女にしかできない専門の仕事をしたのです。そこをはっきりさせるためにも、支払ってもらいます」
「いや、我々のあいだでそれは不粋でしょう。ではこうしましょう。今度、我が家でのパーティーにお二人を招待します。無論、そこではどのような余興が行なわれても、お代を頂戴などと恥知らずなことは申しませんのでご心配なく」
「医者のアドバイスは、薬と同じです。薬をもらいながら金を払おうとしない人間を、世間では盗っ人と呼びます」
「閣下。決闘なさるおつもりですか?」
「どうぞ、正当な対価を払ってお帰り下さい」
すると突然御主人が、懐から紙幣をつかみ出して床に叩きつけた。
「人をバカにするのもいいかげんにしろ! 金が欲しけりゃこれを拾え!」
「閣下。医者の良心をご存じですか? それは患者の身分に差をつけないことです。診るのがたとえ国王でも、貧乏な平民でも、どちらも平等に一人の病人として扱います。したがって、請求する金額も同じです。これでは多すぎるので、お釣りをお返しします」
しかし激怒した御主人は、お釣りを受け取ることなく憤然と「待合室」から出て行った。
「余分な金はルナとケンへのチップとしましょう。ではヒルダ先生、続きを」
男爵様のあとから診察室へ戻りながら、自分のしていることは「仕事」だというプライドを、常に失うまいと決心した。




