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14/20

14.最初の方、どうぞ!



 一睡もできないまま、「開業」当日の朝を迎えた。


「さあ、捨て犬お嬢様! 朝風呂よ!」


 やけに気合いの入ったルナに連れられて、スモークサウナに入ったら、ほんの数分で具合が悪くなってしまった。


「私ダメ……吐きそう」

「何言ってるの。あんなにやる気だったでしょ?」

「みんな私のことを、バカにするに決まってる。女なんかに、自分の大事なペットを診られたくないに決まってる」

「しっかりしてよ。狼と会話して私をびっくりさせたみたいに、貴族連中の度肝を抜いてやって。神業としか思えないようなことを目の前で見せられたら、そいつらだって黙るよ、絶対」


 サウナを出ると、朝食は抜きにして横になった。ルナが力づけてくれたおかげで、三時間ほど眠ることができた。


 正午に食堂へ行くと、ルナがちょっとちょっとと手招きした。


「外を見て。気の早い客が、もう来てる」

「えっ?」


 食堂の窓からは、門のほうが見える。ケンが門を開けて、馬車を庭に入れている。その数は、ざっと十輛……

 急いで窓のカーテンを閉めた。


「どういうこと? 時間は午後二時からだって、ちゃんと手紙に書いたのに」

「早く来て、お屋敷を見物したかったんじゃない? お友達同士、示し合わせて来たのかもね」


 少しは何かを食べようと思ったのに、胃が縮まって、結局また吐きそうになった。


「お嬢様」


 男爵様が、晴れ晴れとした顔で食堂に入ってきた。


「客人の相手なら、僕がするから気にしないで。どうせ彼らは、お互いのペットや宝石類を自慢したくて集まったのですから。興味があるのは、もっぱら僕の出自や、この館の由来でしょう。あなたはリラックスして、犬との会話に専念して下さい」


 男爵様は庭へ出て行った。カーテンを細く開けて見ると、黒のタキシードを着た男爵様の周りに、まるで夜会に出かけるように着飾った紳士淑女が集まっている。


(なるほど。確かにペットのために来たようには見えない。ひたすら見せびらかすことと、好奇心を満足させるために来たのだろう。つくづく私の苦手な人種だ……)


 あと三十分で二時。落ち着かないので客間に行く。そこが、診察室だ。


「私もそろそろ大ホール、じゃなかった、待合室で受付の用意をするね。あと、お嬢様、じゃなかった、ヒルダ先生。よく似合ーう!」


 純白のガウンを羽織った私を見て、ルナがパチパチと手を叩いた。ちなみにルナの格好は、いつもの黒いメイド服だ。


「ルナも、受付用の服があれば良かったね」

「私はこれでいいの。犬病院の受付はメイド服を着るっていう伝統が、ここから始まるといいなー」


 ルナは笑ったが、私は不安だった。お客は貴族だから、メイド服を来た人間は当然使用人とみなすだろう。しかし受付は、料金を請求したり、順番を待つように指示したりする役目があるのだ。


「うかつだったわ。受付は大事なのに、服装を考えなかった。どうしよう。今からじゃ間に合わない……」

「大丈夫だって。ここへ来るのは患者なんだから。ゲスト気分で威張ったら、おじさまに言いつけてやる」


 ここはもう、ルナと男爵様に任せることにした。とりあえず、心配は自分のことだけにしよう。


 客間の外が賑やかになってきた。大ホールが開放されて、客たちが入ってきたのだ!

 しばらくして、ルナが客間のドアを開けて言った。


「すごいよ。もう二十組の家族が来てる。ダンスパーティでも始まりそう」

「二十組ですって!?」


 私は悲鳴を上げた。


「無理だわ。私は一匹のワンちゃんと、最低でも十分間は話すつもりだったのに。もうこれで二百分、約三時間半でしょ? 五時に来た犬と話し終わるのは、八時とか九時になっちゃう!」

「慌てないで。会話するだけなら、集団でもできるでしょ? そこらへんはうまくやって」

「集団でなんか、話したことない」

「だから、そこを上手にやるのよ。プロなんだから」

「プロじゃない! 素人っ!」


 が、泣いても喚いても、時計の針は正確に午後二時を指した。


「時間ですよ、ヒルダ先生」

「……ごめん。最初は、一匹ずつ呼んで」

「そんな死にそうな顔しない! 客たちは、この壁の絵がどうのとか、飾りの武具がどうのとかいう話しかしてないから。気持ちを楽に。じゃあ最初の家族を呼ぶよ」


 ルナが廊下を走る音がした。

 入れ替わりに、男爵様が姿を見せた。


「どうですか、気分は?」

「はい。ありがとうございます。死にそうです」


 ハハハと豪快に笑う男爵様。優しい方だとずっと尊敬していたのに……このとき初めて、その若々しい笑顔を憎らしく思った。


「客は僕が招き入れます。僕もこの診察室にいるから安心して下さい。最初のお客さんはポメラニアンです。五歳のおとなしいお嬢様ですよ」


 男爵様がいったん廊下へ出て、四十代くらいの夫婦を連れて戻ってきた。

 その夫婦は、私を見るなり「おやっ?」という顔をした。

 きっと犬医者が、あまりにも見事な犬顔なのに驚いたのだろう。フン、勝手にしろだ。

 それよりも、きらびやかな宝石類の目立つ御婦人が抱いている、白い毛のポメラニアンだ。


 その子と目が合った。

 じっと見つめ合う。

 着飾った夫婦の姿も、「診察室」の隅で微笑んで立っている男爵様の姿も、視界から消えた。

 その子の心だけに、集中した。


「こんにちは」


 呼びかけてみた。

 ポメラニアンは、鼻をグスッと鳴らすと、


(……こんにちは)


 と答えてくれた。

 その瞬間、それまでの緊張が消えて、すーっと気持ちが楽になった。


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