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11/20

11.狼さん、こんにちは



(は? この狼が、鼻面でノックした?)


 私は硬直した。

 至近距離で、体重が四十キロはありそうな狼がこっちを見上げている。


(ヤバ……こういうときって、どっちが正解? 目を逸らす? それとも見つめ合う?)


 助けを求めて大声を上げたらやられると思った。文字にしたら「殺られる」。もちろん走って逃げられるわけもない。

 一か八か、じっと見つめ合った。

 すると奇跡が起こった。


(……フロ……フロ)


 何と、狼の心の声が聞こえたのだ!


(え、待って。どういうこと? 男爵様のペットのチョコとは会話できたけど,いつの間にか、野生の狼とも会話できるようになったの?)


 試しに、声に出して言ってみた。


「あなた、もしかして、お風呂に入りに来たの?」


(……フロ……フロ)


「そっか。前にも来たことがあるのね。蒸気のお風呂、気持ちいい?」


(……オフロ、キモチ、いい)


 やった! 会話が成立した!


「男爵様が入れてくれたの? あ、男爵様ってわかる?」


(……ヘル=ハウンド、さま)


 すごい。狼でも、人間の名前を憶えられるのだ。これはひょっとすると世紀の大発見かもしれない。


「男爵様が、お風呂に入れてくれて、気持ち良かったから、また来た。これで合ってる?」


(……あってる)


「男爵様は、野生動物にも優しいのね?」


(……ヘル=ハウンドさま、偉大)


 心底感心した。野生の狼に畏怖されるとは、男爵様は何というすごいお方なのか。


「おいで。この石の前に来て」


(……どうも)


 ケンがやったのを真似して、柄杓で石に水をかけてみた。

 しかし、小屋の温度が下がったせいか、蒸気があまり出ない。これでは狼さんも、気持ち良くないだろう。


「困ったわ。私は貴族令嬢だから、薪なんかくべられないし」


(……キゾク、レイジョ?)


「貴族令嬢。何にも役に立たない女のことよ」


 せっかく楽しみに来ただろうにと思うと、狼がかわいそうになった。そこで、


「せめて、マッサージしてあげる」


 と言って、背中をさすってやった。

 狼が気持ち良さそうに目を閉じた。

 そのとき、


「ちょっと、いつまで入ってるの?」


 ルナが扉を開けた。

 その瞬間、


「ギャー!!」


 私と狼を見て逃げてしまった。


「大丈夫よ、ルナ、戻ってきて」


 それが聞こえたのか、ルナが戻ってきて、扉から半分だけ顔を出した。


「それ、群れのリーダーよ。この森に棲んでるの」

「あ、この子を知ってるの?」

「スモークサウナに味を占めてしょっちゅう来るの。ほら、おじさまって、狼に強いじゃない?」

「狼に強い? あっ、そうか、狩りが得意だからね」


 動物は、自分より強いものを畏怖する。イノシシを銃で狩る男爵様を見て、「ヘル=ハウンド男爵様は強い、偉大だ」と尊敬するようになり、まるで男爵様のペットのようになったのだろう。


「だけど私、狼はダメ。虎とかヒョウなら、猫の仲間だからいいんだけど」

「この森には虎やヒョウもいるの?」

「残念だけど、山猫くらいしか」


 私はルナに頼んで、薪をくべてもらった。一回小屋から出て、煙を外に出し、再び小屋へ。


(……フロ、あったかい、キモチいい)


「良かったね」


 あんまり可愛いので、つい狼に頬ずりしていると、


「ねえ、捨て犬お嬢様。さっきから普通に話しかけてるけど、狼と会話でもできるの?」

「うん。やってみたら、できちゃった」


 絶句するルナ。半信半疑の表情を浮かべている。ならばと、証拠を見せることにした。


「私の言うとおりにしてみてね。大きく口を開けて」


 狼が口を開けた。


「閉じて」


 口を閉じた。


「三べん回って」


 その場でぐるぐる回る。


「ワン」


「アウォーン!!」


 ね? という顔でルナを見た。


「すごいでしょ? ぐうの音も出ない?」

「すごいっていうか……」


 突然ルナが、バシッと背中を叩いてきた。


「痛い! 何するの!」

「すごいじゃない!」

「だから、すごいでしょって言ったじゃん」

「すごいどころじゃないよ。狼としゃべる令嬢。人類史上初じゃない?」

「そんなことないわよ。男爵様は、普通にペットの犬としゃべってたよ」

「おじさまは特別。とにかく、特殊能力なのは間違いないよ」


 男爵様は、才能と呼んでいた。犬が本当に好きで、心が極めて純粋できれいなら、犬と話ができると。

 ということは、私は狼が好きだったのか? その自覚はなかったが、私は自分の容姿ゆえに、子供の頃から犬には特別なシンパシーを抱いていたので、犬の仲間である狼とも心が通じ合うのかもしれない。


「特殊能力ね。そんなものが自分にあるなんて、夢にも思わなかった」

「今日まで全然気がつかなかったの?」

「昨日、チョコと話せたんだけど、私の秘めた才能が、この屋敷に来て一気に開花したんだろうって、男爵様は言ってた」

「なるほどねー。新月館は、別名黒犬館だもんね。犬との距離がグンと縮まったのはわかる」


 わかるような、わからないような理屈だったが、会話できるようになったのは事実だ。


「ねえ、お嬢様」


 ルナの口調は弾んでいた。


「私は何の役にも立たない捨て犬令嬢だなんて、ウジウジしてばっかりいたけど、この特殊能力を活かしたらとんでもないことになるんじゃない?」

「とんでもないことって?」

「仕事にするのよ」


 ルナの目が、エメラルド色に輝いた。


「犬と会話できるって宣伝するの。貴族連中は珍し物好きだから、きっと見に来るわ。それで報酬を得れば、おじさまに申し訳ない気持ちも減るでしょ? せっかくの能力なんだから、堂々と使って!」


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