1.突然のプロポーズ
「聞け、ヒルダ! 若き大富豪として有名なあのヘル=ハウンド男爵が、お前と結婚したいそうだ!」
私の部屋をノックもせずに開け、唾を飛ばして興奮も露わに報告する父。でも私は、ヘル=ハウンド男爵など知らない。
「とりあえずホールにお通しした。さあ、ドレスに着替えて」
「いいえ。このままで結構です」
私は部屋着をつまんだーー飾り気のないワンピース。そのままの格好で階段を降りる。別にパーティーに行くわけじゃない。自分の屋敷で突然の来客に対応するのだから、ドレスアップしなくてもいいはずだ。
初対面の男爵様は、黒いタキシード姿で、顔が隠れそうなほど大きな薔薇の花束を抱えていた。
「ヒルダお嬢様。あなたを愛しています。結婚して下さい」
作法も何もない、いきなりすぎる求婚。
花束を恭しくこちらに差し出して、輝くような笑みを浮かべるーー白い歯が本当に輝いて見えた。
美形。
百人の女性が見て、百人がそう思うだろう。
涼しげな目。高い鼻。優しそうな口元。
まるで、劇画から抜け出てきたような完璧な顔立ちだ。
スタイルも抜群。痩せ型で背が高いから、背が低くて寸胴の私とは真逆。
「ヒルダお嬢様。ずっと憧れていました。すべての財産を、あなたに捧げたい」
あり得ない。どうしてこの人は、こんな見え透いた嘘をつくのだろう?
私はヒルダ・ゴズリング。子爵家の長女。十八歳。
自慢じゃないが、誰からも愛されたことはない。
理由は単純。私の容姿が、犬に似すぎているからだ。
犬令嬢。
口の悪い貴族の子たちは、そう呼んだ。
それだけじゃない。家族も陰で、「みっともない顔」と言っていた。
私は額が広くて、鼻すじが高い。
眉は太く、目は垂れていて、黒目がち。
口角に丸みがあって、顔のパーツがやや中央に集まり、面長。
まさに犬。自分で鏡を見ても、そう思う。
犬顔、ならまだいい。犬顔を好きな男性は、世の中に割といるから。
私はそれを超えて犬すぎた。なので恋はとっくに諦めている。
「初めまして、男爵様」
いっさい心をこめずに、カーテシーをした。これとても、他人の目からはまるでプードルがお辞儀をしたように滑稽に見えることを、私は自覚していた。
「僕と、えー、婚約、して下さるでしょうか?」
美形の男爵様が、頬を赤く染めて、おずおずと言った。
それに即座に「否」の返事をしようとすると、
「待って下さい。それは両家の親同士で決めます。失礼ですが閣下はーー」
「僕の両親は他界しています。お父様と僕とで決められますか?」
私の父のことを、もうお父様と呼んでいる。
「もちろん、私に異存はない。娘をもらってやって下さい」
キッと父をにらんだ。
「お父様。私の気持ちは、聞いて下さらないのですか?」
「娘よ、正直に言おう。これ以上の縁談が、この先一生あるとは思えん」
つまり、誰にも愛されない犬令嬢のヒルダ・ゴズリングは、プロポーズをする男性が現れただけでも喜んで、尻尾を振って嫁に行けというのだ。
「無理です。男爵様とは今会ったばかりです。それをもう婚約ーー」
「贅沢を言うな。一度も会わずに結婚が決まることなど、いくらでもあるだろう?」
それは政略結婚ですね、お父様ーー口に出さずにそう言う。ということは、この降って湧いたような大富豪との結婚話は、お父様にとって実においしい「政略結婚」になったのですね。あー、そうですか。
「ヒルダよ、お前はひねくれているぞ。ヘル=ハウンド閣下に、何か不満があるとでもいうのか?」
それを父に言っても無駄だ。きっと誰にも、私の気持ちはわかってもらえない。
物心ついたときから、ずっと容姿を蔑まれ、親からも哀れまれて育った十八歳の令嬢は、そう簡単に愛の言葉を信じない。確実な証拠を見るまでは。
「わかりました、お父様。嫁に行けと言うのなら、お望みどおり家を出ます。というか、愛のないこんな家からは出たくて仕方ありません。どうぞ犬のように捨てて下さい」
「おお、ヒルダお嬢様。僕と結婚して下さるのですね?」
若き美形の大富豪が、いかにも感動したように声を震わせた。
(そんな愛の言葉、信じない!)
私は首を振った。
「違います。私は捨て犬です。拾って下さるならどうぞ拾って下さい。でもそう簡単に妻になるとは思わないで下さい。捨て犬にもブライドがあります。男爵様と私とのあいだに本物の愛が育つまで、結婚はしません。だって結婚って、本来そういうものでしょう?」
父は「このひねくれ娘め、勝手に出て行け」と毒づいたが、意外にも男爵様は嬉しそうに花束を振り上げ、
「ああ、それこそ僕の望むところです! どうぞ二人で愛を育てましょう!」
と、まるで少年のように、大ホールのフロアを飛び跳ねるのだった。




