セイブシシバナヘビ
「はぁ~い! セイちゃぁん、ご飯でちゅよ~」
猫なで声(なでるのは蛇だけど)で解凍を終えたピンクマウスを、セイブシシバナヘビが入っているケースの中へ箸でつまみながら入れる。
その匂いに誘われたのか、ペットショップで千円もした薄茶色のシェルターの中から、鼻が反り返ったクリクリとしたお目目の蛇が顔を出した。
あらかわいい!
この子がセイブシシバナヘビという蛇だ。特徴的なのは、やはりこの可愛らしい豚鼻! かわいい以外の単語が浮かばない。
この鼻はかわいいだけじゃなく、土を掘削して巣穴を作るときなどに使用する。チャームポイントがこの子最大の利器。いやぁ、奥が深いねぇ~。
本来この子は乾燥地帯や半砂漠地帯に生息していて、擬態をするために黒みがかかった茶色の体色をしている。他にもアルビノやグリーンなど、色んな体色のセイブシシバナヘビがいる。
結構蛇に嫌悪感を抱いている人が多いけど、セイブシシバナヘビだけは一目惚れして大丈夫とかよく聞くよな。かくゆう俺も、この子に一目惚れして購入に至った。
美琴は「買うなっ! やめろっ! もげろっ!!」なんて言っていたが、その程度で一度決めた道を曲げるなど言語道断。降りやまない罵詈雑言の嵐にうたれつつも、俺はレジへと向かったのだ。
美琴はこの子をかなり忌み嫌っているようだが、いつかは慣れるだろう。だって、こぉんなにも愛らしい姿をしているのだから!
そうこうしているうちに、セイブシシバナヘビはピンクマウスへかぶりつこうとジーっと見ていた。俺が箸をセイブシシバナヘビに近づけようとしたそのとき、
「あんま周り見ちゃだめだよ?」
「うん! 分かってる!」
ギィィとドアが開き、モニター越しで眺めていた銀華ちゃんとご対面。俺の姿を見た二人は、蛇に睨まれた蛙のように直立不動した。
そして俺は、油の切れたロボットのようにぎこちない動きで首を二人の方へ曲げる。
やっべええええええ!? バレたぁぁぁぁぁ!!
なんとか誤魔化そうとピンクマウスを背後に隠そうとするが、慌てていたからか上手くピンクマウスを掴めずに、床に落下してしまった。
純白の毛をまとうはずだったハツカネズミの赤ちゃん。が、小学四年生は当然そんなこと知らない。
得体の知れない生物が自分の目の前に現れた。この表現が言い得て妙だろう。
「…………」
「お……兄ちゃん……」
プルプルと小刻みに震えだした銀華ちゃんに、憤怒のオーラを抑えきれていない美琴。
真反対の感情が互いに双璧をなし、この部屋は一瞬で脱出不可能の監獄のような坩堝と化した。
「いや、違うんだ……。たまたま部屋から出たわけで……」
苦しい言い訳なんかで、この堅牢からは抜け出せそうにない。
「……そ……」
さしうつむいていた銀華ちゃんは、蚊の羽音のように細々とした声で呟く。
そ? そ!? 「そんなことをするお兄ちゃんがいたなんて、美琴ちゃん嫌い!」か!? それとも「それってセイブシシバナヘビですよね!? 私も好きなんですよ!」か!?
……いや、前者はともかく後者はありえんな。って、こんな状況下で茶化している暇なんてない!
俺は恐る恐る震えている銀華ちゃんに近づき、目の前で足を折り畳めてしゃがむ。少しでも銀華ちゃんを宥めるために、華奢な肩を優しく掴もうとする。
ガシッ!!
肩を力強く掴む音。勿論俺ではない。掴んできたのは、銀華ちゃんだった。
ドキリと心臓が元気よく飛び跳ねたのを実感した。
「え、とー……銀華ちゃん?」
半ば混乱状態の俺は、小学四年生とは思えない力で肩を掴む少女に話しかける。
ひぇぇぇぇ!! い、一体どうなるのぉぉぉぉ!?
「そ……それって、セイブシシバナヘビですよね!? 私も好きなんですよ!」
まさかの後者!? ほぼほぼ冗談で言ったつもりの選択肢だったのに!?
しかも俺の想像通りの台詞で言ってきたよ。何この子エスパー? 毒持ってるセイブシシバナヘビに効果バツグンじゃんか。
「……え? え!? 銀華ちゃん!?」
フェードアウトしていた美琴の意識が再起動。当然今の状況に混乱中。安心しろ、俺もだ。
すると銀華ちゃんは俺の肩を掴んだまま、口を開いた。
「セイブシシバナヘビってペットとして非常に人気を得ている蛇ですよね!! 私が好きなポイントは三つあって、一つ目はやっぱりこの動き! のっそのっそと動くのが本当たまらなくて……それだけで三時間は過ごせます! 二つ目は舌ですね! ちょろちょろとした可愛らしい舌を出してはしまって、出してはしまっての繰り返し……たまらなぁぁぁい! 最後はこの見た目! 蛇とは似ても似つかないこのボディ! この子なら丸呑みされても許せちゃいますよね!! ね!?」
おぅぅ……。なんたる愛情。白く雪のような容姿とは似合わぬ熱気だ。
俺は何とか耐えれているが、美琴の意識は雪解け水によって遥か後方へ流されてしまっていた。助け舟は出せそうにない。
「ね? ね!?」
ち、近い! 近いよ銀華ちゃん!
俺が同情するまでやめない気だよこの子!?
銀華ちゃんは俺の膝の上に乗っかり、顔を近づけてくる。全体重をのせているようだが、全く重さを感じない。本当に雪のようだ。
それより! いくら小学生でも、こんなに密着されたら童貞の心はパンクしてしまいそうになる。
も、もう唇が直ぐ側にっ!?
甘く蕩けてしまいそうな吐息が俺の肌に触れる。あ、もうダメだ。理性壊れちまうわ。
後は自分の本能に任せます! それではアディオス!
俺はまぶたをそっと閉じて臨界態勢をとっていたが、
『何私の友達とキスしようとしてんのよっ!!』
「ギャァァァァ!」
はい分かっていました。こんな簡単にキスできたら誰も苦労しませんもんね。
それにしてもパコーンって快い音が鳴ったね。逆に清々しいよ。
美琴が近くに置いてあったクッションで、俺の後頭部を打ち据える。針金の入っていた部分だったので、かなりの衝撃が伝わってきた。
ピンクマウス……僕はもう色々と疲れたよ……。
俺はそのまま、ピンクマウスと川の字で夢路を辿ったのだった。