プロローグ 百貫デブとお嬢様。
新作、始めました。
トントントン、とリズミカルに刻まれるメロディに、僕はゆっくりと目を覚ます。朝の光がカーテンの隙間から差し込むその部屋の中央からちょっとだけ右側に敷かれた布団で窮屈ながらも体を起こす。しぱしぱした目で見つめた視線の先に畳まれた布団には、寝ていた人の几帳面さが分かるかのように皺の一つもない。
「……起きるか~」
うーんと背伸びをして、僕は布団から体を起こす。ポキポキと首を鳴らしながら、ふわっと欠伸を一つ。ガラガラと寝室とダイニングを繋ぐ扉を開ける。
「――あ、おはようございます、隆明さん! もうすぐ朝食が出来ますので! 顔を洗って来て下さい!」
僕たちの通う折が丘高校の制服にエプロンを付けた美少女が一人、そこには立っていた。腰まで届く黒髪をポニーテールに結っているのは食事作り仕様。こちらを見つめる瞳はくっきり二重で、鼻は高く、小さな唇はなんとも瑞々しい……まあ、控えめに言っても百人に一人レベルの美少女、控えなかったら神が作った芸術品じゃ無いかって美少女がそこには立っていた。
「……おはよう、城ケ崎さん。いつもありがとう」
「いえいえ! こちらが間借りをさせて貰っているのです。朝食くらいは!」
「……ねえ」
「あ、ですが! もし、申し訳ないと思っておられるのなら……そ、そうですね!! そろそろ隆明さん、私のこの想いを受け取ってくださって、私と、その、だ、男女のお付き合いなどをしてみては如何でしょうか!?」
「……」
「こ、こう見えて私、容姿はそこそこ整っております! 勉強だって、運動だって得意な方ですし! りょ、料理も……そ、その、隆明さんの好みの味付けを勉強してます! ええ、ええ! 控えめに言って、優良物件では無いでしょうか!!」
「……」
「で、ですから……そ、そうです! お試し! お試し期間という事で! ちょっと、私の事を『茉莉』と、そう呼んでみませんか?」
「……だからさ?」
「ちょ、ちょっとだけ! 一回だけ! 一回だけで良いから!」
鼻息荒くこちらに詰め寄る城ケ崎さ――って、城ケ崎さん!? 危ない! 包丁持ったままにじり寄って来るのは危ないから!!
「危ないって!」
「よ、呼んで……一回だけで良いから……名前で……」
「こわっ! もうホラーの域だよ!? ほら、城ケ崎さん!? 落ち着いて! 深呼吸!!」
「……ふうふう……ヒッヒフー」
「最後、なんかおかしくない!?」
「……予行演習です。何時かこの身に、隆明さんと私の愛の結晶を宿した時の為の!!」
「……そんな日は来ないから」
……たぶん。
「……ぶう。隆明さんはいつもイケずです。でも……私は負けません! ガードの固い隆明さんですが……いつか、私が『落として』見せます! 覚悟して下さい!!」
そう言って包丁を握り込んだまま『ぐぐぐっ』と拳を握る城ケ崎さんに僕は小さくため息を吐く。
「……その……そろそろ家、帰ってくれないかな?」
――身長百七十センチ、体重九十キロ。学校でのあだ名は『百貫デブ』の僕、大町隆明と、才色兼備のスーパーお嬢様、城ケ崎茉莉さんは同棲――いや、これは同居だ。同居している。
「なんで! なんでそんなに私を家に追い返そうとするんですか!!」
「いや、付き合ってもない――っていうか、仮に付き合ってても、そもそも高校生が二人暮らしっておかしいでしょ、どう考えても!」
「常識なんて囚われないで下さいよ! 私と一緒に、常識の壁を打ち破りましょう、隆明さん!!」
「いや、常識には従おうよ。別に僕、壁を打ち破りたくないし」
え? なんで同居しているかって? それには海よりも深く、山よりも高い……という程でも無いけど、ちょっとした理由がある。気になる?
――それじゃ、話そうか。僕と城ケ崎さんの、その出会いの物語を。