お父さんもお母さんも浮気してるの
「お父さんもお母さんも浮気してるの」
煙草を吹かしながら、彼女は言った。彼女の吐いた煙が白く、辺りを漂う。
「え」
突然だったので、僕は聞き逃した。「なんて言った」右の耳からもイヤホンを取って彼女の横顔を見ながら、僕は言った。彼女は顔を僕の方に向けて言った。
「お父さんもお母さんも浮気してるの。お父さんが先に始めたんだけどね。お母さんも浮気しだして、私と弟をほったらかしにするの」
彼女は淡々と言った。彼女の表情からは何も読み取れなかった。僕は何も言えず、足元を歩き回っている蝶々を見る。彼女が僕の顔を見ているのが分かった。でも、僕は彼女の顔を見なかった。はっきり言うと、彼女の顔を見るのが怖かった。首元から下がったイヤホンから、ポール・マッカトニーの声が聞こえた
「お父さんのワイシャツから、女の人がつけるコロンの香りがするの」
彼女は続けて言った。僕の存在を忘れているかのように、声には抑揚が無い。
「とても甘ったるい匂い。メロンのような匂い。あの匂いを嗅ぐと、ぞっとする」
僕は蝶々をずっと眺めていた。蝶々は時々、飛び立とうとしているかのように羽を広げかけるが、すぐ閉じた。そして、またなにかを探していた。
「お母さんはお父さんのいない時を見計らって、自分より年下の男を家に上げて、ベッドでセックスするの。私と弟が隣の部屋にいるのを無視して」
彼女は抑揚の無い声で続けた。僕はただ蝶々だけを見つめていた。だけど、僕の胸は鼓動を早めていた。
「あの短く切れた甲高い声。私はもう聞きたくない。私は私と弟の部屋で、弟の耳を両手で塞いで、じっとそれが終わるのを待ってるの」
彼女は言った。僕は彼女の顔を見ることが出来ない。見ると、取り込まれる気がした。
蝶々が再び羽を広げる。そして、あたりをうろうろと歩いている。
「弟がこのごろ独り言、言うようになった。お父さんとお母さんが浮気したのは僕のせいだって。UFOが僕に言ってくるんだってね。そして、ずっとバルコニーにいるの。そして、UFOとの交信を続けてるの」