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巻の四 天津の国

 草木も眠る丑三つ時……。

 小春は満月の明かりだけを頼りに、隣国・天津国へと侵入していた。今の小春はやはり小袖を着た村娘を装っている。

 天津の国は関所が多いことで有名だ。

 音羽の里は、国境にあるため山から侵入した方が楽だった。関所で検問をうけると、忍道具などで素性がバレてしまう恐れがあるからだ。

 天津城の見取り図は脳裏に焼きつけてあるが、進入経路などは実際に城の近くまでいってみないとわからない。頭領の話によると、天津城は警固の忍を雇っていないらしい。

(忍を雇わないなんて……家臣の腕がたつのかしら? それとも人数が多いとか……?)



 鬱蒼とした山道をぬけ峠を下っていくと、やがて田畑や民家が見えてきた。

 天津への侵入に成功してまず始めにするべきことは、拠点を作ることだ。そこに怪しまれないように寝泊りし、潜伏する。

 小春はひたすら歩き続けた。町へでたら旅籠を探す。宿があいていなかったら、大店の前あたりで病人を装って行き倒れを演じるのだ。商売人というのは世間体を気にするから、大概は介抱してくれるはずだ。

 しばらくすると「アサリ売り」とすれ違った。やがて東の空が白みはじめる。

「ふぅ……。無事到着っと」

 小春は城下町の大通りを抜け、わき道を入って裏通りで立ち止まった。

 大通りには二十軒ほどの大店があった。それ以外は従業員など雇わない小さな店だ。小春は人手の多そうな呉服問屋に目をつけた。

 どうやって転がりこもうかと、頭の中では真に迫った芝居が上演されていた。

『ああっ、痛いー』

 店の前で苦しそうにうずくまる少女。そこへ大店の手代が駆けつける。

『娘さん、こんなところでどうなすった』

『すみません。持病のシャクが……』

『どうしたんだい』

 そこへ現れる大旦那。

『この娘さんが持病のシャクで苦しんでいるんですよ』

『そいつはいけない。奥の部屋で休ませておやり』

 まんまと店主をだまし呉服問屋へ転がりこむ。そして、涙を誘う身の上話をでっちあげ……無理にでも住み着いてしまえばよい。

「完璧だわ」

「何が完璧なのだ?」

 背後から囁かれた小春は、危うく悲鳴をあげそうになったが、大きな掌で口をふさがれたので、くぐもった声にしかならなかった。

 顔を傾けると、そこにはいつかの天然柿サムライが立っていた。

「また会ったな、小猿の小春」

「あなたっ、どうしてこんなところに……」

 天然男は「静かに」と口元に人差し指を当てて微笑んだ。そして小春の耳元で囁く。

「私は鬼ごっこの真っ最中だ」

 出歩くにはまだ薄暗くはないか? 

 こんなに早くから、いい大人が鬼ごっこなどするものか!

 耳を澄ませてみると複数のうごめく気配が感じられた。それは小春が忍であるから感じとれる気配で、屋根を伝って近づいてくる。

(この気配は忍みたいな……。ま、まさかね)

 天然男はすぐ近くにあった店の門をくぐった。腕をつかまれていたので、小春もなかば引き摺られるようにして門をくぐる。

 そこは塀も門も朱塗りで、一見すると神社のようにも見える店構えをしていた。

「ごめん」

 天然男が声をかけると物見窓から誰かがこちらの様子を窺っている。それから木の扉が開き、一人の芸者が出てきた。

(嘘っ、ここって色茶屋!? 風俗店じゃないのっ)

「店の者に会わぬよう、お早く」

 男は小春とともに茶屋の中へと身体を滑り込ませる。三人は静かに階段をあがると客室へむかった。

「いつも悪いな」

「いいえ、旦那さまには贔屓にしていただいておりますので。ところで……」

「こっ、小春です」

 小春は紹介される前に頭を下げた。幼い雰囲気に女将は穏やかな笑みを浮かべる。

「可愛らしい娘さんですこと。旦那さまも隅におけませんわ。ゆっくりしてらしてくださいな。そうそう、使いのモノをだしましょうかね」

「そうしてくれ」

 女将がいなくなると、十畳ほどの部屋に二人きりになってしまう。

「あのぉ……ここにいないといけないでしょうか」

 当初の予定では、呉服問屋の前で倒れるはずだった。まさかこんなところで天然男に遭遇するとは思わなかった小春である。

「もうしばらくいた方がよい。私と一緒にいるところを見られていたらまずいからな」

「鬼ごっこなのに……隠れてよいのですか?」

 天然男は子供のようににんまりと笑った。

「命がけの鬼ごっこだから、隠れるのもアリだ。それから私に敬語は無用だ」

 命がけと聞いて小春の目が点になった。本当によくわからない男だ。

「名前をうかがってもよろしいでしょうか」

「敬語は無用」

「名前を教えて欲しいんだけどっ」

 小春がムキになって尋ねると、天然男は嬉しそうに答える。

「左京だ、私の名は左京」

「さ、左京さま」

「さま、はいらぬ。左京と呼んでくれ」

 左京は障子を少しあけて外の様子をうかがっている。見たところ悪人には見えないが、誰かに追われていたことは確かだ。

 やがて通りは人が行き交い賑やかになった。

「小猿の小春は天津あまつの人間だったのか」

 どう返答してよいのやら、小猿でもないし、天津の住人でもなかった。

「小猿じゃなくて音羽の小春だってば。用事があってきたのよ」

 敬語を使わなかったのが御気に召したのか、左京は無邪気な笑顔を見せた。

「知人がいるなら問題ないが、旅籠はたごを探しても無駄だぞ。河川の工事で職人を他国から呼び寄せているのだ。旅籠はすべて満室だ」

 やはり大店へ潜伏しようと思案しているのを、彼は困っているとうけとったらしく、思わぬことを口にした。

「そうだ。女将に頼んでやるからここに泊まればよい。宿代など気にするな、居たいだけいればよい。私は小春にまた会いたい」

「え…あの…」

 なんだか思いもよらぬ展開だ。潜伏先が売春公認の色茶屋でいいのだろうか。早速、呼ばれた女将と左京が話し込んでいる。

「まぁまぁ、店の妓をさしおいて囲うつもりですか」

(え? 囲う?)

「よいではないか、昼間は単なる料理屋で、夜だって満室ではないのだから」

「旦那さまにはかないませんわ。どうせ代金はツケなのでしょう」

(ツ…ツケっ!?)

「カタが付いたらまとめて払う」

「承知しました。それより……表にお迎えが」

 唖然とする小春をさしおいて、話はまとまったらしい。左京は菅笠をかぶると小春へと視線をうつした。

「では小春、ゆっくりするとよい。夜にまた来る」



 日中、一人置き去りにされた小春は、とりあえず城の下見だけでもしておきたいと天津城へ向かった。

 天津城は水を湛えた堀に囲まれて建っているが、城壁はさほど高くない。

 門は正面と裏手に二つあり、それぞれ吊り上げ式の橋が架かっているようだ。

 城門は、家臣やら出入りの商人が行きかい賑やかだった。

「邪魔だ邪魔だ!! 山中様のお通りだぞっ」

「きゃあっ」

 城門の中を窺うようにしていたのがまずかったらしい。

 すぐ脇を早馬が駆けていったので、驚いた小春は橋の前で転んでしまった。続いて立派な駕籠かごと、それに従う一行が歩いてきた。

「この無礼者めっ、山中様の行く手を遮るとは言語道断!!」

 付き人の一人が腰の刀に手をかける。

(ひえーぇぇっ、殺されるぅぅぅぅ)

 小春が悲鳴をあげそうになった時。

「山中様、これは私の連れにございます」

 いつの間にか隣に男が立っていた。

 歳は二十代半ば。長身の身体に、肩へと流れる茶色がかった髪が美しい。着ている服や往診用の薬箱から医者のようだ。

「これはこれは、左京様ではありませんか」

(えっ、この御医者様も左京っていうの?)

 平伏した付き人の声を聞き、駕籠の御簾を開けて家老が声をかけてきた。

「左京か。で、その連れはなにをしに参ったのだ」

 小春が黙っていると、付き人が責め立てた。

「山中様が、なにか用かと訊いている」

「あ…あの…かっ、観光に…」

 おどおどしながら答えると、家老・山中丹後守やまなかのたんごのかみは嘲笑した。

「観光…? 若い者が働きもせず物見遊山とは情けない。左京も田舎者の世話ばかり焼かずに、新薬の研究でもすればよいものを」

(むッきぃーっ、カンジ悪いヤツ!!)

 小春と左京と呼ばれた医者を残して、家老一行は城の中へと入っていった。

「まぁ、気にしないことです」

 小春を気づかうように左京はそっと腕をひき、起こしてくれた。

「ありがとうございました。あの…」

「なにか」

「お医者様も左京とおっしゃるのですか」

「も、とは…?」

「左京って名前のお武家様に会ったものですから、なんだか驚いてしまって」

 小春の指摘に左京は一瞬、ハッとして口元に手を当てた。なにか考えこんでから仕切りなおすかのように咳払いをする。

「それだけよくある名前なのでしょう。こんなところでウロウロしていると、門番に怒られてしまいますよ、もうお家へお帰りなさい」

 左京はきびすを返すと、城門の中へ消えていった。




 その夜。

 もう一人の左京は本当にやって来た。

 正座した小春の前には、地酒と色鮮やかな山海の珍味が用意されている。

「どうしたのだ。浮かない顔をしておる」

「いえ。あのぉ……左京さまはどちらにお勤めでしょうか?」

 敬語だったのが障ったらしく、左京はムッとして答えた。

「左京さまではなく、左京だ」

「ごめんなさい」

 小声になると彼は慌てたそぶりを見せた。

「私は天津に仕える侍だよ」

「あ、あま、あまっ、天津って天津城のことっ!? 高経さまってどんな人なの!?」

 思わぬところで天津城の関係者と接点ができた。興奮した小春は左京の襟元を鷲づかみにするとくってかかった。

「お…おお…落ち着くのだ小春。なぜ国主について訊きたがる」

「え…あ…いや、そのぉ…お城とか殿様とかって興味があるのよ」

「小春は城と殿様が好きなのか?」

「え? ま、まあね。それで天津の城って人がたくさんいるのかしら」

「そうだな……。小国だが他国なみに家臣はおるぞ。女中もいる」

 左京は杯の酒を飲み干すと、小春の手酌をうける。

「け、警固も万全でしょうねぇ」

「そうでもない。平和ボケしているせいか忍など雇っておらぬし、夜間の警固はもっと人数を増やしてもよいくらいだ」

(やっぱり忍を雇ってないのね!!)

 思わず天に向けて拳を握りしめた。

「天津高経さまってどんな方?」

「若干二十歳。先代の国主には子供が一人しかできなかったから即位しただけの男。妻もないし、妾もいない。つまらぬ男だよ」

「奥方がいないのはお気の毒ねぇ。夜は一人で眠るのね」

「そう。変わった方だから天守閣にひとりで眠る」

 天守閣、ひとりと聞いて小春の瞳がキラリと輝く。

 いつの間にか左京の周りには空の徳利とっくりがたくさん転がっていた。それでも彼は酔うことがない。

「そういえば、そなた用事は済んだのか?」

「いいえ、まだです」

「ならば、もうしばらくここにいることだな。明日は用事があってこられないが……」

 左京は袂をまさぐると懐紙かいしの包みをとりだし、小春へと差し出す。

「開けてごらん」

 不思議顔のまま懐紙を開くと、そこから小さなかたまりがたくさん出てきた。

金平糖こんぺいとうというのだ」

「コンペイトウ?」

「口を開けて」

 言われるままに口を開けると、左京は小さな塊を一粒ほうりこんだ。

 口の中にじんわりと甘味が広がっていく。あんぽ柿や栗とは異なるはじめての味覚に、頬が落ちそうになった。

「おいしい……」

「徳川の国のお膝元、江戸で売っているものらしい」

 もっと食べたくて無意識に口を開くと、左京はその反応をおもしろがるように笑った。そしてもう一粒、小春の口へと放ってくれる。

「金平糖を食したのは初めてか」

「こんなに美味しいものがあるなんて……」

 左京が金平糖を摘まむのを目で追っていた小春は、再び口を開いてしまう。

 そんな仕種が可愛らしくて、左京の口元は笑いを堪えるように小刻みに震えていた。



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