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巻の九 記憶

 ゆらゆらと揺らめくのは水面だろうか……。それとも自分自身だろうか……?

 吹き矢はすぐに抜き取ったつもりだが、痺れて思うように動けない。

 強張った身体はなす術もなく、重石のように水底へと沈んでいく。

(吹き矢は白黒戦の時に頬をかすめた物と同じ。もしかしたら屋敷の爆発も……)

 水中だというのに瞼が熱くなってきた。

 小春は泣いていた。

 理由もわからず殺されるのか。

 高経が狙われていたのは帳簿と秘伝の書の為だから……小春にここまでつきあう必要はなかったはずだ。

(私は死ぬのかな。最後に高経に……高経に何だろう……? 何かがひっかかる)




 幼い頃、森の中で迷子になった小春は夕刻になっても帰ることが出来なかった。

『……どうしたの?』

 静かに訪れた闇の恐怖。

 泣きじゃくっていた小春に声をかけてきたのは、村では見かけない少年だった。

『僕が君を助けてあげる』

 そう言った少年は熟れた柿の実をくれた。小春より少し年上に見えた少年。彼の背中が思いのほか温かくて広かったことを覚えている。まるで、小春を背負って逃げてくれた高経の背と錯覚してしまうくらいに……。

(まるで高経の背中……あれ?)

 里へ着くと、振り返って名を訊ねた。

『あなたはだあれ?』

『僕かい? 僕の名は天津高経』

『あまつ……たかつね……ふたつ名前があるの?』

 少年は笑って答えた。

『そうだよ。僕は小春を助けにきた』

『ふぅん、どうして』

『小春を悪いヤツから守るためさ。だから、ずっと傍にいる為に──』


 あの少年が高経だった!?

 どうして今まで思い出せなかったのか。

(死神っているのかな)

 水の中、小春の意識が徐々に遠のいてゆく。

 小春の視界に黒い影がよぎり、誰かに腕をつかまれた。

 なぜだか高経に似た死神が、微笑んだ気がした。





 クナイが刺さった背中が焼けるように熱い。

 胸の手裏剣の傷にも冷たい水はこたえた。

 真紅の血が、水辺を漂う花びらのように広がっていく。

(小春………死なせてなるものか!!)

 高経は華奢な身体を抱き寄せ口づける。

 小春の唇へ、ありったけの想いをこめて息を吹き込んだ。





 新鮮な空気を肺一杯に吹き込まれ、小春は──覚醒した。


(高経は……どこ!?)

 水中には高経の姿は見当たらなかった。 もしかしたら、まだ蔵乃介と戦っているのかもしれない。

 小春は水面へと視線を移して驚いた。

 水温が徐々に下がり、氷はじめていたからだ。

(ここまでするのですか……蔵乃介さま)

 心の奥底で、ほの暗い殺意が湧き上がる。

(高経を助けたい──その為なら私は……)

 神経を研ぎ澄ませ意識を集中させていく。

 小春は水面へと鋭い視線を放った。





 幻想的な水鏡を見つめていた蔵乃介は、二人が上がってこないことを訝しんでいた。

 死体を見ないことには安心できないと、地底湖の水面へと手を翳す。

「忍法、不動氷」

 水が流れ込む地底湖は絶えず変化しているので、表面だけとはいえ凍らせるのに手間取った。

 やがて、水面に霜が降り始める。

(怨むなよ、小春……)

「天津の当主は、巻き添えだがな」

 おぞましい笑みを浮かべた蔵乃介が、水面から手を離した一瞬だった。

「氷雪花!!」

 水中から瞬時に氷の剣が飛びだし、蔵乃介の心臓を貫いた。

 温かい血が氷を溶かしながら流れてゆく。

 蔵乃介が信じられないといった表情で左胸から湖へ顔をむけると、小春が岸へと上がってきた。その手には蔵乃介を貫いたままの氷の剣が握られている。

 しかし、よく見れば小春の顔は蒼白で、懸命に身体の痺れに耐えているのがわかる。

 蔵乃介はガクガクと身体を震わせながら膝をついた。自らの心臓に突き刺さった水晶の塊のような氷剣をよく見ると、その中心には美しいハギレがあった。

 小春は傷口に巻きつけてあったハギレごと瞬時に凍らせ、槍のように長い剣を生み出したのだ。

「こ…はる………」

「あなたが教えてくれました。勝負は一瞬で決まる。機会を逃しては命とりになる、と」

 近づいた小春は、倒れこんだ蔵乃介を抱きかかえた。

「そうだ……僕が教えた。忍は……あらゆることに……対応しなければ……ならないと……」

 自らを僕と語った蔵乃介に小春は縋りついていた。音羽の里の……いつもの蔵乃介だ。

「やれば……出来るじゃないか」

「先生が良いからです」

 小春の返答に満足げに頷いた彼の瞳に、うっすらと涙が浮かぶ。

「矢に……毒はない……痺れは……じきに治まる」

「どうして……」

「さす…がに……情が…移ったか……」

 涙の止まらない小春の背を、力ない掌が優しく撫でていた。

「気をつけろ…伊賀……は……また襲ってくる」

 蔵乃介は咳き込み、血塊を吐いた。

「さよならだ……小春」

 小春の背を撫でていた腕から力が抜けた。

「蔵乃介さまあぁぁっ!!」




「小春様――っ!」

 左京を先頭に音羽忍が駆けつけてきても、蔵乃介の亡骸を抱いたまま……小春は暫くの間、放心していた。

「高経さまは何処に?」

 皆が高経の捜索を始めると小春も正気づいた。そういえば、高経の姿がない。

「そうよ……高経よ! 何処にいるの……?まさか…流されてないでしょうね」

 不安げな視線の先には、地底湖の下方へと、更に続いている水の流れがあった。




 小春たちが捜し回っている中、左京ひとりが、お目当ての人物と再会していた。

 高経である。

 高経はあの後、下方へと流されていたのだが、小春を助けたい一心で地底湖を目指しはい上がっていた。

 ところが、蔵乃介を抱きかかえた小春を目にした途端、出るに出られなくなってしまったのだ。

「それにしても酷い傷ですね。手裏剣に……これはクナイですか? 早く手当てしなければいけません。葛の根に長芋の皮を砕き、蜜柑の皮を煎じて……あとは芍薬(しゃくやく)が必要かな。腕が鳴りますねぇ〜フッフッフッ」

 薬草のことを考えている左京はとても嬉しそうだ。

「はうぅ〰。それより心の傷の方が深い。小春達を見つけたのはよいが、二人の間に入りづらくてな。正直、妬けたぞ」

 高経の傷心ぶりに左京は微笑を浮かべた。

「少しは期待してもよいのでは? ほら、必死になって捜していますよ。あなたを」

 洞内に響く小春の呼び声に、傷心男はだらしなく目尻を下げた。


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