スミレネズミの日
【pixiv】にも同じ作品を載せていますが、こちらは細かい部分を手直ししました。
スミレネズミが学校に大量発生した。その名の通りスミレ色で、花びらのように小さなネズミだ。
「マユキ先輩みたいだね」
隣の席のケイタが言い、ミウは笑った。三年生のマユキ先輩は体が小さく、いつも走り回っている。ロッカーや靴箱に隠れたり、机の下から急に出てきたりする。
そのマユキ先輩がスミレネズミに噛まれ、救急車で運ばれた。まさか、とミウは思った。マユキ先輩は高熱を出しても倒れたりしない。ネズミに噛まれたぐらいで負けるはずがない。
「スミレネズミには毒があります。ただのネズミとは違うんです」
担任の吉沢先生が言い、教室は騒然となった。いつもはぼうっとしているナナちゃんが急に立ち上がり、あそこ、と掃除用具入れのそばを指差した。
「スミレネズミが二匹いる!」
全員が悲鳴を上げ、教室を出ようとした。ところが、廊下にはさらにたくさんのスミレネズミがひしめき合っている。
「オレ、逃げなくていいや」
ケイタが言った。ミウは驚き、噛まれてもいいの、と言った。
「逃げたって噛まれるだろ」
「そうね……確かに」
廊下からは悲鳴や叫び声が聞こえてくる。避難訓練なんて、いざ非常事態になってみると何の役にも立たないのだ。
ミウとケイタは噛まれなかった。
でも、クラスの子たちはほとんど噛まれ、吉沢先生も腕を三箇所噛まれてしまった。先生は目つきが変わっていた。
「あなたたちはもっと戦わなければなりません! 戦って勝った者から帰ってよし!」
いじめっ子のソウスケは毒に犯された爪を伸ばし、ユノとシンヤを倒した。ナナちゃんは頭に毒が回り、大嫌いな計算ドリルがやめられなくなってしまった。ルルは友達がみんな毒にやられてしまったと嘆き、新しい友達を捕まえに火星へ旅立った。
「もう帰ろうっと」
鞄を持って立ち上がると、ケイタに袖を引っ張られた。
「ミウ、これ面白いよ」
ケイタはいつの間にか、お気に入りの携帯ゲーム機を持っている。こんな時まで、と呆れながらミウは画面を覗いた。宇宙空間のような暗い背景に、きらきらしたものがたくさん映っている。
「十字キーで移動、こっちのボタンでミサイル。簡単だろ」
「なんでゲームなんかやるの」
「戦えって先生言ったじゃん。ゲームだって戦いだよ」
ミウは仕方なくゲーム機を受け取った。棘だらけの赤いモンスターが現れたので、ボタンを連打した。
『ミウ、そこにいたのか!』
ミサイルが命中すると、モンスターは赤いジャージを着た男に変わった。画面から腕を突き出し、ミウの手をつかもうとする。ミウは顔をそむけようとしたが、反射的に男の目を見てしまった。ぎらぎらとした、得体の知れない目をしていた。
「やだ!」
ミウはゲーム機をケイタに突き返した。
「私やっぱり帰る」
「あっそう。じゃ、明日な」
ミウは鞄を肩にかけ、教室を出た。廊下には、隣のクラスのアサちゃんと西川くんが折り重なって倒れていた。全身に噛み跡があり、紫色に腫れ上がっている。
ミウはアサちゃんを抱き起こした。
「スミレネズミにやられたのね」
違う、とアサちゃんは言った。
「西川くんよ」
「えっ」
「私が西川くんを噛んで、西川くんが私を噛んだ。二人とも毒にやられてたから。でも行かなくちゃ。今日はバレエの日だから。明日も明後日もバレエだから。行かなくちゃ」
アサちゃんはずるずると廊下を這い進んでいった。西川くんは倒れたまま、バレエなんてやめちまえ、と別人のような声で言った。
校庭にもスミレネズミがぎっしりいて、ミウはつま先立ちで避けながら歩いた。正門のそばまで行くと、スミレネズミと一緒に走っている人がいた。
「マユキ先輩!」
全身包帯に覆われているが、小さな体と軽やかな動きですぐにわかった。ところどころのぞく肌は、スミレネズミと同じ色に変わっている。毒がしみ込んでいるのだ。
「こんなところで何してるんですか」
「走っています」
「病院にいなくていいんですか」
マユキ先輩は立ち止まり、包帯の隙間からミウを見た。
「ミウを迎えに来たんです」
「え?」
「病院のお昼にラーメンが出ました。僕は食べないので、ミウにあげようと思って」
ラーメン、とミウは繰り返した。食べたい。ちぢれ麺を一気にすすり、あたたかい味噌スープを飲めば、少しは目がさめるだろう。
でも病院の食事を分けてもらうわけにいかない。ミウは病気どころか、すり傷ひとつ作っていないのだ。
迷っていると、マユキ先輩はまた走り出した。包帯がほどけ、紫色の腕があらわになる。そのまま踊るように走り、正門を出たところで自転車にぶつかった。
ドンと音がして、マユキ先輩は弧を描いて飛んだ。校舎の屋上を越えて空へ吸い込まれるように、どこまでも飛んでいった。
「行っちゃった……」
やっぱりラーメンを分けてもらえばよかったと思ったが、あきらめて門を出た。
道路には大量のスミレネズミが死んでいた。車にひかれ、スミレの花模様のようになっている。ミウはもう避けて歩こうとは思わなかった。花模様を踏み、スキップをしながら帰った。