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奥州妖かし奇譚 第二部・憑神  作者: けせらせら
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 一条家の屋敷の勝手口が開いた。

 その扉が開くのは一週間ぶりのことだ。

 一人の女性が扉を潜って外に出てきた。そして、そのまま敷地の奥にある蔵のほうへと向かっていく。

 女性が去っていった上空の空間にわずかな裂け目が生まれた。

 闇の中からニュッと痩せた長い手が伸びる。

 それに続いて痩せた体がゆっくりと進み出る。着物姿の老人がそこから出ると、空間の裂け目がすっと消えていった。

 コキコキと首を撚る。

 そして、前を行く女性の背後を音もなく近づいていく。

 老人は静かにその前を行く女性へと手を伸ばした。

 ふいに女性の歩みが止まった。

「やっと現れましたね」

 老人の手がピタリと止まる。

 女性はゆっくりと振り返った。それは一条家の使いに扮した二宮瑠樺だった。

「おまえはーー」

「弥勒骨仙人、これ以上、あなたの思い通りにはさせません」

「二宮か」

 たちまち弥勒骨仙人の背後に空間が広がる。「おまえが相手では儂が勝てるはずもない。儂は勝てぬ戦いはせぬのじゃ」

 裂けた空間にその痩せた体が吸い込まれていく。

 だが、その空間は一瞬でかき消えた。

「何? これは……儂の力が消えていく」

 逃げ場を無くし、弥勒骨仙人は戸惑いの表情を浮かべた。

 一つの蔵の扉が開き、そこから二つの人影が現れた。それは七尾流と梢の二人だった。梢は流の手を握り、その体の影で、真っ直ぐに弥勒骨仙人を睨んでいる。

「逃げることは出来ない。七尾の前でお前の力は無となる」

 流が弥勒骨仙人に言う。

「ほぉ。これが『七尾の白狐』の力というわけか。しかし、力が使えないのは誰も同じはず」

「そうでもない」

 流が錫杖を振ると、そこから放たれた力が弥勒骨仙人を吹き飛ばした。

 弥勒骨仙人はなんとか起き上がるとーー

「こりゃあ参ったの。じゃが、まだまだ甘いの。その程度の力に儂が黙ってやられるとでも」

 弥勒骨仙人はそう言うと両手で着物の襟元を握り、ガバリと開いた。

 そこに別次元の空間が広がっていた。

「これはーー」

「その娘の力、まだまだ目覚めたばかりなのじゃろ。自らの体の中に穴を開ければ、そこの娘は手を出せん」

 体の内から広がった空間が体を侵食し、弥勒骨仙人の体が見えなくなっていく。

(しまった!)

 瑠樺は焦った。

 このままではいかに七尾の力があったとしても、弥勒骨仙人を倒すことが出来ない。

 しかしーー

「それはどうかしらね」

 その静かな声とともに弥勒骨仙人の背後から一本の手が伸びて、その体を貫いた。それは音無雅緋のものだった。

「おまえはーー」

 驚いたように弥勒骨仙人が飛び退く。だが、すでに遅かった。

「これでもまだ抵抗出来ると思っているのかしら?」

「これは……」

 弥勒骨仙人の胸元に開いた空間がみるみるうちに消えていく。

「七尾の力の結晶石。あなたの体に埋め込ませてもらったわ。これであなたは妖力を発することも出来ない」

 美月の力だ……と、瑠樺はすぐに理解した。

 弥勒骨仙人はうぅっと唸った後――

「ここまでのようじゃな」

 観念したようにその場に座り込んだ。

「みゆきさんにかけた術を解いてください」

「無理じゃな。あれは術とは少し違う。儂の魂の一部をあの娘に植え付けたのじゃ。儂が生きている限り、あの娘はもとに戻らん」

「それではあなたを殺さなければいけなくなります」

「そうじゃな、そうするしかないじゃろうな」

 弥勒骨仙人はカカカとかすれた声で笑った。

「どうしてそんなふうに?」

「何がじゃ?」

「私たちを前にしてどうしてそんなふうにしていられるんですか?」

「なんじゃ? 怖いのか? 何を怖がっておる? おまえたちは強い。儂なんかでは歯が立たん。それはハッキリしておるではないか」

「死を恐れないと?」

「儂は老いぼれじゃからな。ある程度の覚悟はしておる。でも、死は怖い。何歳になろうとそれは変わらんよ」

「なら、どうしてこんなことを?」

「儂の使命じゃからな」

「使命?」

「自分のやるべきことをやって、その結果を受け止める。それだけじゃろう。おまえたちもそのためにここにおるんじゃろう」

 その潔さは瑠樺の不安を駆り立てた。

「何を隠しているのですか?」

「ん? 何のことじゃ?」

「あなたは何かを隠している。教えてください。何のためにこんなことを」

「答える気はないのぉ」

「どうしても答えてもらいます」

 瑠樺はその手を弥勒骨仙人に向けた。それを合図に梢が『白狐』の力を閉じる。「真実の羽」

 その力を発動する。だがーー

「否! 拒絶する!」

 その時、何が起きたのか、一瞬、瑠樺にもわからなかった。

 弥勒骨仙人はそのままバタリと倒れた。

「何をしたんだ?」

 流が驚いたように瑠樺に声をかけた。だが、瑠樺にもそれはよくわからなかった。それに答えたのは雅緋だった。

「今の弥勒骨仙人にとってあなたの力に抗うことなど出来ない。だから、その力を自分のなかで破裂させたのよ」

「どうしてそんなことを?」

「あなたに真実を見せないため、自刃したのよ」

「死んだの?」

 梢が震える声で問いかけた。たとえ『七尾の一族』といっても、梢はまだ13才の少女だ。人が目の前で死ぬ姿を見て動揺しないわけがない。

「そうよ。でも、気にする必要はないわ。これは人ではないの」

 瑠樺に代わって雅緋が答える。決して梢が自分を責めないように。雅緋がここにいてくれたことに瑠樺はホッとしていた。

「瑠樺お嬢様? 大丈夫ですか?」

 梢が瑠樺の背に向かって声をかける。

「大丈夫。ありがとう、梢さん」

 梢や流にこんな感情を伝えてはいけない。彼らは自分の頼みで、人を助けるためにやって来てくれたのだ。

「俺たちは先に行く」

 瑠樺の思いを察したのか、流は梢が連れて帰っていった。

 二人が去った後も、瑠樺はその場から離れられなかった。

 雅緋は何も言わなかった。

 離れていこうともしなかった。ただ、ジッと瑠樺の脇に立っている。

 後味が悪かった。

 波城みゆきを助けるため、これしか方法はなかった。弥勒骨仙人本人がそう言ったように、それに間違いはないだろう。

 そして、結果的にみゆきを、仲間を助けることが出来たのだ。

 喜ぶべきなのだ。

 それなのに、いったいなぜこんな思いに捕らわれてしまうのだろう。

 弥勒骨仙人は、初めからこうなるために自分の前に姿を現したのではないかと思えてしまう。

 そこに倒れているのは、仲間たちを殺しに来た刺客というよりも、ただの痩せた老人にしか見えなかった。

 その時――

 雅緋がわずかに指先を動かした。それが彼女にとって臨戦態勢だということは、瑠樺にも感じ取れた。

「終わったんだね」

 その声に瑠樺は振り返った。

 草薙響がそこに立っていた。


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