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ホームに立って時計を見上げる。
午前7時32分。
乗る予定の電車の発車時間は10分後にせまっている。
電車はまだ来ていない。
土曜の朝ということもあってか、ホームにも他に人の姿は見えない。
二宮瑠樺が待っているのは一つ先輩の蓮華芽衣子とクラスメイトの六角周防だ。二人とも瑠樺と同じく妖かしの血を継ぐ者たちだ。
かつてこの地には『陸奥の神守』と呼ばれる妖かしの血を受けた一族たちが存在していた。坂上田村麻呂による奥州討伐以来、妖かしの一族たちは『西ノ宮』と呼ばれる京の陰陽師に従うことになった。そのために『西ノ宮』から送られたのが一条家だ。一条家と『陸奥の神守』の一族はその後、『八神家』と呼ばれるようになった。
瑠樺の父、二宮辰巳は『八神家』の一つであり、古くは『和彩』という名だったことがあるらしいのだが、父は若い頃にその立場を捨てこの地を離れていた。だが、昨年の春、再び一条家に仕えるために瑠樺と共に戻ってきたのだが、その結果、父は命を落とすことになった。
その後、瑠樺も辰巳の意思を継ぎ、一条家で働くことになった。
今回、瑠樺たち3人が青森に向かうことになったのは、一条家に関わるある事件が起きたからだ。
一条家の当主、一条春影が襲われたのは、瑠樺たちが通う陸奥中里高校の文化祭の最終日の夜だった。春影の長年身の周りの世話をしていた波城みゆきが突然、短刀で春影に切りつけたのだ。みゆきはすぐに取り押さえられ、春影のケガもたいしたことはなかった。
翌日、瑠樺は一条家に呼び出されることになった。
春影の脇には妖力者たちの集まりである『常世鴉』を率いる斑目が、もう一方にはいつもならば陰陽師たち『九頭龍』を束ねる栢野出石が座っている場所に、『八神家』の中で唯一残っている『墓守』の一族である矢塚冬陽が座っていた。
この2つの家は、かつて『陸奥の神守り』と呼ばれる妖かしの一族がこの地をおさめていた時代には、二宮家に仕える立場だったらしい。
斑目が事件について事情を説明した後、春影が言った。
「みゆきは操られていたのです。弥勒骨仙人。それが私を襲った者の名前です。弥勒骨仙人は人の心を支配し、思い通りに操ります。おそらく『西ノ宮』からの指示でしょう」
春影は落ち着いた口調でそう言った。
一条家はもともと『西ノ宮』と呼ばれる京を中心とする陰陽師の家系であり、平安時代に陸奥の妖かしの一族を統治するために送られたという過去を持ち、今はその妖かしの一族を束ねる立場にある。その春影が『西ノ宮』の刺客に狙われたのは、春影がこれまでの考えを変え、陸奥の妖かしの一族と手を結んだことが原因と思われた。
そして、その原因を作った妖かしの一族の一人が二宮瑠樺だった。
「みゆきを元に戻すためには弥勒骨仙人を倒さなければなりません。しかし、今のままでは弥勒骨仙人を倒すことは出来ません。弥勒骨仙人は特殊な力を持っていて、常に別の次元に隠れています。その次元に隠れている限り、我々は手を出すことが出来ません。しかし、弥勒骨仙人の術を解かなければみゆきの意識は戻りません。このままの状況が長く続けば彼女は命を落とすことになるでしょう」
「では、どうすれば?」
それに答えたのは矢塚だった。矢塚は一族のための『墓守』という立場ではあるが、一方で一族の歴史を管理する仕事も兼ねている。
「出来ることは彼の術を破ること。だが、残念ながら今、それを出来るのはこの地にはいない。それが出来るとすれば、かつて『陸奥の神守』の一人である七尾の一族しかいないだろう」
その名は瑠華も聞いて知っていた。
「七尾の一族は遥か昔、八神家の地位を捨ててこの地を離れたと聞きました」
長い年月を経て、『陸奥の神守』の一族の多くはこの地を離れていった。今、八神家として残っているのは矢塚の家だけだ。
「七尾の一族は青森にいる」
春影の傍らに座る斑目が言った。
「どうしてそれを?」
瑠華は驚いた。これまで他の一族について斑目から聞かされたことがなかったからだ。
「実はこれは正確な情報とは言えない。それについては後で僕のほうから説明するよ」矢塚が軽い口調で言った。
「それよりも」
と斑目は険しい表情のままーー「今回のこと、決して漏らしてはならない」
「それはどういう?」
「一条家の中でも今回のことは内密にしなければいけないと言っている。一条家の陰陽師たちにも話してはいけない。故に、一部の人間だけで仕事をこなしてもらう」
そこで瑠樺たちはその助けを借りるため、この連休を利用して青森に向かうことになったのだ。