俺、勇者になる⑥
剣の血を払って、俺はのじゃロリとリリに目をやった。コールを含めた十人を相手取り、のじゃロリは笑いながら剣を振り回していた。
「くそっ! なんだこいつら、【スタン回し】が……!」
「わっはっは! のじゃー!」
のじゃロリが【ヒットザサック】を喰らう度、後方のリリがフィロソフィアのスキル【キュア】を放つ。HP小回復と状態異常回復効果を持つこのスキルが、【スタン回し】を無効化していた。
「潰せ! ヒーラーからやるぞ!」
「させるか、ばか!」
「あぐぁっ!」
リリに向かった敵の背中を、のじゃロリが切りつけた。
「MP、キツくなってきました。はやめに終わらせてくださいね」
「がんばるのじゃ、リリママ!」
「ママ閉店しそうでーす」
「ぐぬぬ! 今時の子育て観で生きておることをわらわは責められぬ!」
軽口を叩きあいながら、リリとのじゃロリは完璧に連携していた。こいつらは、間違いなく俺だ。
「チッ……やべえな。強すぎる」
舌打ちしたコールが、ゆっくりと戦場から離れていく。追うべきか、無視すべきか。一瞬の逡巡があった。
コールと、目が合った。コールは挑発するような薄笑いを浮かべた。
それで、決まった。
俺は駆け出した。のじゃロリとリリに、バフをかけるため。
勇者なんてのは、ボスと一対一で決着をつけるような華々しい存在じゃない。バフとDotが俺の仕事だ。
「フー……分断すりゃ殺れたんだがな」
捨て台詞を聞き流して、俺は走った。まずはバフの範囲内に二人を収める。リリのMPを【号令:魔力鼓舞】で戻して……
「なんてな。まとめて死ね」
勝ち誇ったような、コールの声。嫌な予感に振り返る。コールの体が、光で包まれている。
全身が、凍った。
「【フェイタルアーツ】じゃ! パーティ申請……間に合わん! 退け、レシア! 逃げるのじゃ!」
のじゃロリが納刀し、両手で持った盾を高く掲げた。
「ナメんな。間に合わねえよ」
ガンナーの【フェイタルアーツ】、【輝くもの天より堕ち】。 直径二十メートルの円状に、無数の光撃が降り注ぐ。
俺は立ち止まり、反転し、駆けた。【スキャット】のリキャストはまだ空いていない。走るしかない。
夜の闇を割って、光が降った。一本、二本、それから、無数に。
背を向けていてさえ、太陽を直視するかのような光量。背中に熱を感じながら、俺は走った。走り続けた。
光が背中をかすめた。鎧を貫いて皮膚が焦げた。針山を突き立てられたような苦痛に、俺の足は竦んだ。
「勇者様!」
ルーが俺に飛びついた。俺たちはもつれあって地面を転がった。
降り注ぐ光の雨が消えた。ルーのおかげで、ぎりぎり範囲外に脱出できたようだ。
「眩しかったのじゃ」
「暑かったですね」
直撃を浴びながら、のじゃロリとリリも無事だ。平然としている。パラディンの【フェイタルアーツ】、【アイギス】を発動させたのだろう。【アイギス】はパーティメンバーへのダメージを三秒間無効化する。
【アイギス】の詠唱時間は三秒。俺にパーティ申請を投げていたら、【輝くもの天より堕ち】の発動に間に合わなかった。三人まとめて死ぬよりも確実に二人生き残る方を選ぶとは、さすが俺としか言いようがない。判断基準が合理的すぎる。
よくよく見ると、敵の数が五人に減っている。あの閃光の中、咄嗟に【フェイタルアーツ】を発動した上、敵を切り殺しまくっていたのだ。
「嘘だろ」
コールは、口をあんぐり開けて唖然としていた。俺は笑った。まあ、俺だったらそうするだろう。GCDとリキャストの許す限り、ひたすら敵を殴り続ける。それがこのゲームのスキル回しだ。
「勇者様、平気?」
ルーの声がして、俺は笑ったまま下を向いた。
「ああ。ルー、助、かっ、た……」
言葉を、失った。
仰向けになった、ルーの体。その腰から下が、消えていた。
そうじゃない。それだけじゃない。
「なんで……ルー」
ルーの頭上には、空っぽのHPバーが表示されていた。
人間だったんだ。
ルーは、人間だったんだ。
「ゴメンね、勇者様。でも、うまく騙せたでしょ? はじめて見たとき、人間が嫌いって言ってたから」
俺を騙していたことだとか、そんなことは心からどうでもよかった。
「ヒール……ヒールすれば……!」
ルーは首を横に振った。俺にも、分かっていた。ルーはもう死んでいる。ログアウトするまでの中途半端な時間しか、俺たちには残されていない。
「ねえ、勇者様」
短い時間を、無駄にしたくなかった。俺はルーの声に耳を澄ませた。
「詐欺師だったのは、ホントなんだ。レアアイテムがあるって嘘ついて、お金、巻き上げて……でも稼いだお金は、ほとんど持っていかれてさ。いつも、すごくみじめだった。ここでも向こうでも、居場所なんてなくて……」
砂漠で語った、詐欺師になんてなりたくなかったゲーム内詐欺師の話。あれはきっと、ルー自身のことだったんだろう。
「今の世界なら変われるって、ボクでも、勇者になれるって……ダメだったけどさ」
「……なれるよ。俺が鍛えてやる。ルーが勇者になれるまで、ずっと一緒にいてやる」
ルーは弱弱しく笑った。
「勇者様はウソがヘタだなあ……」
救えなかった。俺には、できなかった。
「なんでっ」
俺の口から、勝手に言葉が漏れた。
なんで、俺は俺なんだ。なんで俺は、誰も助けられないレシア・ローなんだ。
強く握った拳に、ルーの指先が触れた。
「そんなこと、言わないでよ。ね? 勇者様は、勇者様だから」
ルーは、笑っていた。
「ボクも、なりたかったなあ……勇者様みたいに、かっこよく」
音もなく、ルーの姿は消えた。この世界から、永遠に。
剣と盾を手にして、俺は立ち上がった。
ルー、お前は勇者になれるよ。
俺が、なってやるから。
「俺は……」
お前の代わりに。
お前が目指した、勇者に。
「ボクは、勇者。勇者レシア・ローだ」
空気を裂いて飛んできた銃弾を、俺は盾で受け止めた。
「フー……なんだそりゃ? くだらねえ」
コールが銃口を俺に向けている。苛立って眉根を寄せて俺を睨んでいる。
俺の体は動かなかった。【パラライズ・バレット】を撃ち込まれたのだ。
「遊びてえなら好きにしろよ。オレはもう行くぜ。じゃあな」
「逃がすか、ばか」
飛び込んできたのじゃロリが、盾ごとコールにぶつかった。【パラディン】のスキル、六秒間のスタンを付与する【バッシュ】だ。
「笑えるぜ。もう全滅かよ」
「クソザコ並べてチクチクしおって。ぜんっぜん楽しめなかったのじゃ」
リリからパーティ申請が飛んできた。承諾して、俺は笑った。【フェイタルアーツ】のゲージが溜まっている。粋な計らいだ。
「さすがわらわじゃな、レシア。戦闘中にきっちりキャラを定めてきたのう」
【スキャット】で飛び退ったのじゃロリが、俺の横に着地した。
「ボクっ娘、すごく似合ってますよ。レシアのキャラメイクには苦労しましたからね」
リリの【キュア】が飛んできて、俺のスタンが解除される。
「さあ、レシア」
「決めてやるのじゃ!」
リリとのじゃロリの声に、俺は頷く。高く突き上げた剣が、巨大な光の刃を纏う。
「コール! コール・バース! ボクが現実に送り返してやる!」
勇者の【フェイタルアーツ】、【セイクリッド・ストライク】。まっすぐに振り下ろす光の刃が、夜を切り払って渓谷を引き裂く。
叩きつけられた光の刃は無数のパーティクルとなって飛散し、その一つ一つが白い羽となって舞った。
光が退いた後には、空っぽのHPバーを頭上に浮かべたコールが、ぐったりと横たわっていた。
「終わったの。さっさと帰るのじゃ」
のじゃロリはコールに一瞥もくれず、すたすた歩きだした。完全に興味を失ったらしい。
「帰るって……もしかして、二人で暮らしてるの?」
「わらわはわらわと、なんのストレスもなくこの世界で生きていくと決めたのじゃ」
「お風呂もありますよ」
生産カンストと戦闘カンストの組み合わせ、強すぎるだろ。俺がガメーでびくびく暮らしてる間に、もう生活基盤を整えたのか。
「レシアも来るじゃろ?」
「ええと……いいの?」
訊ねると、のじゃロリはきょとんとした。
「何のためにわらわがここに来たと思っているのじゃ。どうせ、まごまごしている間にどんどん追い込まれていったんじゃろ」
見てきたように言うな。しかし、その通りだ。俺だけあって話が早い。
「ありがとう、二人とも。でも、帰る前に少し良いかな?」
ガメイ政庁には、多くのNPCが囚われていた。吹き抜けに集められたNPCは手足を縛られ、無造作に転がされていた。
コールは、なんのつもりでこんなことをしたんだろうか。ただ単にNPCを効率よく嬲りたいから? 本人がくたばった以上、知りようはないけど。
解放してやると、NPCは礼も言わずに逃げていった。ヤツらからすれば、人間同士の争いに巻き込まれたぐらいの認識なのだろう。
「分かっておったが、感謝はされぬのう」
「いいじゃないか。ただの自己満足さ」
俺はのじゃロリの頭に手を置いた。コイツの身長、頭ぽんぽんするのにすごくちょうどいいな。さすが俺のキャラメイクだ。
「そうですね。いいことをした気分になりたいだけです」
ここから先、NPCがこの世界でどう生きていくのかは分からない。俺たちには、AIの生活にかかわる権利も義務もない。
だから、ここまでだ。悪役を倒して、囚われのひとびとを救う。ルーの望んだ通りに。
それから俺たちは、貧民街へと続く裏路地まで歩いた。誰も彼もが飢え、人間に怯えていた。
「あったあった」
俺はデニム生地のキャスケットを拾い上げた。
「誰のものじゃ?」
「ボクの……友達のものさ」
夜風にさらされて、キャスケットはひどく冷たかった。
リリの手が肩に、のじゃロリの手が腰に添えられた。
「いいよ、そういうの。自分に慰められるって変だし」
「強がりは無駄じゃぞ。レシアはわらわなのじゃからな」
「ええ、そうですね。開き直るのが良く生きるコツですよ」
こいつら、俺との付き合い方を俺よりも分かっているな。俺同士で共同生活してるとそうなるのか。
埃を払って、ためしにかぶってみる。俺には少し小さすぎた。
俺はキャスケットを手に取って、歩き出した。
「行こうか、ルー」