俺、勇者になる④
ルーは結局、範囲攻撃の避け方を身につけなかった。NPCの限界なのか、ルーがとりわけ要領の悪いヤツなのかは、分からない。
日が落ちて砂漠に凍るような寒さの夜が来て、俺たちは引き返すことにした。
「ボクには無理そうだね、勇者様」
「最初から分かってたろ」
「そうだけどさあ! 勝ち目がないからってあきらめたら勇者じゃないでしょ!」
「ああいう勇気は匹夫の勇。本当の勇気とは別のものだ」
「なにそれ、悪口? なんかひどい」
ルーはちょっとむっとしたあと、すぐに笑った
「でも、楽しかった! 勇者様は? 勇者様も楽しかった?」
俺は黙って先を急いだ。
「あ! おやおやあ?」
赤毛をなびかせて、ルーが俺を追い抜いた。
「やっぱり! 照れてる照れてる! アハハッ! 勇者様、照れないでよ!」
振り返って、後ろ歩きしながら俺の顔を見た。ニタニタ笑いながら。
「照れてない」
俺がアホみたいなことを言うと、ルーは声をあげて笑った。
「さー、帰ってごはんだ! そして作戦会議! 勇者様、がんばろーう!」
大正門を抜けて、表通りに。
表通りから、狭苦しい貧民街に。
角を曲がる。
「あっ」
最初に声を上げたのは、ルーだった。
バケツヘルムとハルバードのガメー騎士が、足を一本切り落としたNPCを引きずっていた。
「なっ……」
なにか言いかけたガメー騎士の首を俺は刎ね飛ばした。バケツヘルムが地面に落ちて、派手な音を立てた。
【ベンチュラ】はどうやら、貧民街を漁ることに決めたらしい。ゴミ箱に鼻を突っ込む飢えた野良犬みたいに。
「ルー」
「う、うん」
「逃げるぞ」
俺はルーの手を掴んで、引っ張った。ルーは抵抗しなかった。キャスケットが地面に落ちた。
貧民街を抜けて表通りに。俺はルーの手を握ったまま大正門目指して走った。
「フー……」
ため息が聞こえた。
破裂音がした。
俺はつんのめって、ルーを手放した。
「消えろって言ったのによ。なんだ、その……NPCとヤりたかったのか? 笑えるぜ」
【ブラス・フリントロック】の銃口から、硝煙が立ちのぼっている。
気だるげな笑みを浮かべているのは、【ベンチュラ】のリーダー、コール・バース。
「確保ー! 確保しましたよーっ!」
ルーを小脇に抱えたネビュラが、コールの横に着地した。
「勇者様!」
「しーっ! お静かに! 夜ですよ!」
もがくルーを、ネビュラは地面に叩きつけた。虫みたいに。
「このっ」
「お静かにっ!」
ネビュラがルーの顔を踏みつける。ルーはネビュラの足から逃げ出そうと必死に手足を動かした。だけどルーの指先は、地面をむなしく引っ掻いた。
コールとネビュラの後ろから、更に四人の人間が現れた。槍を抱えている。全員マーセナリーだ。
俺の体は、動かなかった。コールが俺に撃ち込んだ銃弾は、恐らくガンナーのスキル【パラライズ・バレット】。小ダメージと、六秒間のスタン付与。
「やれ」
コールが命じ、棒立ちになった俺にマーセナリーのスキルが叩き込まれた。あの構えは、【ヒットザサック】。これもまた、六秒間のスタン付与スキル。
間違いない。これはフィールドPKの必勝法、【スタン回し】だ。
多くのクラスが、六秒のスタン付与を持っている。そしてそのスキルのリキャストは二十四秒。
四人が代わるがわるスタン付与スキルを使い続けると、どうなるか。四人目の付与したスタンが切れる頃には、一人目のリキャストが空けている。
PvEならば、モブのスタン耐性が蓄積していくのでこの戦法は取れない。しかしフィールドPKは、サービス末期に無理やり実装されたもの。プレイヤーにスタン耐性を与えるようなバランス感覚を、すでに運営は捨てていた。
その結果生まれたのが、【スタン回し】。どれだけレベル差があろうと、相手に何もさせなければいずれ殺せる。
受けるダメージは些細なものだ。このままいけば、俺が死ぬまでには四日かかるだろう。
「ゲージの溜まりおっせー」
「なー。眠くなってきた」
「タイミング気を付けろよー。ミスったら死ぬからなー。レイドだと思え」
団員たちはへらへらしながらスキルを回し、俺をその場に釘付けにする。
「ルー……」
コールとネビュラは、俺がゆっくり死んでいくのをしばらく眺めることに決めたようだった。ルーはまだ、ネビュラに踏みにじられている。踏みつけておきながら、ネビュラは俺をキラキラした目で見ている。どう泣き言を漏らして死んでいくのか、楽しみで仕方ないとでも言いたげに。NPCを地べたに這いつくばらせて踏みつけることなど、当たり前のことすぎて気に留める必要などないのだと言いたげに。
「笑えるぜ。あんた強いみたいだけど、NPCにムラっときちまったのが運の尽きだよな」
「お、ゲージ溜まった」
「んじゃよろしくー」
「タイミング気を付けろよー。スタン中に当てないと俺ら死ぬからなー」
俺が死ぬまでの期間を短縮する方法が、一つある。パーティ専用エクストラスキル【フェイタルアーツ】だ。与ダメージや被ダメージ、スキル使用によってゲージを溜めきった時に発動できる。
【フェイタルアーツ】は、ただでさえ高い基礎威力に、パーティメンバー全員の攻撃力を足し合わせたものが乗算される。フィールドPKにはバグがあって、【フェイタルアーツ】を受ける際、プレイヤーの防御力が反映されない。
どうなるか簡単に言うと、俺は死ぬのだ。ここで。数秒後に。
俺を囲む四人のマーセナリーの周囲に、光が満ちた。【フェイタルアーツ】の詠唱が始まったのだ。俺の寿命が確定した。あと五秒だ。
「よーし、適当にやっとけ。行くぞ、ネビュラ」
「あ、はーい」
ネビュラが足を持ち上げた。
直後、
「どひゃーっ!」
叫び声をあげてすっころび、しりもちをついた。
ルーがネビュラの足を掴んで、ひっくり返したのだ。
「勇者様!」
ルーが、走る。赤く長い髪をなびかせて。
「ああああああ!」
絶叫したルーは、全力で人間に体当たりした。
ルーの体当たりを浴びたマーセナリーが、よろめいた。途端に、四人を包んでいた光が掻き消えた。一歩動いたことによって、詠唱が中断されたのだ。
「てめえ……!」
逆上したマーセナリーが、ルーの顎を爪先で蹴り飛ばした。ルーは短い悲鳴を上げて地面を転がった。
「逃げてっ! 勇者様、はやくっ!」
「ダメですよっ! 卑怯です!」
ネビュラがルーの髪を掴んで引っ張り上げた。マーセナリーの一人が、再び【フェイタルアーツ】の詠唱をはじめた。
俺の動きは、ほとんど反射だった。
スタンが解けた瞬間、高速移動スキル【スキャット】を使って、十メートル後退した。
それから、踵を返し、逃げ出していた。
少しでも遠くへ。【フェイタルアーツ】の範囲外へ。死に物狂いで走った。怖くて振り向けなかった。
大正門を抜け、凍るように冷たい【ガメー砂漠】の夜に飛び出した。とっくに範囲から抜け出して、まだ俺は走っていた。無様に泣きながら。
どこか遠くから声が聞こえている気がした。それは俺の声だった。みっともなく泣きわめく声だった。
「大丈夫だ、大丈夫だ……死なない、NPCだから……ルーは死なない、死なない、大丈夫だ……!」
逃げて、逃げて、逃げ続けた。
やがて足がもつれて、息が上がって、俺はよろよろと歩いた。
砂から突き出した岩に背中を預けて、その場に座り込んだ。
俺のすぐ横で、砂が小さくくぼんでいた。
ルーのものだった。
ルーと俺は、わずかな日陰にひっこんで、話をした。汗はすぐに乾いて、ルーはいつまで経ってもAoEの避け方を学ばなくて、赤い髪の生え際が汗でぬれていて、瞳は砂漠そっくりの金色だった。
畜生。
畜生、畜生。
なんで俺は、俺なんだ?
俺では、レシア・ローでは、守れない。
ルーのことを、守れない。
――ほら! ボクたちを助けに来てくれたんだ!
――アイシェ……最初にあの、コールってやつに撃たれた子。知り合いなんだ。
――そうだよ! いま笑ったでしょ! ひどいなあ、ボクは真剣に……っふ、あはははは!
――なんとなくで、普通はNPCに優しくできないよ。だから、勇者様は勇者様なんだ。勇者って、優しくて強いんでしょ?
どうしたらいいのか分からなかった。こんな気持ちになったのは生まれてはじめてだった。
目をつぶっても、ルーの姿は消えてくれなかった。耳をふさいでも、ルーの声は消えてくれなかった。
「死なない、死なないから……」
いつから横たわっていたのか、砂に半ば埋もれたNPC。
いたずら半分に壁に縫い留められて、いつまでも泣きわめいていたNPC。
頭の半分を吹っ飛ばされて、それでも俺を見ていたNPC。
ルー。
――勇者様はウソがヘタだなあ! 作戦を練ってるんでしょ? ボクを騙そうったってそうはいかないさ。だってボクは騙す側だからね!
俺は立ち上がった。
全身が恐怖に震えていた。
振り切るように吼えた。
腹の底から、吼えた。
「勇者じゃない、俺は、勇者なんかじゃない!」
俺は走った。気づけば走っていた。ガメーを目指して。