俺、勇者になる③
【ベンチュラ】が現れて、数日。
ガメーはある意味、活気で満ち溢れた都市になった。
ベンチュラは、渓谷の最奥にある政庁を乗っ取り、ねぐらとした。そして好き放題しはじめた。
シャークトーンが路地を爆走し、人やモノを手あたり次第に奪っていく。逆らうNPCは見せしめとして、剣や槍で壁に四肢を縫い留められる。死ぬことの許されないNPCは、無限に続く痛みに悶え、苦しむ。
降伏し、支持を表明したNPCに待っているのは、地獄のような奉仕活動だ。熱波の吹き荒れる【ガメー砂漠】の開墾作業。昼も夜もなく砂漠を耕し、種を撒き、水をやる。
ゲームシステムが根幹から変わらない限り、この作業は無駄だ。ガメー砂漠にも【菜園】を生成することは可能だが、できるのはプレイヤーだけ。つまりベンチュラは、NPCをいたずらに苦しめたいのだ。
男も女も、ベンチュラの団員に目を付けられれば連れ去られる。クエストを受けて段取りを踏むようなまどろっこしい真似を、ベンチュラはしない。力ずくで組み伏せているのだろう。
今、あいつらの人生は最高に輝いているはずだ。
「はー、参ったなあ。ベンチュラが根こそぎ奪っちゃうせいで、食べ物がほとんどないや」
ぶつぶつ言いながら、部屋にルーが入ってきた。
「勇者様、ゴメンね。今日も豆のスープだけになりそう」
俺はといえば、未だにルーの部屋にいた。どう考えてもバックれるべき状況なのは分かっていながら、ぐずぐずと。
ガメーは広く、ベンチュラは貧民街まで手を伸ばしていない。時間の問題だろうが、今のところここは安全だ。
「さあ、勇者様! 今日も作戦を立てよーう!」
俺は頷いて、テーブルの上にミニマップを展開した。ピンチアウトして、ガメー全体がちょうど映り込むように縮尺を調整する。
ガメーを上から見ると、『Σ』みたいな形をしている。一方の横辺が大正門と表通りで、もう一方の横辺が政庁門と政庁だ。
「まずはこの、政庁門を突破する必要があるよね」
ルーが『Σ』の上辺を指でつついた。政庁門には、あっさり寝返ったガメー騎士団が詰めている。Dotダメージ主体の勇者とはいえ、相手はLv5だ。AoEでまとめて吹き飛ばせるだろう。
もちろん、そんなことをした瞬間バレるに決まっている。出てきた人間に袋叩きにされて終わり。しかし、政庁への進入路はここだけだ。
「よっし、決めた! ここはボクがやるよ。ガメー騎士団を引き付けるから、そのスキに勇者様は政庁に侵入して!」
「お前、レベルは設定されてるのか?」
「ないけど」
「だったら無駄だな。神殿騎士にはLvがあって、スキルも使える」
門番だとか騎士団だとか、Lvを設定されているNPCがいる。奴らのルーチンは、感知した敵の排除が最優先らしい。モンスターのポップ位置とNPCの感知範囲がカブっているせいで、リポップするやつと永遠に戦い続けるNPCを見たことがある。森の中でテントウムシみたいなモンスターをひたすら殺しているところを眺めて、このNPCは何のために生きているんだろう? みたいなことを考えたことがある。
「でもボク、NPCだからさ。死なないわけでしょ? だったら食い下がれるんじゃないかな」
「一撃でツブされたら、食い下がるもクソもないだろ」
「うー……」
ルーは半べそで俺をにらんだ。
「それじゃあ、勇者様がボクに修行をつけてよ!」
予想外の提案だった。なんだそれ。なんの意味があるんだ。
「AoEぐらい避けられるようになったらさ、時間は稼げるでしょ?」
「オートアタックはどうする。タゲられたら確実に当たるぞ」
「射程は五メートルだよね。近づかなければいいんだよ」
三十人もいる騎士団員を、一人で翻弄できるわけがない。こいつの言っていることは、何一つ実現可能性のない単なる妄想だ。
「勇者様ぁ」
甘えたような声を出すなよ。断り方が分からないだろ。
「……バラバラに引き裂かれても知らないからな」
俺は立ち上がった。
「やったあ!」
ルーは心底うれしそうに、ぴょこんと飛び跳ねた。
ガメー砂漠の端っこで、俺とルーは向き合った。
「勇者様、お願いしますっ!」
ぴょこんと頭を下げたルーは、ずれたキャスケットを直しながら頭をあげた。
「ガメー騎士のスキルは、詠唱時間二秒、扇形AoEの【薙ぎ払い】だけだ。扇の先端は本体から七メートル。ゲームをはじめて一分のプレイヤーでも回避できる」
「うん!」
「ただし、お前はNPCだ。おそらく、敵の詠唱バーも範囲も認識できない。騎士がこう構えたら、離れろ」
俺は剣を担いで、【薙ぎ払い】の構えを取った。
勇者のスキルにも、似ているものがある。【薙ぎ払い】と同じく詠唱時間二秒、射程七メートル、扇形AoEの【マルチスラッシュ】。範囲内の全ての相手にDotを付与する。対象を取らないため、どこでも発動できる。
「行くぞ」
試しに発動してみる。
「わっ! わっ!」
ルーは戸惑い、その場で足踏みした。俺はスキル発動直前で一歩動き、詠唱をキャンセルした。レベルを設定されていないNPCのルーには、こっちのスキルは当たらないだろう。しかし、他人に剣を向けるのは気分が悪い。万が一スキルが効果を発揮してルーがバラバラのクズ肉みたいになったら、五年ぐらいはその光景を夢に見ると思う。
「話にならないな」
「だって! 急に来るから……ごめん。もう一回お願いします」
人に何かを教えたことなんて、あるわけがない。誰かにマトモにものを教えてもらった記憶もない。俺にできるのは、淡々とスキルを放ち続けることだけだ。ルーが範囲を体で覚えるか、あるいは諦めるまで。
真昼間のガメー砂漠は、ひどく暑い。そしてルーは、別に物覚えがいいわけではない。何度も何度も【マルチスラッシュ】を放ち、MPが尽きたら【号令:魔力鼓舞】でMPの自然回復速度を上げ……みたいなことを、ただひたすら繰り返す。
俺はいったい何をしているんだ。誰とも関わりたくないから完整領土をはじめた。サービス終了と同時に死ぬつもりだった。それが、これだ。砂漠でNPCに稽古をつけている。なんのために? なんのためにでもないのだ。
ルーはひたむきだった。汗すらたちまち乾く砂漠で、砂を蹴立てながら必死だった。
「MP切れだ。十五分休憩」
俺は宣言し、岩のつくるわずかな日陰に入って水を飲んだ。それから【号令:魔力鼓舞】を自分にかけた。
「あー! ぜんっぜん分かんない!」
俺の横にどすんと座ったルーは、キャスケットの上から頭をばりばり掻いた。
「難しすぎるよ、このゲーム! 勇者様もそう思わない?」
NPCがそれを言うのか。
「あ、勇者様! なんで笑ってるのさ!」
「俺が?」
「そうだよ! いま笑ったでしょ! ひどいなあ、ボクは真剣に……っふ、あはははは!」
なにがおかしいんだ。さっぱり分からない。ホワイトボードを使ってくれ。
「ああー! 勇者様、まだ笑ってる! ひどすぎる!」
ルーは俺の肩に手をかけ、体を曲げてケラケラ笑った。笑いつづけた。
「……ルーは」
俺はルーと会ってからはじめて、自発的に口を開いた。
「そんなに守りたいのか。どのみち滅びるだろ、ガメーは。放っておこうが、人間に占領されようが」
NPCはクエストと【記憶核】にその行動を縛られている。この先どうなるかはともかく、彼らが画期的な商売のアイデアを発見し、NPC同士のやり取りだけで爆発的な経済成長を遂げられるとは思えない。
「勇者様は、ボクのクエストをクリアしたこと無いんだね」
「ない。そもそも、サブクエなんか一つもやってない」
ルーは目を丸くした。
「なんでこのゲームやってたの?」
「RMTのため」
「ああ、そっか。儲かるみたいだよね」
今にして思えば、あれこそ天職だったんだろう。一日二十時間張り付いても、苦にならなかったのだから。
「そういう人間の相手、したことあるなあ。その人間はゲーム内詐欺だったけど」
このゲームには世間一般と金に対する価値観のズレまくった金持ちが多い。アカウントごとレアアイテムを譲る、みたいな胡散臭い話に飛びつくヤツは多かった。
「その人間はまあ、使い走りみたいな感じでさ。いくら稼いでも、ほとんど持ってかれちゃうんだ。詐欺なんてやりたくないって言ってて、だからかなあ、やたらボクのところに通ったんだよね」
ルーは一息ついた。ためらうような、わずかな時間があった。
「ボクの【記憶核】はね、とあるおばあちゃんを騙して、全財産を巻きあげたこと。そのおばあちゃんは、だまされたことを苦にして自殺してしまうんだ」
目を伏せて、口だけ笑ったまま、ルーは言った。
「取り入って、仲良くなって、たくさん嘘をついて……おばあちゃんのことを思い出すと、すごく胸が痛くなるんだよ。偽物の記憶なのに」
NPCは、そういう風にできている。【記憶核】に行動を規定されている。その胸の痛みさえ、プレイヤーのために用意されたものだ。
「だからボクは、機会があれば人を助けたいって思うようにできちゃってる。ボクのクエストは、二つに分岐するんだ。更生してまっとうな道に進むと決意するか、罰として凌辱されるか」
ルーはキャスケットを取った。帽子の中に押し込められていた赤く長いくせ毛が、ふわっと広がった。
「ま、どっちにしてもヤられちゃうんだけどね。単純にボクの外見を気に入った人間も、詐欺なんかやりたくない詐欺師も、最後は同じさ」
痛みを押し隠した笑いが、俺に向けられた。
「そんなところにだよ、勇者様がさっそうと現れて、悪いやつをやっつけてくれた。好きになるよね、そんなの」
だからさ、と、ルーは言葉をつないだ。
「勇者になりたいんだ、ボクも。勇者様みたいに、かっこよく。今のこの世界だったら、なれるかもしれないでしょ?」
「……俺は、勇者じゃない」
お決まりの言葉を吐くと、ルーはくすくす笑った。
「勇者様はウソがヘタだなあ。だったらどうして、ボクの特訓に付き合ってくれたのさ。無意味だって分かってるくせに」
「なんとなくだ。それだけ」
「なんとなくで、普通はNPCに優しくできないよ。だから、勇者様は勇者様なんだ。勇者って、優しくて強いんでしょ?」
ルーの目は真昼の砂漠みたいな金色だった。
「……休憩は終わりだ」
俺は立ち上がった。ルーはキャスケットを被りなおした。赤くて長いくせ毛を、そのままに。
「はいっ! よーし、がんばるぞ!」