少しの工夫でここまで変わる
2018.10.25
一部マナーにそぐわない記述がありますが、現在修正内容を検討中ですので、そのままにしてあります。
ご指摘は控えてくださいますよう、お願いいたします。
→2018.11.27
修正しました。
待ちに待った晩餐会の時が来た。
ピンクベージュの髪を結い上げ、真珠の飾りを散らす。イブニングドレスは紺色。ただしパニエは控えめにして、膨らみを抑えた。雨粒のように丸い水晶のイアリングと、細かいカットが施されたダイヤモンドのネックレスを身に付け、意気揚々とした気分で会場へ向かった。
フォサーティからは、準備は上々だと聞かされていた。はじめは下手に出たこともあって、うまく溶け込めたらしい。この三日間でコミュニケーションをとりつつ、それとなくアドバイスして料理に手を加え、少なくともアドリアーナの味覚には合うようなものにできそうだとか。
これなら、プルミーユの大使夫妻を不快にさせることはないだろう。
ついでに、ブルクハルト王は、アドリアーナの用意した“まずい”料理が喜ばれるのを見ながら、一人悶えていればいい。
……いや、一人ではなかったか。
本日は、オスマン夫妻に加えて、滞在中彼らに付き添っていたこの国の外交官が同席している。もちろんこれは事前に聞かされていたので、彼の分の食事もきちんと用意できている。
夫妻と外交官は互いに良い関係を築けたらしい、アドリアーナが席について料理が出るまでの間、三人は和やかに会話をしていた。濃い目の金髪に碧眼の、眼鏡をかけた外交官は、少し頼りなさげな印象はあるが、理知的で優し気な青年であった。優秀な者にありがちな刺々しさがなく、穏やかな話し方をしている。会話も相手を立てていて、ユーモアもある。大抵の人間は好感を持つだろう。
もしかしたら、と一瞬思ったが、その期待はすぐに振り払った。彼はこの国の住人。毎日あの濃い料理を食べているはずなのだから、反応は期待しないほうがいいだろう。
給仕が皿を配ったのを見計らって、アドリアーナは席から立ち上がった。突然の行動に、王は顔を顰め、他の皆はただ純粋に驚いた様子で、彼女に注目する。
「本日ご用意させていただいた料理につきまして、僭越ながらわたくしのほうから説明させていただきます」
本来は食事に同席するものがすることではないのだが、この場ではアドリアーナが一番出される食事に詳しかったため、アドリアーナ自らが買って出た。他の者ではうまく説明できないだろうし、かといってフォサーティをはじめとした料理人を呼ぶわけにもいかないからだ。
「前菜には、キャベツと玉ねぎ、そして生ハムのサラダを用意させていただきました。ドレッシングは、ヴィネグレットにニンジンのペーストを混ぜたものです」
白い深皿に、キャベツと玉ねぎが食べやすい大きさにスライスされて入っている。その上に乗せられた生ハムは花を模した形できれいに飾り付けられているが、実に地味だった。国王も言ったとおり、この国は土地は気候に恵まれず、痩せた土地も多いせいで彩のある野菜がほとんどないので、仕方のないことだ。
そして、見た目に違わず味もまたシンプルだった。狙ってのことだ。
「あら、美味しい」
思わず、と言った様子で、オスマン夫人が言った。野菜と酢の味しかしないので普段なら物足りないくらいだが、オスマン夫妻は数日間この国の濃い味に耐えてきた。なので、こういったものの方がかえって美味しく感じられるのではないか、と思ったのだ。
そして、その狙いは大きく外れていないと見える。
それにしても、公務でもあのような食事を強制させられて、大使には本当に同情してしまう。もし、この場でもそのような食事を食べさせられていたら、どうなっていたことやら。つくづく引き受けてよかったと思う。
さて。
本番はこれからだ。
「続きまして、スープはジャガイモのポタージュでございます。パンを浸して食べるのもおすすめですので、ぜひお試しください」
ジャガイモを溶けそうなほど柔らかくなるまで煮込み、潰して、牛の乳を加えたスープ。ジャガイモは粗めに潰したうえ、細かく切った玉ねぎとベーコンを加えているため、食感もまた楽しめる逸品である。
パンを浸して食べるのも、硬かったパンが柔らかくなり、ジャガイモの風味が浸み込むので、こちらもまた美味だ。本当は他国ではマナー違反であるのだが、このザルツゼーではパンといえば硬いライ麦パン。平民だろうが、貴族だろうが、王族だろうがこれを口にするので、スープに浸して食べるのが一般的なのだ。
「ジャガイモの甘みがよく出ていて、まろやかだな」
そのあとに、塩加減でこんなに変わるのか、と小さく続けていた。この国の代表的な料理の一つであるため、もしかするとどこかで食べていたのかもしれない。
この言葉がブルクハルトに聞こえていたのかはわからないが、アドリアーナの目論見はうまくいっているようだ。このままお褒めの言葉をいただけたら……王は自らの認識の違いを少しは自覚するだろうか?
ちらっと横目でその人を見てみると、少しばかり眉間に皺が寄っていた。気に入らないのは、味か、評価か、その両方か。どちらにしても、良い気味だ。
さて、もう一人外交官のほうはというと、あちらは目をわずかばかり見開いていた。アドリアーナにとって良い意味で驚いたのか、それとも悪い方か、まだその顔では測れない。
「お次に用意させていただきましたのは、ヴルストでございます。ヴルストは当国を代表する郷土食ですので、前回に引き続き出させていただきました」
この国には、家畜の血を混ぜたという独特のヴルストがあるそうで、今回はそれを出してもらった。前回の赤いものとは違って、ずいぶんと黒ずんでいる。
「こんなものがあるとは! 癖は強いが、慣れると美味だな」
アドリアーナもこれには密かに同意した。今までに食べたことはあったはずなのだが、塩味で分からなかったのだ。塩抜きしてみればこれほど美味しいものがあるとは、アドリアーナも思っていなかった。
「さて、本日はメインの前に、お口直しを用意いたしました。ヨーグルトに梨のソースを掛けたものにございます。ソースはお好きなだけ掛けてお召し上がりくださいませ」
ヨーグルトはこの国にはなかったものであるのだが、フォサーティがこの国の牛乳を使って即席で作ってくれた。砂糖は加えずに酸味を強くしたため、こうしてソースを加えたのである。
「この梨は、もしや先日の?」
「ええ、ケレーアレーゼのものを、煮詰めました」
できればこの国のものを使いたかったのだが、厨房にも、今年の農作物の記録にも果物の類は見られなかった。なので、まだ手元に残っていたアドリアーナの梨を用いたのである。いくら寒冷地とはいえ、リンゴやベリーくらいは育つだろうに……この辺りは後々調査しなければいけない。
「ちょうどいい甘さだわ。ヨーグルトの酸味にあっていて、口の中がさっぱりするわね」
これはフォサーティの努力の賜物だ。ヨーグルトの風味を損なわないよう、念入りにソースの甘みを調節してくれた。梨はあくまで引き立て役に徹し、ヨーグルトの酸味を強めにすることで、口の中に残ったヴルストの濃厚さをリセットするようにしたのだ。
「本日のメインは、鶏肉のローストを用意いたしました。ウィスキーで薫り付けし、オニオンソースを添えたものです」
下味は塩・胡椒で薄めにして、ウィスキーで風味付けした。すりおろした玉ねぎを煮詰めたソースは、甘くあっさりとしている。焼き加減も最高で、外はカリカリ、中は柔らかく、噛めば肉の旨味があふれ出す。いろいろな風味の混ざったヴルストと違いシンプルではあるので、肉ばかりの食事にも飽きが来ない。
特に言葉はなかったが、客人には満足してもらえたようだった。二人とも頷きながら、楽しそうに手と口を動かしていた。隣の王とは大違いである。
「最後にデザートとなります。ライ麦のパンに胡桃とケシの実を練り込んだ、この国の祭日に食べる特別なパンでございます。ホイップクリームとアイスクリームを添えましたので、付けながらお召し上がりください」
アドリアーナが無理やり入れさせたデザートは、フォサーティの機転でこのようなものが採用された。パンは酸っぱいが、胡桃とケシの食感が楽しめる。本来はパンの表面には蜂蜜がベタベタと塗られているらしいのだが、今回はホイップクリームとアイスクリームを付けるということで、蜂蜜は控えめだった。
デザートというには些か物足りなくはあるのだが、実にこの国らしい菓子だった。
祭日に食べる、ということから、自然と会話がこの国の文化のこととなった。生憎、こちらは王や外交官の方が詳しいので、アドリアーナは黙りを決め込むこととなってしまったのだが、大使夫妻は楽しそうに話していた。
「いや、実に素晴らしい食事でした」
全ての皿が片付き、紅茶が出されたところで、本当に満ち足りた様子でオスマン大使は頷いた。三日前とは違い、その瞳に偽りはない様子だった。
その後は、紅茶がなくなるまで話は弾んだ。たった今食べた食事のことから、この国の風土のことまでと話題は幅広く、空気は終始和やかだった。以前のようにぎくしゃくとした雰囲気もない。大使夫婦の機嫌も良い。
味付けを工夫しただけで、ここまで客人の反応が変わったのだ。
アドリアーナは、自らの成功を確信した。
しかしそれ以上に、プラミーユの大使に不満を残すことなく送り出せることに安堵したのだった。
ザルツゼーの(改善した)料理は、ドイツ料理を参考にしております。
しかし、設定上食材が少なかったりしますので、創作も入っています。