塩の国の料理を変えた王妃様
本日、二話連続更新です。
もう一話投稿されていますので、ご注意下さい。
ザルツゼー。大陸の北側に位置する、山間の小国。人口はわずか一万五千と少ないが、良質な岩塩が採れることで有名で、これが国の主な収入源となっている。
国の中央にあるザルツァン湖の岸辺に位置する王都は、その湖の美しさと、木造建築の並ぶ街並みから、景勝地として近年名を馳せ、観光客が増加していた。また、王都の外れにある岩塩坑は、現在も採掘が行われている一方で、一部が観光向けに公開されており、多くの人を招いている。
そんなザルツゼーの魅力の一つに、現地の料理がある。寒冷地ゆえに数少ない農産物から作られたそれは、素朴でありながらも味わい深い一品が揃っている。
例えば、ヴルスト。肉の種類だけでも牛、豚、鹿と、家畜肉か狩猟肉かを問わずに豊富にあるうえ、加工も肉だけであったり、血を混ぜてみたり、ハーブや野菜を混ぜてみたりと実に多彩である。ただし、塩辛いので調理は茹でて塩抜きするのがおすすめだ。
例えば、塩釜焼き。塩の釜の中に肉や魚を包み込んでそのまま焼くというなかなか大胆な調理法の料理は、素材を活かしたほどよい塩気で美味しいのだが、なによりも目を引くのは、料理の取りだし方。木槌で釜を割るというのは衝撃的で、これを見たいがために店を予約する者が多くいた。ザルツゼーの特産物を活かした料理として、これほど目を引くものはないだろう。
例えば、レープクーヘン。クッキーに似たその焼き菓子は蜂蜜と香辛料がたっぷりと効いている。甘く香ばしいのに加え、成型も多種多様であるから、子供には人気のお菓子だ。
このように数多の料理が注目されているが、実はこの国の食事は、以前はあまりに塩辛く、とてもではないが食べられないものであったという。
それがこのように食文化が花開いた背景には、王妃の存在があった。
年の終わりも近づき、日に日に寒さが厳しくなってきたある日。菓子を抱えて王城の中へ入ったイルメラは、騎士テオの先導で城の中を歩いていた。自分の店を持って十年。多くの支援もあって繁盛し、大きくなった菓子店は、王家御用達と冠につけられるほどに名高くなっていた。
そして彼女は今日、年末を祝う特別な菓子が欲しいという王妃の要望に応じて、王家御用達の銘に相応しくこうして連れを伴って菓子を届けに登城しているわけである。
「王妃様、ケレーアレーゼの出身なんでしょ? うまい飯を知っているのは当然じゃないですか」
寒さに手を悴ませていたイルメラの連れは、一抱えもある大きな白い箱を慎重に運びながらそう言った。
イルメラの菓子店の新人従業員ダニエルは、異国ポルキッサからザルツゼーに来た青年だ。年の頃は二十五。身寄りもなく、職もなく、故郷に思い入れもなく、日雇い仕事で金を稼ぎながら国々を旅して回っていたところをイルメラが拾った。店を手伝わせたところ、結構な働きぶりをみせたので、そのまま正式な従業員として雇うこととなったのだ。
今日は荷物持ちと王妃への顔見せをかねて、ダニエルをここに連れてきた。その道中、異国人の彼にザルツゼーの食文化の話をしてやって――上の発言に至るわけだ。
「それはそうなんだけどね。でも、ただ味覚が良いってだけじゃあ、きっとここまで食文化は発展しなかったよ。なんて言ったってこの国の人たちは馬鹿舌で、味が濃いか薄いかで良し悪しを判断していた状態だったんだから」
「へえ、師匠も? なんだか意外だなぁ」
「まあ、私はその中でも舌が良いほうだったんだけど……」
ひたすら塩辛いだけの食事を平然と食べていた辺り、あまり偉そうなことは言えない。
「着きましたよ」
ある部屋の前で止まったテオはイルメラたちの方を振り返ったあと、扉をノックした。
「失礼します。イルメラ様ご一行がご到着です」
蝶番の軋む音もなく扉が開かれると、弾丸のように小さな影が二つ、イルメラの前に飛び込んできた。
「こんにちは、イルメラ!」
「こんにちは!」
元気よく彼女の前に立つのは、二人の子供たちである。一人は薄紅色の男の子。もう一人は黒色の男の子。どちらも今年七歳になる、この国の王子様だ。
「こんにちは、ブルーノ殿下、クルト殿下」
薄紅色――王妃アドリアーナの子のほうが、ブルーノ。黒色――側妃コリンナの子のほうがクルトだ。母親が異なる上、クルトのほうが半年ほど早く生まれているのだが、二人ともまるで双子のように仲が良く、いつも一緒にいる。
「ねえねえ、今日は何を持ってきたの?」
「こら、お前たち! お行儀よくしなさい!」
部屋の奥から、また一人王子が現れた。銀色の髪を持つその王子は、弟を叱りつけて部屋の中へと入れると、背筋を伸ばしてイルメラに挨拶した。
「ようこそいらっしゃいました、イルメラ様。弟たちが無礼で申し訳ありません」
礼儀正しくイルメラたちを部屋に通す姿に、王子相手に失礼だとは思いながらも、イルメラは微笑ましさを感じてしまった。十になったこの王子は、つい最近まで二人の弟に負けないほどのわんぱくぶりを発揮していたのだ。それが今では年長者らしく振る舞って……赤ん坊の頃からその成長を見てきた身としては、感動もひとしおというものだ。
「構いませんよ、アロイス殿下。子供は元気が一番です」
「それが、元気すぎて困ったものなのよ」
通された部屋――王家の人々が専用に使っている憩いの間の真ん中でイルメラを出迎えたのは、ピンクベージュの髪色が目を引く王妃アドリアーナである。髪色と薄青のドレス、それに飴色の瞳も相まって、御歳三十四とは思えない甘い雰囲気が漂っていた。
「ドリー様。本日はお招きありがとうございます」
「ようこそ、イルメラ。そちらは?」
王妃アドリアーナは、次から次に現れる王家の一員に目を白黒させているダニエルを示した。
「ダニエルです。半年前に店で雇ったんです」
「ようこそ。王妃のアドリアーナよ。イルメラのところには、よくお世話になっているの。今後とも縁があると思うから、よろしくね」
「は、はい……」
城に入ったときはまだ元気だったのに、カチコチに固まってしまったダニエルを見たアドリアーナは、彼に一つ微笑むとテオと話していた侍女を呼んだ。
「お客様が増えたわね。ヨハンナ、準備をお願い」
畏まりました、と部屋を出ていく侍女を見て、イルメラはようやく自分の失敗に気がついた。
「申し訳ございません。連れがいることを連絡すべきでした」
「お茶の一杯くらい構わないわ。それに、お茶菓子はそちらが用意してくれたのでしょう?」
そうしてダニエルのほうに視線を飛ばす。彼の持つ箱が今日お届けする一品であることに気付いているようだ。
「はい。年末恒例のレープクーヘンです。が、ちょっと特別なんですよ」
わ、と子供たちが沸き立つ声がする。特別、と聞いて期待が高まってしまったらしい。
「ほらほら、お行儀良くしなさい」
アドリアーナは苦笑しながら子供たちを諌めると、アロイスの名前を呼んだ。
「ほら、僕らはあっちだ」
アドリアーナの意を受けたアロイスは、クルトとブルーノの他、二人の弟妹たちを部屋に二つある円卓の一つへと先導し始めた。素直に従う声、文句を言う声、全く違うことをおしゃべりする声。
「……賑やかですね」
「ええ。子どもが五人もいると本当に」