腹を括るしかない
「……そなたが侍女に諭されるとはな」
エミーリアが部屋を出ていき、一人立ったまま考え込んでいると、ブルクハルトは苦笑しながら言った。笑われたのが悔しくて、アドリアーナは鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
「長年の恋人に、間を取り成していただいた陛下には言われたくございません」
「仕方がないだろう。そなたはこの三年、仕事にかこつけて私を避けていたではないか」
「そのようなことはございません」
避けるだなんてとんでもない。馬に蹴られたくなかったから、必要以上に近づかなかっただけなのだが、ブルクハルトは恨みがましい目でアドリアーナを睨み付けた。
「庭の散策に行かないかと誘っても、仕事があるから、とのらりくらりと躱していただろう」
「だって本当にお仕事だったのですもの」
たぶんあったはずだ。やりたいことは常にたくさんあるのだから、ただの言い訳にはなっていないはず。
「私は、陛下とコリンナ様が仲良くしていただければ、それでよろしかったのです。私はもう王妃として皆様に認められましたし、王族としての使命を果たすことさえできれば、十分でした」
「私がそれに満足できなかったのだがな……」
ぽつりと落とされた言葉に、アドリアーナは動揺した。まるでアドリアーナと心を通わせたがっているかのように受け取れる。そんなはずはない、と思いながらも、エミーリアが置き去りにした言葉が頭の中で反芻された。
「コリンナ様とのお子は、本当に望めませんの?」
「ズートリンクスから戻ってきて三年、兆しがなかったのだ。彼女自身、体調が不安定な方であるらしい。可能性が潰えたわけではないだろうが、楽観視はできないだろうな」
「そうですか……」
もともとの体質か、それとも父の罪や働きだしたことが影響しているのか。いずれにしても、本人は相当悩んだことだろう。愛する人との子を得られない辛さ。それを責めてくる周囲。彼女にかかった負担はどれ程のものだっただろうか。
「コリンナ様は、気にしておられませんか? 以前は陛下を私に取られまいと、あれほど必死でいらしたのに」
エミーリアに唆されたとはいえ、アドリアーナに任せることを決めたのはコリンナだ。さぞかし悔しいことだろう、とアドリアーナは推測したのだが。
「むしろそなたに負担を強いるのではないか、とそちらを気にしていたな。そなたの侍女と話をしたのもその所為だろう」
その上でああいう風に迫ったのだから、エミーリアは本当に何を吹き込んだのやら。なかなか強引な事をする侍女に嘆息した。
「後継者争いを懸念しているのか?」
「母親の違う王子たちが争うのが国家の常です。同母異母に関わらず兄弟仲の良い我が国でも、不本意ながら起こってしまったのですから、私とコリンナ様の両方に男児が産まれた場合には、起きてしまうものと見なして良いかと」
「だからこそ、そなたが長子を産めば回避できる話だろう、とあのような強行手段に出たのだ」
それはそうだ。ケレーアレーゼの騒動も、正妃の息子であるアドリアーナの同腹の兄が後継者となることで収束したのだから。正妃が一番はじめに後継者となる男児を産めば、よほどのことがない限りは反対は起きない。
「脅迫とも取れるのですが」
「まあ、それは確かに……」
どこかで薄々そう思っていたのだろう。ブルクハルトは苦笑した。
「だが、本当になりふり構わないのなら、そなたを脅迫するより別の側妃をとったほうが早い。実際に勧められたしな」
アドリアーナと婚姻を結んで七年、コリンナを側に置くようになってもう十年になる。それなのに子が一人もいないとなれば、周囲がせっついて来るのも道理だろう。
だが、ブルクハルトはそれを断ったのだという。コリンナにこだわったからではなく、アドリアーナという可能性が残っていたから。
「もし、本当に嫌なのならば、出ていくが……」
おずおずとアドリアーナを見上げるブルクハルトは、親の顔色を伺う子供のようだった。なるほど、この頼りなさがコリンナの言う“お可愛らしい”か、と察した。アドリアーナとしては、しっかりしろと尻を叩きたくなる。
が、まあそれはそれとして。
「……私との子を、お望みですか」
「心から」
「はあ……分かりました」
そこまで言われてしまえば、アドリアーナは受けるしかない。これ以上、子供の問題で事を拗らせるわけにもいかないし、もともと数年前まで子を作らせろと迫っていたのはアドリアーナの方なのだ。彼らにここまで言わせておいて、かつて割り切れと言っていた人間が割り切れなくてどうする。
「その代わり、コリンナ様に薬を服用するのを止めるようお伝えください」
「良いのか?」
「万が一のことがあったら、黙らせれば良いのでしょう」
それが面倒で仕方がなかったから身を引いたのだが、こうなったら腹を括る他ないだろう。ここまでのことを仕出かしたのだから、万が一の事が起きればエミーリアも率先して働いてくれるだろう。
嫁いで来たときとは違って、議会での発言権もある。以前よりはアドリアーナの意見が通りやすくなっているのだから、王妃の権力に訴えることもできるわけだ。
「そうだな。三人寄れば文殊の知恵、ともいう。何かしら打開策は講じられるだろう」
エミーリアとの会話を聴いていたからだろうか、アドリアーナがかつて実家でやっていた“話し合い”もしようと提案してくれている。アドリアーナの理想を叶えてくれようとでもいうのだろうか。
なんだかこそばゆく、その一方で少し苦い。とても複雑な気分。
だが、まあ、することは変わらない。
「ひとまず、いただきましょう」
王に食を勧め、自らはウイスキーに手を伸ばす。そうでもしないと、どうにかなりそうだった。なにせ王と寝台を共にするのは七年前の初夜以来となるわけだ。この歳になって初なことを言う気はないが、気恥ずかしさは拭えない。
いっそ酔い潰れてしまえばやり過ごすこともできるのではないか、と考えるが、コリンナのことや後継者の問題が頭を過ってしまい、それも躊躇われる。
そうして悶々としているアドリアーナの傍らで、ブルクハルトは料理に舌鼓を打っていた。すでに覚悟が決まっているのか、こちらは腹立たしいほどに冷静だ。
「……それにしても、本当に味覚が変わられましたのね。私の口に合うものをお食べになるなんて」
アドリアーナの出す食事にいちいちけちをつけていたあの頃と比べると、黙々と食べている姿に妙に感じ入ってしまう。昔は、この国の伝統が、と言っていたというのに、もう新しい料理に抵抗はないようだ。
「外交の場ではそなたの食事に付き合わされたからな。薄味になれてしまうと、あちらが塩辛くて仕方がない」
意地も見栄も張らずに答えるのだから、この人も本当に変わったものだ。
落ち着いているのが腹立たしくて、アドリアーナは意趣返しをすることにした。
料理の一つ、厚手のパスタ生地にほうれん草を肉と一緒に包んだものを手で指し示し、にっこりと笑う。
「こちらも如何ですか? かつて私がお出しした雑草が使われておりますけれど」
「……悪かった。あれは私が狭量だった」
ブルクハルトは食べる手を止め、神妙に頭を下げる。
「ついでに申しあげると、今晩のお相手は乳臭い娘でございますが、お覚悟のほどはできておりまして?」
「本当に悪かった! 私が大人げなかった!」
ついにはカトラリーを放り出して土下座せんばかりに謝るブルクハルトに、アドリアーナは溜飲を下げた。にやにやと口角が上がってしまうのを止められない。
そんなアドリアーナを見て、からかわれたのだと気付いたブルクハルトは、肩を竦めた。それからじっとアドリアーナの方を見つめる。
実に真剣に見つめるものだから、アドリアーナの身体は固まってしまった。
「今晩そなたのもとを訪れたのは、なにも子供の問題やコリンナのことがあるからというだけではないのだ」
薄々感じ取っていた想いを察し、思わずブルクハルトから身を離そうとするが、手を掴まれて防がれた。
「どうやら回りくどく言っても躱されるらしいから、率直に言おう。私は、そなたに惹かれている。そなたとこの国を守り、共に歩んでいきたいと、切に願っている」
口説かれているのだと知り、触れられている箇所がなんだかむず痒くなって手を引こうとしたが、またも強い力で止められた。なにがなんでも逃がす気がないらしい。
「無論、コリンナのことは変わらず愛しているが……今晩のことは、決して義務だけでそなたのもとを訪れたわけではないことを知って欲しい」
ようやく我に返ったアドリアーナは、今度こそブルクハルトから手を引くと、もう片方の手で庇うように包み込んで、目の前の男から目を逸らした。
「そんな……幻滅ですわ」
「げ、幻滅……」
ひきつった声で繰り返すブルクハルトを、アドリアーナは軽く睨んでみせた。
「私も、陛下とコリンナ様のロマンスのファンでしたのに……」
王族や貴族が一人の相手に一途に慕情を貫き通すのは、極めて稀だ。あり得ないからこそ憧れて、手に入れられないからこそ応援しようと思っていたのに、ここへ来て裏切られた気分である。
コリンナからアドリアーナへ心変わりしたというわけではないようなので、その点は安心したが。
「でも、分かりました。私も複数の妻を持つ父の下に生まれた女です。陛下のお気持ちを受け取れるよう、努力いたしますわ」
そう宣言してアドリアーナはにやりと笑うと、酒の残った杯を勢いよく仰いだのだった。
次回の更新で最終話投稿となります。