侍女は主を知っている
「それで、結局どの料理が選ばれたのだ?」
試食会が終わったあとの夕食の席で、コリンナと二人で催しの様子を報告していたのを聞いていたブルクハルトが、興味深げに尋ねた。
「それが変わったお料理で。肉料理だったのですが、これがなんと固めたお塩の中に入っていたのです」
はじめ皿の上には、大きな繭型の、石膏の塊のようなものがぽつんと置かれていただけだった。正体が全くわからず、どう食べたものか、いやそもそもこれは料理なのか、と一同遠巻きに眺めていたのだ。
その塊がたくさんの塩に小麦粉と卵白を加えて整形し、焼き固めたものだと知ったのは、その後のこと。
「木槌で殻を割って料理が出てきたときは圧巻でしたわね」
皿の前にスタッフが木槌を持って現れたときのことを思いだし、アドリアーナは言った。彼はその木槌でガンガンと白い殻を叩き割りだしたときは、本当に何事かと思った。殻の中から肉の塊が出てきたのを見てようやく、それが料理であることを呑み込めたのである。
肉の塊はローストビーフで、切り分けると鮮やかな薔薇色の中身が顔を出した。解説を聞いていくうちに料理人たちは調理法やその出来が気になってきたらしく、その料理に人が殺到したものだ。
「あれなら、注目されること間違いなしです」
国の要である塩も使われているし、インパクトも充分。中の肉は柔らかく、シンプルだがほどよい塩気が堪らなかった。
それに、肉だけでなく魚や芋などの野菜でもできるらしい。バリエーションの広さも票を集めた理由のようだ。
「でも、他のお料理も本当に美味しいものばかりで……一つに搾り込んでしまうのは惜しかったですわね」
アドリアーナは結局四十種類すべてを試食した。何とも言えないものもいくつかあったが、予想以上に良くできた料理が本当に多かったのだ。アドリアーナも最後は五種類の中から悩んだ末に選んだ。
数年前までは、あれだけ味付けが不評だった国の料理とは思えない。
「そうか。残念だな。私も味見してみたかった」
「あら、そうおっしゃると思って、陛下にも残してありますのよ。さすがにすべては用意できませんでしたし、冷めたものになってしまいますけど」
いつの間にそんな指示をしていたのだろうか。コリンナの手際の良さに、アドリアーナは驚いた。そもそも、アドリアーナはブルクハルトがそこまで関心を持つことさえ予想していなかったのだ。
さすが長年付き合っているだけのことはあるな、と一人感心していると。
「今日はお料理を少なめにしてもらいましたから、この後王妃様のところで召し上がっては如何ですか?」
「……はい?」
さらに続けられた言葉に、意表を突かれてしまった。
「いえいえ、私のことはお構い無く。陛下はコリンナ様とお食べになった方が楽しいでしょう?」
確かに、もう少し食べられたら、と思っていたにはいたのだが、いくらアドリアーナの食い意地が張っているからといっても、ブルクハルトのために用意されたものを羨むようなことはしない。
そもそも、ここで出せば良い話なのに、どうしてそうしないのか。
それは、コリンナの悪戯めいた笑みで悟ってしまった。
「王妃様。先日のお話、覚えていらっしゃいますか?」
「う……えっと……」
ひやり、と背中に汗が流れる。
ちらり、と横目でブルクハルトを見る。彼もまた苦い表情をしているのだが、コリンナの言葉を撤回させようとしなかった。
「良い機会ですから、一度お二人でお話ししてくださいな」
やんわりと言いながらも、有無を言わせない雰囲気のコリンナに、アドリアーナは拒むこともできず、ただ諾々と頷くのだった。
「本当にいらっしゃいましたのね……」
「まあ、な」
そんなまさかと思いつつ、あれよあれよと侍女たちに湯浴びさせられて。出てきた頃にブルクハルトが部屋を訪れたと聞いて、アドリアーナは出迎えの体勢のまま溜め息を吐いた。羽織ったガウンの下のネグリジェは、アドリアーナのこれまで見たことのないもので、このときのために用意されたことが伺い知れる。扇情的なものでないだけ救いか。
まさか追い出すわけにもいかず、ブルクハルトを部屋に通し、アドリアーナが普段読書などに使っているソファーを勧める。その隣に座ることなどできず、立ち尽くしている間に、エミーリアがコリンナの言っていた試食会の料理を運んで来たのだった。
「貴女はいつコリンナ様と結託したのかしら?」
じろり、とエミーリアを睨んだ。薬の件といい、今回の用意周到さといい、コリンナとひそかに打ち合わせていたとしか思えない。
「結託などとんでもない。利害が一致しただけにございます」
エミーリアはすました顔で応えた。
「コリンナ様に薬まで渡して……。どうせ、貴女が持ちかけたのでしょう?」
コリンナがエミーリアに避妊薬を所望した理由。どう考えても、エミーリアから薬のことを話したとしか思えなかった。
これまでの態度から、コリンナ自身が、アドリアーナが薬を盛っていたことを突き止めたとは思えない。他の侍女が突き止めていたのなら、もっと前に騒ぎになっているはずだ。そして、アドリアーナも白状していないのだから、残るは彼女しかいない。
「そうでもしないことには、お兄様方のことを言い訳にコリンナ様に遠慮して、子供を作ろうとはお考えになりませんでしょうから」
「考えるもなにも、陛下に妻としての私は必要なかったでしょう」
ブルクハルトにはコリンナがいるのだから。子供の件は確かに問題になって、アドリアーナの必要性が出てきてしまったかもしれないが、ブルクハルトとはただの国を守る同志でしかなかったのだから。
同意を得ようとしてブルクハルトの方を見ると、何故か彼は期待と落胆がないまぜになったような複雑な表情でアドリアーナを見ていた。
「決めつけるのは如何なものかと」
ズバリとエミーリアに指摘されて、言葉に詰まった。以前ブルクハルトと和解したときのことが思い出されるのは、そのときと同じような過ちを犯そうとしているからなのだろうか。
「これまで仲の良いご家族の中でお過ごしになったアドリアーナ様が、いくら仕事好きだからとはいえ、嫁ぎ先でご家族を持たれることを本当に諦められるとは思えません」
「それは……」
これでも、嫁ぐ前はザルツゼーの国王と良好な関係を築いていこうと思っていたのだ。側妃がいることも知っていたから、そちらとも、と。
結局嫁いだ直後は、ブルクハルトとは国の慣習の違いで仲違いし、コリンナには恋敵のように見なされてしまったけれど。
「昔はともかく、今なら望みは叶います。今の状況からもう一歩踏み出すだけです」
ブルクハルトと和解し、コリンナとの確執もなくなった今では、お互いに友好関係にある。それがかつてアドリアーナの望んだ状態に近いと言われれば、そうなのかもしれない。
「後継ぎの問題も、話し合えば解決することです。ケレーアレーゼにいらしたときも、そうやって解決してきたではないですか」
アドリアーナの家族には、週に二度ほど、夕食後に家族だけで談話室に集まってお茶を飲む習慣があった。親子兄弟で思い思いのことを喋るのがほとんどだったが、ときに政治や仕事に絡んだ話をすることもあった。困ったときは話を持ち込んで、皆で解決策を話し合ったものだ。
アドリアーナは途中から居なくなったが、兄の後継者問題もそうやって解決されたはずだ。
「それとも、陛下とコリンナ様が仲睦まじくしている光景を蚊帳の外でただ眺めているのが、貴女様の幸せですか?」
次々と畳み掛けられて、アドリアーナは反論の言葉を無くしてしまった。こう言われると、まるで自分から不幸な立場に身を置いているような気がしてきて、滑稽に見えてくる。
アドリアーナはもう一度ブルクハルトを見た。コリンナの意見は聞いた。彼はどう思っているのだろう。
「まずは話し合いから、です」
そして今がそのときなのです、とエミーリアはきっぱりと告げた。