それでも手離せないならば
ブルクハルトと話があるから、とオリヴァーとヨハンナを呼び寄せてコリンナの部屋に残し、アドリアーナたちはエミーリアを引き連れて王の執務室へと向かった。
「……すまなかった」
部屋に入るや否や、ブルクハルトはアドリアーナに頭を下げた。
「私がどうかしていた。もう少し冷静に話を聞くべきだった」
下がったブルクハルトの後頭部をじとっと見つめていたアドリアーナは、一向に頭を上げる様子を見せない王に肩を竦めた。
「その事にもう少しお早く気付いて下さらなければ困ります。それから、謝る相手が違うのでは?」
「コリンナにももちろん謝罪するが、そなたにも面倒を掛けただろう。だから、謝罪する」
アドリアーナはため息を吐いた後、頭を上げるよう促した。このようなところを誰かに見られたら、大変だ。現に、アドリアーナたちが入る前からずっとこの部屋にいたらしいブルクハルトの補佐官は、何事かと目を見開いて固まっている。
「それはそうと、今回の件について、まだお話ししなければならないことがございます」
実は先ほど調査結果を知らせた際に合わせて話すつもりだったのだが、ブルクハルトが怒って出ていってしまったため話しそびれていたのだ。だが、ああも取り乱すようでは、結果的に良かったのだと思う。もしこのことも合わせて知っていたら、ブルクハルトの暴走でコリンナがどうなっていたかも分からない。
お互いにソファーに腰かけたあと、アドリアーナは傍らに立ったままのエミーリアを促した。伝え聞いたアドリアーナが話すよりも、調べた本人が話す方が誤解が少ないと思ったのだ。
王の前で発言せよと言われたアドリアーナの侍女は、王相手といえども萎縮することなく淡々と口を開いた。
「実は、ウルリヒは、ヴォイエンタールの指示でこの事件を起こしたものと推測されます」
「な……馬鹿な!」
さっと一瞬で気色ばむが、ブルクハルトはすぐに冷静さを取り戻し、話を続けるよう命じた。
「ウルリヒ商会は、今年の秋頃から、ヴォイエンタールとの取引が増加していました」
園遊会のときに着ていたコリンナのドレスはヴォイエンタールの流行物だった。それに、この冬に流行したバタークリームのケーキ。あれはコリンナが自身の茶会で流行らせたものなのだが、あれも元はヴォイエンタールで作られていたものだ。この冬でウルリヒ商会がヴォイエンタールとの取引が増えていることがよく分かる。
「まさか……それだけで?」
「それこそまさか。商取引だけなら、何処でもやっていますもの」
もともとは一つの国だったのだ。国同士政治が絡むとお互い気に入らない相手だが、商売や生活のこととなると何を望んでいるのかをよく知っている。取引しやすい相手だろう。
「しかし、ウルリヒの秘書は、ウルリヒが畑に塩を撒く凶行に及んだのは、東の国の取引相手から吹き込まれたからだと証言していたそうですよ」
最近のアドリアーナの活躍でコリンナ人気に影響が出ることを懸念していた彼は、うっかりなのかまでは知らないが、ヴォイエンタールの取引相手に度々愚痴を溢していたらしい。それを聴いていた相手は、親切にも王妃の進めている事業を妨害すれば良いと助言をしてくれたようである。
アドリアーナが関わっている畑の作物が枯れれば、民は王妃が余計な口出しをした所為で作物が枯れたのだと疑う。異国生まれの王妃の評判は、たちまち下がることだろう、と。
コリンナの件で王妃を疎ましく思っていたウルリヒは、それに飛び付いたというわけだ。
「それだけではなく、畑を駄目にしたあとで直面する食糧危機の際、ウルリヒはヴォイエンタールから食糧を買い付ける予定だったようです」
そしてこの国で売り捌く。もしくは、コリンナ様の名前で国に献上するつもりだったのだろう。前者ならばウルリヒには利益があるし、後者ならばコリンナは慈悲深い側妃として民からの支持を得る。ウルリヒの中ではそういう算段だったのだろう。
その一方で、ヴォイエンタールはザルツゼーに恩を売りつけて、要求を拒みにくくなるような状況に仕立てあげることができるというわけだ。
ついでに言えば、アドリアーナの評判が下がっているから、王妃の故国であるケレーアレーゼはザルツゼーに口出しできない。ヴォイエンタールはますますザルツゼーに関わりやすくなっていたことだろう。
因みに、秘書がきっちりこの食糧買い付けの件を議事録に残していた。ウルリヒ本人と取引相手のサインも残されていたので、内容に偽りはないだろう。塩を撒くことは当然書かれてはいなかったが、今年に食糧危機が起こることが想定された内容だったので、まず推測に間違いはない。
「なんてことだ……」
エミーリアとアドリアーナの考察を聴き終えると、ブルクハルトは頭を抱えた。恋人の父親に売国の疑いまで出てきたのだ。それなりに良好な関係だったようだから、苦悩は大きいはずだ。
「まあ、実際のところ、いいように利用されただけなのでしょうけれど」
おそらくウルリヒは、ただコリンナのためにしたのだろう。娘にもう一度注目を集めさせたかっただけ。だからコリンナにドレスを与え、菓子を与えた。それがヴォイエンタールのものだったのは、かつてザルツゼーが属していたこともあって、彼の国の文化がこちらで受け入れやすいものであったからというだけのこと。
そして、その親心につけこまれ、唆された。彼はそれに乗ってしまっただけなのだ。
その一言に、ブルクハルトは顔を上げた。
「その確証があるのか?」
「確証、というほどのものでもございませんが。先程の反応から、コリンナ様はまず白でしょう。ウルリヒもコリンナ様の民からの評判を得ることが目的だったようですし、となればザルツゼーを潰す理由がありません」
そのように自分の利益ばかりを追い求めた結果、ヴォイエンタールに利用され、民を苦しめるばかりか国を危機に晒したのだから、本当に浅はかとしか言いようがないが。
――本当に、軽率すぎて頭に来る。
ブルクハルトの所為で怒りそびれていたが、アドリアーナも相当に腹を立てていたのだ。人目がなければ一発殴るくらいの事はしていたかもしれない。
思わず震えた拳を抑えて、思考を切り替える。
「この件は、内々の話にしておきましょう。今後のコリンナ様に影響があるでしょうし」
「そうだな」
ブルクハルトは背後へと目を向けた。自分の机で仕事をしながら聞き耳を立てていた補佐官は心得たとばかりに頷いている。どんな人物かは知らないが、ブルクハルトが側に置いているくらいなのだから、信用できるのだろうと判断した。
「今回の事は、ヴォイエンタールもまさかうまく行くとは思っていないでしょう。脅し、と見て良いかと」
ブルクハルトは同意した。
「そなたの輿入れに加え、先日メルキオッレ殿が訪ねてきたこともある。ケレーアレーゼを味方にしても、退く気はないということか……」
アドリアーナを王妃に据えても、少しもなくならない大国の脅威に、ブルクハルトもほとほと参っているようだった。王は大きなため息を吐くと、己の手を組んで額を乗せた。
「……だが、今回のように弱みになりかねないと判っていても、私はコリンナを自ら手離せそうにない。七ヶ月後、コリンナに戻ってきてもらうよう乞うつもりだ」
それから顔をあげると、真剣な眼差しでアドリアーナを見つめた。
「そなたはまた一時の感情かと思うかもしれないが……私はやはり彼女を愛しているのだ」
もちろん、コリンナの意見を尊重するが、あと一度だけで良いからすがってみたいのだ、とブルクハルトは言った。
ここまで言われると、本当に感服せざるを得ない。世間が騒ぐだけの事はある。これだけ深い愛情を見せられれば、身分差で本来あり得ない恋であろうと許してみたくなるものだ。
見た目が好みなだけ、というアドリアーナの評価は間違いだったのかもしれない。関係があったとしても、きっかけに過ぎなかったのだろう。
――あとは、コリンナが受け入れるかどうかだが。
「私は一向に構いません。でも万が一断られるようなことがあったら、コリンナ様は行く先もないでしょう。そのときは、ケレーアレーゼで手厚く保護することを約束いたしますわ」
もとは平民であるコリンナならば市井でも人並みに暮らしていく術を心得ているだろうが、父の仕出かした事を考えると、この国の民に受け入れられる可能性は低いだろう。ならばいっそ新天地に向かう方が、彼女のためになるはずだ。
もちろん、あちらでも真っ当に生活していけるよう取り計らった上でのことである。
「重ね重ねすまない……ありがとう」
ブルクハルトはもう一度頭を下げる。
「それでも、ウルリヒは容赦いたしませんけれども」
「それは、承知している。法に則ってしっかり裁いてもらう」
満足して、アドリアーナはもう一度笑みを浮かべた。
「では、コリンナ様に義理立てしなくてはいけませんね」
「ああ……うん?」
返事をしつつも、訝しげな表情でアドリアーナを見てくる。義理立て、の意味がどうやら解っていないらしい。鈍いのか、それだけコリンナ一筋なのか。
「もう私の部屋を訪れてくださいと、催促はいたしませんわ」
ブルクハルトはようやく意味を理解して、顔を赤らめた。アドリアーナから視線を逸らし、挙動不審になる。
――三十過ぎになって、長い付き合いの恋人がいるくせに意外に初心だ。
そんなことを思いながら言葉を続ける。
「まあ、私も王妃として働けるのであれば、もうそれで構いませんし」
アドリアーナが第一に望むのは、王族として国のために働くこと。そのため王妃という立場と仕事にはこだわるが、それ以外は二の次だ。
子供を作るのは義務だったが、ここまで見せつけられると、さすがに押し通すのも罪悪感がある。これからコリンナが王城に住まう可能性がある以上、後ろめたい気分になるようなことは、自分のためにもしたくない。
それならば、後継はコリンナが産んで、アドリアーナが後ろ楯になる道を探った方が良さそうだ。自分に子供がいなければ、まず故国のような争いは防げるだろうし、それでも騒ぎ立てる者はどうにかして黙らせてしまえば良い。そのために子を教育していくのも良いだろう。
ケレーアレーゼとの繋がりも、どうにかして維持すれば良い。
やることが次から次に出てくると、アドリアーナのやる気は俄然増してきた。
「私が言うのもなんだが……良いのか、それで」
一人決意に満ちてきたアドリアーナの向かいで、これまで子作りを迫っていたからだろうか、気まずそうにブルクハルトは言う。
アドリアーナは、一点の曇りもない笑みを浮かべ、胸を張って答えた。
「ええ。王族として在ること、それが私の存在意義ですから」
なにやらフラグみたいなものも見えるかもしれませんが、陰謀めいたことはもう何も起きません。
次回より、最終章です。