その愛について
テオに父が連れていかれるのを何も言えずに呆然と見送ったコリンナは、へなへなとその場に崩れ落ちた。憮然たる面持ちで座り込む彼女に、ブルクハルトは押し殺した声で問い掛けた。
「コリンナは……知っていたのか?」
ぎくりと肩を強張らせたコリンナは、恐る恐る顔をあげて、懇願するようにブルクハルトを見上げた。
「陛下、お許しください……っ」
「知っていたのかと訊いている!」
涙目で見上げる恋人をブルクハルトが一喝すると、コリンナはびくり、と首を竦めた。
しばらくして、縮こまったまま目を泳がせて、ぽつりと言葉を落とす。
「……父が、王妃様に、一泡吹かせよう、と言っているのは聴いていました……」
「知っているなら、何故止めない!」
やはり聞いていたか、と冷静に思うアドリアーナの横で、ブルクハルトは激情を収められずにコリンナへと詰め寄った。
「だって、こんなことになるなんて思わなくて……っ!」
「そなたがどんなつもりであったかは知らぬが、父の企みを知っていたなら、事を仔細に聞き出すべきだろう! 平民の出であったとしても、そなたは我が国の側妃。自らの行いが国に、民に影響を及ぼすことを少しは自覚するべきだ!」
それから二度三度荒い呼吸を繰り返して自身を鎮静化させようと試みたようだが、呻くような言葉が漏れて出た。
「……そなたには失望した」
は、と目を大きく見開いて、コリンナは顔を上げる。ブルクハルトはそんな彼女から顔を背け、苦々しく表情を歪めて言った。
「今回のこと、そなたにも責任がある。城を、出ていってもらうこともやむを得ない」
「あら、コリンナ様を追い出されますの?」
黙って二人のやり取りを聴いていたアドリアーナは、冷ややかな声で割って入った。
「ウルリヒは民を脅かした。娘であるコリンナも無関係ではいられない。……側妃という立場にある以上、見逃すわけにもいかないだろう」
「ごもっともですわね。正論ですわ。では、追い出されますのね?」
重ねて問い掛けると、ブルクハルトは瞑目するだけで、否定の言葉を吐かなかった。それを見たコリンナは泣きそうな表情で顔を俯かせる。
嫁いできた当初とまるで違った光景を見せつけられて、アドリアーナの堪忍袋の緒が切れた。
「ふざけないでくださいませっ!!」
思ったよりも大きな声が出て自分でも驚いたが、勢いに任せて捲し立てる。
「ウルリヒの傲慢を放置してきたのは貴方も同じでしょうに。ただ父親を止められなかっただけでコリンナ様に失望するのだなんて、あんまりですわ! しかも、あっさりコリンナ様を追い出すことを決めて……三年以上、私を蔑ろにしてまで貫いた貴方の愛は、その程度のものだったのですか!!」
はじめはばつが悪そうにただ叱責を受けていたブルクハルトも、何か気に障ることでもあったのか、次第に髪を逆立てて怒鳴りはじめた。
「他に手段があるとでも!? 他の立場なら如何様にもできるが、コリンナは側妃。見逃しては民への示しがつかないだろう。しかし処刑したり牢に入れたりするわけにもいかぬのだから、他にできることは側妃の立場を追うことぐらいではないか!」
「ええ、ごもっともです。しかし、他にもやりようはあるでしょう! もっと機転を利かせてはどうですか!」
先日の謝罪を受けて、少しは見直したと思っていたのだが、見込み違いだったようだ。相手の話を詳しく聞かないままコリンナに裏切られたと思い込んでまた感情的にものを言っている辺り、この前の反省が全く生かせていない。
アドリアーナは淑女らしさも忘れて、ふん、と鼻を鳴らした。
「……まあ、良いです。陛下がそのようなご決意を固めていらっしゃるというのなら、コリンナ様への処断は私が下させていただきます」
よろしいですね、とひと睨みくれると、ブルクハルトは怯んだ。何も言わないが、好きにさせてもらう。
アドリアーナは胸のうちの怒りをなんとか鎮め、できるだけ穏やかな表情を作ることを意識してコリンナの前に進み出た。
「コリンナ様。陛下にも至らぬところがあったとはいえ、事は重大です。貴女を見過ごすわけには、どうあってもいきません」
コリンナに罪はなくとも、ウルリヒがしたことは到底許されない。そして、側妃である以上、娘であるコリンナもそれ相応の責任を取らなくてはいけないことに変わりはない。
一連のやり取りを聴いていたこともあって理解しているか、コリンナは粛々とアドリアーナの言葉を聴いている。
「貴女にはズートリンクスにある離宮での幽閉を言い渡します」
国の南西ズートリンクス領には、先々代のザルツゼー王が側妃のために建てた宮殿がある。宮殿といっても政務のための設備などほとんどない屋敷のようなもので、今は別荘扱いだ。
嫁いだばかりの頃、侍女長パウラにそこを勧められたことがある。遠回しな厄介払いだと察したので聞き流していたが、その存在は覚えていた。
そこにコリンナを向かわせよう、とアドリアーナは考えたのだ。
「待て、王妃、それはさすがに――」
幽閉、と聞いて顔色を変えたのは、ブルクハルトのほうだった。少しは頭が冷えてきたらしく、コリンナを庇いはじめる。
冷えすぎて、凍りつきそうなほど青い顔をしているが。
「お黙りください。私が処断を下すと申し上げました。今さら異議は、陛下といえども許しません」
だいたい、弾みとはいえ追い出すと言っていたくせに、幽閉に反対するとはどういうことだ。彼女は敷地内から出られないだけであって、外部からの危害は及ばない上、会いに行くぶんにはブルクハルトの自由であるというのに。
しかしそこまで理解が及ばないのか、ブルクハルトは引き下がらなかった。
「だが、今そなたは私の責任でもあると言ったばかりで……」
「陛下」
それでもなお不服があって言い募ろうとしたブルクハルトを、やんわりとコリンナが止めた。
「もう良いのです」
ついさっきまで絶望にくれていたとは思えないほどしゃんと立ち上がり、長年の恋人に微笑んで見せる。笑みを向けられたブルクハルトは、一瞬息を呑み、それから悔しそうに顔を背けた。
それからコリンナは笑みを浮かべたまま、強くアドリアーナを見返した。
「王妃様。私は王妃様の命に従います」
はっきりと、芯の通った声で。ただ真摯の色だけを宿した眼差しで。
悪感情をお互いに少しも持たず相対するのは、これがはじめてなのかもしれない、とアドリアーナは思った。
「結構ですわ、コリンナ様。でもね」
二人を見比べて、ため息を吐いた。どちらも意外に素直で、生真面目だ。感心するが、今は少し呆れの方が大きい。
「お二人とも、そう悲観なさらなくてもよろしいのですよ」
途端、二人の表情ががらりと変わる。二人揃って豆鉄砲を食らった鳩のような顔をしているのに、アドリアーナは肩を竦めた。
前々から思っていたが、二人とも系統の似た美男美女。白と黒の取り合わせもあって、いっそうお似合いである。間の抜けた表情をしていなければ、特に。
それはともかく。
「幽閉と申しましたが、何も一生というわけではございません。建国祭……は一月後でさすがに早いので、七ヶ月後の年越しのお祝いのときに、恩赦として貴女を解放することをお約束いたします」
目を真ん丸に大きくしてこちらを見つめる側妃に、アドリアーナは微笑んでみせた。
追い出すと言ったブルクハルトを諌めた手前もあって、アドリアーナ自身も実はそれほど重い罰を下す気はなかった。そもそも、ウルリヒにはこの手で首を絞めてやりたいと思うくらいの憤りはあるが、それを勧めたわけではないコリンナに対しては、全く怒りの感情は持ち合わせていなかった。
ただ、ブルクハルトの言うように、何かしらけじめはつけなければならない。
そこでアドリアーナが出した結論が、期間限定の幽閉である。それで一応罰は下しました、という体をとるわけだ。
「……ですが、その後に貴女が側妃に戻れるかについては、私はお約束しかねます」
振り返って、ブルクハルトのほうを見る。アドリアーナの発言をどのように受け止めたのか、ブルクハルトの顔がまた青くなっていた。
「それは、陛下がお決めになること。そして、陛下が仮に側妃に戻るよう貴女に言ったとしても、それを受け入れるかどうかも貴女次第」
アドリアーナの言葉を受けて、ブルクハルトもコリンナもお互いに顔を見合わせたあと、気まずそうに視線を逸らした。
「……およそ七ヶ月。貴方がたの愛について、今後の身の振り方について、お互いに頭を冷やして考えてみてください」