立場を弁えなかった行動の結果
エミーリアの調査結果とともに犯人の正体を告げたとき、ブルクハルトはこれまでに見たことのない剣幕で怒り狂った。
そして、当人が城にいることを知ると、仕事も放り出して直ちに乗り込んでいった。
根拠はきちんと説明しているとはいえ、正直こんなにすんなり信じてもらえるとは思っていなかったアドリアーナは、ブルクハルトの剣幕に呆気に取られて出遅れてしまった。慌てて後を追いかけたが、追いついたのは彼が目的地に到着した頃だった。
目的地――側妃コリンナの部屋に。
「あら、陛下どうなされました、こんな時間に……」
予定外の訪問にはじめは嬉々としていたコリンナだったが、王の怒りを見てとるとたちまち閉口した。顔色が白くなり、唇が小さく震えはじめている。
それほど恐ろしい顔だったのか、とブルクハルトの背後にいたアドリアーナは同情した。もっとも、彼から漂う気配はあまりに殺伐としたもので、アドリアーナも声を掛けるのが躊躇われるくらいなのだが。
「マックス・ウルリヒ」
震える恋人のことを無視して、王はこの場に居たもう一人の人物の名を呼んだ。他でもない、コリンナの父だ。コリンナによく似て、四十半ばまで年を重ねても色香漂うその男は、娘と同じく王の怒りに動揺していたが、それでも努めて冷静にブルクハルトの言葉を待った。
「ノルトの塩害騒ぎの犯人はお前だな」
地を這うような低い声に、ウルリヒは身体をこわばらせた。
「……陛下、突然のことで、いったい何について尋ねられていらっしゃるのか……」
商人の気質か、すぐに気を取り直してにへらと笑うウルリヒだが、ブルクハルトは容赦をしない。
「三日前、ノルトレヒテン領の試験場の一つに、塩水を持った不審者が複数忍び込んだのを、彼の地の警羅が捕らえた。その不審者は、お前の商会の者だった」
「そんな馬鹿な! 私は知りません」
白々しい返事に、ブルクハルトは騙されなかった。
「先日、ノルトの畑に塩を撒いたという男も見つけて捕らえた。同じようにお前の商会の者で、お前に指示されたと話しているが」
「何かの間違いです! そいつが嘘を吐いているんだ!」
「そうです、お父様がそんなことなさるはずありません!」
ようやく我に返ったコリンナは父の応援をするが、ブルクハルトはそんな恋人を意にも介さず、ただウルリヒの方だけを睨み付けていた。
「誰が? 何のために嘘を吐くというのだ」
「それは……」
言葉に詰まったウルリヒは、逡巡して視線をさまよわせる。そして、アドリアーナに目をつけると、無礼にもビシッと指を差した。
「王妃! 貴方が我らウルリヒ家の評判を貶めるために……っ!」
「それだけのために、畑を一つ潰すと? 農業改革は私の主導で行われているといいますのに?」
苦し紛れだとはいえ、あんまりな言い訳にアドリアーナも呆れ果てた。他人を貶めるために、自分の進めている事業を潰す人間はそうそういない。
「今さら、見苦しい真似はおよしくださいませ。貴方の秘書が、貴方がその者たちに塩を渡し、畑に撒くよう指示したのだと証言しています」
同時に、ウルリヒ商会が商品として扱っている塩の出納記録も証拠として提出してくれていた。取引先の名前、仕入れた塩の量と売却した塩の量、その価格と在庫の量が記録されたその帳簿を辿ると、取引先や売却価格の欄が空白のまま、在庫量が変動している記載が二件見つかった。
その一件目の日付は、ノルトで塩害が発覚する一週間前。もう一件目は、ノルトレヒテンで不審者を捕らえたその日の日付だった。
このことから、この塩害騒ぎの件に少なくともウルリヒ商会が関わっていることが充分に疑われるわけだ。
「あやつめ……っ!」
アドリアーナが見せつけた帳簿を睨み付けながら、ウルリヒは吐き捨てる。その目は憎悪と苛立ちにギラギラと輝いていた。否定もはぐらかしもしないということは、自分が関わっていると認めたも同然だ。
「反論があるなら、お聞きしましょうか?」
挑発して見せると、ウルリヒは顔を真っ赤にして、震えながら激昂した。
「お、お前が悪いんだ! コリンナの邪魔をするから!」
「別にそのつもりは全くございませんが……仮にも側妃である以上、ある程度のことは想定できたのではなくて?」
貴族の生まれでない以上、どうあがいても側妃という立場に甘んじるしかなかったコリンナ。彼女は、ブルクハルトがいつか別の女を迎え入れなければならなかったことを分かっていたはずだ。
そして、王妃を迎え入れる以上、ブルクハルトの関心は、その女のほうにも向かう。アドリアーナはたまたま折り合いが悪くていがみ合うこととなったが、その逆の可能性だって充分に考えられた。
恋する女としては、とても辛く苦しい立場。しかし、そうと解っていながらも受け入れたのはコリンナだ。
「そのつもりがない? それこそ嘘だ! 昨年の園遊会や年越しの宴の準備に、シャハナー商会を利用しただろう! それこそが私やコリンナを排除しようという証拠じゃないか!」
「私に似合わないドレスや装飾品ばかりを見せ、その中からなんとか見繕ったものすら似合わないと貶し、そのくせ合った商品を持ってくる様子すらない。そんな商人に物を頼むはずもないでしょう。ですから、付き合いのあったシャハナーの手を借りたまでです」
まさかそんなことも動機に含まれているとは思わず、アドリアーナはため息を吐いた。
「私を陥れ、評価を下げたかったのでしょうけど、ずいぶんと浅ましい真似をしましたわね」
元は平民だったとはいえ、コリンナは側妃だ。政治に直接関われなくとも場合によっては政局を揺るがす立場の、その影響力をこの男は全くわかっていない。
「貴方がなさった行為、どうやらただの嫌がらせのつもりだったようですけれど、どれほどの大事になるのかお分かりになりまして?」
「黙れ! 王妃が、一丁前に政治に口出しをするな!」
逆上したうえに、聞く耳も持たない。この国は女が政治に関わることのできない国。ある程度は致し方ないかもしれないが、今はそういう問題ではないというのに、どうして話をすり替えるのか。
前にもこんなことがあった気がする。変に頭の固い連中は、本当に腹立たしい。とはいえ、そんな連中だからアドリアーナが何を言っても無駄だろう。
幸い、今回は発言力が強い味方がいる。
「……では、陛下からご説明を。そうすればご納得いただけますでしょう?」
そうして数歩後退しブルクハルトに譲り渡すと、前に進み出た王は冷たく言い放つ。
「知っての通り、ノルトは貧しい土地だ。作物はあまり育たないがゆえに、農園は三つしかない。そして、今回そなたによりその一つが潰されたことで、ノルトの領民は苦しい生活を余儀なくされる。
そして、それを側妃の父であるそなたがやった以上、それは側妃であるコリンナの意思であると、世間からはみなされるだろう」
「な……っ」
もう一度、ウルリヒの顔色が変化した。弾かれたように絶望に染まった娘の顔を見やり、ゆっくりとブルクハルトの方へと戻っていくが、怒れる王の相貌は冷たいままだった。
「そなたは娘を民を脅かす側妃に仕立てあげたのだ」
ウルリヒは膝を突き、王を見上げて懇願の色を浮かべるが、ブルクハルトはそれを苦々しげに見下ろすだけだった。
「そして、私は王である以上、民を脅かしたそなたを擁護することはできない。……心しておくがよい」
それからブルクハルトは視線をあげると、テオを一瞥し、連れていけ、と短く命じるのだった。