「どうして」を繰り返す
偶然ですが、割りとタイムリーな話題。
キルケから簡単な話を聴いたアドリアーナは、顔に似合わぬ激しい剣幕で騎士たちを振り返った。
「オリヴァー! 貴方とテオ、それから私とエミーリアの分の馬を至急手配なさい!」
「馬、ですか!? 馬車じゃなくて」
「そんなものに悠長に乗っている場合ではないわ。私は馬を走らせることはできるから、とにかく急いで」
オリヴァーが走っていったのを見届けると、キルケにはとにかく一度休むように命じて、アドリアーナは自室へと足早に戻っていった。
扉の前にテオを待たせ、侍女二人と部屋に入ると、二人にすぐ乗馬服を出させた。その間、時間が惜しいので自分でできる範囲でドレスを脱いでいく。そのうちに服を出し終えたヨハンナが手伝ってくれた。
「ヨハンナ、留守は任せるわ」
装飾品の数々が外されていく中、アドリアーナは言う。
幼い頃からお転婆で馬を走らせていたアドリアーナと、それに付き合っていたエミーリアは慣れているが、働ける年齢になってはじめてアドリアーナに仕えはじめたヨハンナは馬に跨がったことすらない。急ぐ旅程は彼女に酷だからと、彼女は置いていくことにしたのだ。
彼女も理由は分かっているので、素直に頷いた。
「畏まりました。陛下にもお伝えしておきます」
「頼んだわ」
乗馬服に着替え終え、厩舎へ向かうと、オリヴァーは指示通り馬を四頭準備していた。その中から気が合いそうな馬をさっと選別して、跨がった。
久し振りの乗馬に苦しみながら、一刻ほど。辿り着いたノルトの農園で、アドリアーナはあまりの絶望に膝をつきそうになった。
「いったい、これはどういうこと……?」
ズートレヒテンで見られた青い稲。あれと比べて小規模ではあるが、ここでも同じものが見られるはずだった。だというのに、目の前に広がるのは荒涼たる風景。稲はすっかり色が抜け落ち、地面へと倒れ伏している。
萎れたなんてものではない。完全に枯れている。辺り一帯枯れ草だらけだ。
「隅に植えた甜菜やブラックベリーまで……どうして、こんな」
アドリアーナが勧めたことは、何ら特別なことではない。ただ農地の使い方を変えさせただけ。薬も何も使っていないというのに、どうしてこのようなことになってしまったのか。
「塩害だそうです」
アドリアーナが到着したときに居合わせた、キルケとはまた別の差配人が、苦々しい表情で応えた。
「塩害? ここは海に面しているわけではないわ。それに、ザルツァン湖も、岩塩坑も、ここから随分離れているはずよ」
ザルツゼーは塩の国だが、塩に溢れているのはザルツァン湖周辺に限ってのこと。ノルトは湖よりも標高の高い位置にあるし、岩塩坑のある山とはまた別の山を挟んだところに位置するため、万にひとつも塩分による被害を受けることはない。
ここらの土壌に塩が出てきたという話も聞かない。
「人為的に撒かれたものではないか、とニコライ氏はおっしゃっていました」
「まさか」
と言いつつ、アドリアーナも他の可能性を見出だせなかった。環境からあり得ないのは言わずもがな。ならば他に、可能性はない。
「何のために、こんな……」
悔しさに涙が滲みそうになるが、今すべきことをやらなければならない。アドリアーナは目蓋を一度ぐっと閉じ、一呼吸おいてもう一度開くと、やるべきことを素早く整理した。
「とりあえず、これ以上の被害を防がないと。他の農園は?」
「すでに監視を手配しています」
「そう。なら、他の領への連絡ね。……リーベルトのところへ行きましょう」
もう一度馬に跨がって、そそくさとリーベルト邸へと移動した。先触れなしに押し掛けたこともあって先方は驚いていたが、当然事態を把握していた彼らは、アドリアーナの求めに応じてすぐに客間に通し、紙とインクを用意してくれた。
すぐさまアドリアーナは、書簡を四つしたためると、テオを呼び寄せた。
「こちらに来たばかりで悪いけど、この書簡を持って急ぎ城へ戻ってちょうだい。これは農政部へ、各地へ注意を促すよう指示した書簡。これは外交部へ、至急レアルータへ協力を要請するように指示した手紙。こちらは、レアルータへ宛てた書簡の内容」
「レアルータ、ですか?」
海沿いの外国の名が出てきたのが意外だったのか、手紙を受け取りながらテオは問い返した。
「彼の地は津波で畑が塩害被害にあったことが何度かあるわ。そして、その度に土壌の改善を行ってきた。そのノウハウを請うの」
そして、心得たと頷くテオの手にある残りの一通を指し示した。
「そして、これは陛下へ。被害の状況と、外交部、農政部への指示の意図を記してあるわ。これで陛下もご協力いただけるはず」
つい先程、アドリアーナたちは和解したばかりだ。まさかブルクハルトもいきなり跳ね除けるようなことはしないだろう。
「承知いたしました。すぐにお届けいたします」
「お願い」
テオが領主の邸を発つと、アドリアーナはへたりとその場に座り込んだ。さっとオリヴァーがアドリアーナに駆け寄った。
「大丈夫ですか」
「……大丈夫よ。少し、力が抜けただけ」
心配そうに覗き込む彼に、アドリアーナは弱々しく頷いて見せた。
すっと差し出されたその手を借りて立ち上がった。辺りを見回したところで、人が増えていることに気付く。邸の主であるリーベルトや夫人のキセラの他、未だこの地に留まっていたニコライがアドリアーナを心配そうに見ていた。
彼が居るのなら、とアドリアーナは尋ねてみる。
「ニコライ。あの畑はどうにかなりそう?」
「分かりません。正直、気付くのが遅すぎました。毎日欠かさず水やりは行っていましたし、数日前には雨も降っています。塩分が土壌に染み込んでしまっているのは、間違いないかと」
「そう……」
土壌に塩分が染み込んでいるのなら、あの農地はもう駄目だ。塩は分解されないので、あの土地はずっと塩分を含んだまま。何年経過しても、植物の育たない不毛な土地となる。
どうして。さっきからその言葉しか出てこない。本当に人為的なものだというのなら、どうしてただでさえ貧しいノルトでこのようなことをしなければならなかったのか。あの畑一つ潰れてしまったら、ノルトは今後生き延びるのがますます難しくなってしまう。
思考のループに陥りかけたアドリアーナを見かねて、リーベルトが声をかけた。
「妃殿下、お休みになってください。妻が客室を準備しました。これからのことは、我々がどうにかしますので、どうか」
「そうね……そうするわ……」
身体が怠い。座っていても背筋を伸ばしているのが辛く思えるほどに、アドリアーナは疲れていた。
オリヴァーの手を借り、リーベルト夫人キセラに案内され客室へ辿り着いたアドリアーナは、服も着替えないままベッドに倒れ込むと、そのまま眠りに就いてしまった。
二つの地域を視察し、大して休まないまま乗馬それも早駆けなんて、久しくしていないことをした所為か、それからアドリアーナは熱を出し、二日ほど寝込んだのだった。