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相互理解は話し合いから

 そうして暇を持て余しているうちに春は訪れ、暖かくなった頃を見計らって、アドリアーナは南方にある二つの領を訪問することにした。南東に位置するズートレヒテン領と南西のズートリンクス領だ。

 本当は一度行ったノルトが気にかかっているのだが、そこばかり訪問するわけにはいかず、かといってすべての領を巡ることもできないので、諦めた。キルケが王都とを頻繁に行き来するそうなので、彼から話を聞けることを期待する。


 ザルツゼーの南側にあるということで、比較的温暖で実りも良いズートレヒテンは、広大な農地面積を持つ。アドリアーナの目の前には、越冬して急成長した青い稲が一面に広がっていた。


「現時点で、ですが。昨年よりも状態が良いと思われます」


 アドリアーナを案内するズートレヒテンの差配人が嬉しそうに笑う。


「ここまでで枯れた稲は普段に比べるとあまりありません。あとは花のあとにきちんと穂が実るかが心配ではありますが、順調、と言って良いでしょう」

「実ると良いわね」

「ええ。この冬は大変でしたから」


 昨年秋の細竜魚騒動で一時的に滞った塩の輸出は、思いのほか国の収入に打撃を与えたらしい。越冬にといつも国が買い込んでいる食糧が、普段通りに手に入らなかったのだ。城の食事の質を落としたり、ケレーアレーゼに支援を求めたりもしたが、厳しい冬で物資が届くのが滞ったりもした。大事には至らなかったが、それでもギリギリといったところだろう。

 各地でそれぞれ食糧が確保できれば、もう少し楽だったかもしれない。退屈さの一方で、自給の重要性を再認識した冬だった。


 その後、酪農が盛んなズートリンクスの方へと赴いた。これまで畑作を行っていた場所に動物たちが放され、その逆に放牧地にライ麦やキャベツ、玉ねぎなどの野菜の作付が行われていた。

 現地の差配人によれば、こちらも順調だという。そろそろ収穫されるキャベツを楽しみに、とにこやかに語った。



 ※※※



 帰城したアドリアーナは、頃合いを見計らって王の執務室に顔を出した。ノルトのときとは違い、今回は堂々と視察に行くと宣言していたこともあって、その報告をしなければならなかったのだ。


「そうか。順調か」


 訪ねてきたアドリアーナにソファーを勧め、自身は対面に座った王は、満足そうに頷いた。


「楽観視はできません。しかし、昨年よりも駄目になった作物が少ないので、希望は持てます」

「これで収穫量が上がれば、この国の憂いは少しはなくなるな」


 機嫌よく王はそう言うと、お茶を啜った。アドリアーナの前にも紅茶のカップが置かれている。こんなことは今まで一度もなかったので、手をつけずしげしげと眺めてしまう。何の絵も描かれていない白いだけのカップだ。


「……まだきちんと礼を言っていなかったな」


 畏まった王にアドリアーナは眉を顰めた。王の態度が急変して半年以上が経つが、未だに慣れることができなかった。


「まだ成果は出ておりませんわ。早いのではなくて?」

「それでも、そなたはこの国のために尽力しようとしてくれた。それだけでも十分に感謝すべきことだ」


 じっとこちらを見つめる青い瞳に、これまでと違う温かいものを感じる。素直に受け入れるべきなのか、アドリアーナはいつもここで迷ってしまう。言葉の裏に何か隠されているのではないかと思うくらい、いがみ合ってきた期間は長い。だが、大国の権力に屈しても不快感を隠さなかったブルクハルトが、アドリアーナのご機嫌取りをする理由も思い付かない。

 そのアドリアーナの不審の色を読み取ったのだろう。王は少し思い詰めた表情で目を伏せた。


「……いや、本当は、まず先に謝罪するべきなのだろうな」


 すまなかった、と頭を下げられてしまえば、アドリアーナも開いた口を塞ぐことができなかった。

 謝罪。本人の心境は推し測ることはできないが、形ばかりのものには見えない。なら、本当にアドリアーナにすまないと思っている?

 ――そんな馬鹿な。

 ――今さら何を。

 ふう、と息を一つ吐いて、アドリアーナは冷ややかに王を見つめた。


「兄が来たのは初秋です。ずいぶんと時間がかかりましたのね」


 いつだったかエミーリアと、王の変化に兄が関わっているのではないか、という話をした後。アドリアーナはその後の王を観察し、兄が何か入れ知恵したことを確信した。賓客がないため相変わらず接するのは行事のときだけだったが、そのときに言葉少なに話しかけてきた内容が、アドリアーナの故国での逸話や趣味嗜好のことであったりと、およそすれ違うだけの人間が知れるようなことではなかったからだ。

 あの酒盛りのとき、王は同時に兄に何か諭されたのではないだろうか。


 その点はやはり図星だったようで、アドリアーナの辛辣な物言いに王は一瞬言葉に詰まったようだが、以前と違って激昂するようなことはなく、しおらしく言い訳しはじめた。


「……何について謝るかを考えていた」


 なんと拙い言い訳を、と思ったが、続きが気になったので、黙っていた。

 ブルクハルトは言葉を濁そうとする素振りを見せず、真摯な態度で語りはじめた。


「結局のところ、一番はそなたについて知ろうとしなかったことが悪かったのだと思う」


 唐突で断れない縁談は、ブルクハルトを苦悩させた。自分の立場からコリンナだけを傍に置くことはできないと理解していたが、いざ現実を見せられて反発心を起こしてしまった。

 そして、アドリアーナの発言で、ケレーアレーゼがこの国の政治に介入し、従わせようとしているのだと勝手に思い込んだのだ、とブルクハルトは言う。


「言い訳にしかならないが……この国では、女性は政治に関わらないものなのだ」

「え?」


 アドリアーナは耳を疑った。ケレーアレーゼでは、男も女も等しく政治に関わることができる。王妃や王女も議会に参加していたし、決済などの判断も行っていた。それが当たり前であったし、王族に至っては否応なしに課せられる義務だった。

 それが、ザルツゼーでは違うという。

 ……そういえば、女の官吏を見たことがない。政治は結局男社会で、故国でも女性に比べ男性の割合が多かった。人口が少ないので、それが顕著に見えるだけだと思い込んで、一人もいないという事実に気がつかなかったのだ。


「それは王妃とて例外ではない。だから、女の身でありながら突然政務をさせろと言ってきたそなたに疑いを持ち、拒絶した」

「そう……だったのですか」


 当時を思い返してみる。王妃のする政務はない、と言ったブルクハルト。あの頃はまだお互いに遠慮というものを持っていて、表面上会話は穏やかだった。

 だから、理不尽に罵倒された記憶がない。

 しかし、あの後アドリアーナは王の答えに腹を立て、深く追求することなしに、いじけて一人部屋を出ていった。

 カッとアドリアーナの身体が熱くなった。顔から火が吹き出していてもおかしくはないほど、頬が紅潮しているのが自分でも判った。理由を聞かなかったくせに、断られたことにだけ腹を立てて、その背景を知ろうともしないで。あのとき子供染みた行いをしたのは、どちらだろう。


「私の下らない反発心の所為で、そなたに肩身の狭い思いをさせた」


 アドリアーナの様子に気づいていないらしいブルクハルトは、追い討ちをかけるように謝罪する。肩身が狭かったのは事実だし、蔑ろにされていたのも結局事実なのだから、この謝罪は受けても良いのではないか、と頭の隅で誰かが囁きかけたが、今一度当時の自分の行動を振り返ると、やはり恥ずかしさで悶え死にそうになった。

 もう平静を装って挙動不審にならないようにするので精一杯だ。


「いいえ、こちらこそ申し訳ありませんでした……もっと話し合うべきでしたね、私たちは」


 相互理解を怠ったことが、二人の溝を深めた原因だ。ブルクハルトが故国のことを訊いていれば、アドリアーナがザルツゼーの内情を訊いていれば、少なくともここまで拗らせることはなかったのではないだろうか、と今なら思う。決定打は食嗜好の違いだが、積み重ねがあってのことだ。


 反省は色々あるが、今は頭を切り換えて、確かめておかなければいけないことがある。


「誤解は解けましたが、だからといって私は一度取りかかった仕事を放り出すのは好みません。引き続き、農業改革には関わらせていただきますわ」


 ザルツゼーでは女が政治に関わらないという事実を知ってもなお、アドリアーナは今さら止まる気はなかった。何もせずお茶会や夜会のことだけを考えているだけの生活は、アドリアーナには耐えられない。

 拒絶されるのを覚悟して言ったが、ブルクハルトは鷹揚に頷いた。


「こちらもそのつもりだ。古いしきたりも、益がないと分かれば、変えていかねばならんな」


 今後はもっとお互いに情報を交換することを約束して、アドリアーナはブルクハルトの執務室を辞した。


 扉を閉めると直ちに、アドリアーナは背後を振り返った。


「エミーリア……貴女、知っていて黙っていたわね?」

「何の事でしょう」


 しれっと涼しい顔で応えるエミーリアだが、内偵を任せている彼女がまさか知らないはずがない。


「教えてくれれば良かったのに……」


 自業自得の八つ当たりと分かってはいるが、言わずにはいられなかった。早く知っていれば、このような後悔をすることもなかったというのに。

 そうなると知っていて黙っていたのは、自分の短慮を自覚して欲しかったからか、それとも知ったら自分が唯々諾々と国の方針に従ってしまう可能性を考えたからだろうか。

 エミーリアのことは熟知していると思っていたが、久し振りに彼女のことが解らなかった。


 どちらにしろ、アドリアーナが悪いことには相違ない。早く部屋に引きこもってしまいたくて、足早に城内を歩く。

 居住区画に入ろうとしたところで、こちらへと勢いづいて向かってくる人影があった。その切羽詰まった様子を警戒して、オリヴァーとテオが身構える。


「妃殿下!」


 つい一週間ほど前に聞かなくなった声に、アドリアーナは騎士二人を制した。


「キルケ……?」


 向かい側からやって来た、仏頂面で吊り目の男は、冬の間の勉強会を終え、ノルト領に戻ったはずだった。


「どうしてここに」

「急ぎ、報告いたしたいことがございます」


 アドリアーナの前に立ったキルケは、足早に歩いてきたのか息を切らしていた。その目には焦燥が浮かんでいて、ただならぬ気配にアドリアーナは気を引き締めた。

 絶え絶えとした息を落ち着かせ、低く暗い声でキルケは報告した。


「ノルトの農園の作物が、全滅いたしました」

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