予兆は木枯らしとともに
冬を前にして、ザルツゼーは社交シーズンを迎えようとしていた。
アドリアーナはたちまち忙しくなった。ザルツゼーの社交は、城で行われる晩秋の園遊会をもって始まる。その準備に追われていたのだ。
貴族の女主人が夜会やら晩餐会やらを催すのと同じように、園遊会の企画・運営も外交以外にアドリアーナに与えられた数少ない王妃の仕事だった。
「まさか本当にご贔屓にしてくださるとは。言ってみるものです」
今日、アドリアーナの広い部屋にシャハナーを招いてあった。言うまでもなく、園遊会の準備のための品を揃えるためだ。
「約束ですもの。……というのもあるのだけれど、貴方のところはすぐに品を揃えてくれるから、頼りになるというのもあるわ。なにより面倒がないし」
「面倒、ですか」
「ウルリヒよ、コリンナ様のお父様の。それから侍女長ね。昨年も一昨年も、何かと私のすることにケチ付けて来るから、煩わしくて仕方がなくて」
側妃の父ということで王室に贔屓にされているウルリヒは、一応アドリアーナにもドレスやら装飾品やらを持ってきてはくれる。しかし、そのどれもがアドリアーナに似合うものではないのだ。いや、むしろ側妃に向けた品を選んできていると言うべきか。似たようなドレスを着せた上で自分の娘を際立つようにさせようという魂胆だ、とアドリアーナは推測している。
「娘が可愛いのは良いし、対抗心を燃やすのも結構だけれど、一応顧客を不快にさせるのはどうかと思うわ」
おそらく、王妃の不興を買ったところで、自分の商会と王城の取引はなくならないと踏んでいたからだろう。コリンナがいる以上、まず彼女のドレスや装飾品はウルリヒ商会が手配することになるだろうし、そうなると王もまたウルリヒ商会を利用するだろうから。
実に屈辱的な扱いだったが、シャハナーと会うまで伝手を持っていなかったアドリアーナは結局ウルリヒから比較的似合いそうなドレスを購入し、エミーリアとヨハンナの協力を得て手直ししたものを身に着ける、ということをしていた。故国から取り寄せたりもしてはいたのだが、あまり国内の商人を利用しないというのも体面が悪く、頻繁にはできないでいた。
自由にできる資金が十分にあってもこれでは楽しみようがない。コリンナに恨みはないが、その父にはいつか復讐してやろうかと密かに考えている。
一方、侍女長パウラはといえば、何故かコリンナ信仰は相変わらずで、表面上はアドリアーナに従っているように見えるが、事あるごとに「王妃様はザルツゼーのことがお解りになっていらっしゃらない」と提案のダメ出しをしてくるのだ。
ならば代案を教えてくれ、と何度か発しかけたが、そこはぐっと堪えた。パウラが主導権をコリンナに渡したがっていたのが透けて見えたからだ。こちらが下手に出れば、すぐさま飛び付いてコリンナを持ち上げたことだろう。園遊会は国内貴族のみの集まりだ、よほどの事をしない限り、人気のあるコリンナが企画しても大きな問題にはならないだろうが……せっかくの数少ない王妃としての仕事を譲り渡すのは嫌だったので、昨年と一昨年は最終的には強引に押し通した。
今年も同じことをするのはごめん被りたい。だからアドリアーナは今年出会ったシャハナーを利用することにし、侍女長は今回の準備から追い払った。
これは予想以上にうまくいった。なんと言っても、あの王がそうすることを許諾してくれたのだ。またまた不可解に思いつつも、素直に感謝することにし、園遊会をより良いものにすると誓った。自分のやりやすいようにできるとなれば、いっそう気合いが入るというものだ。
「そういうわけで、今後も貴方のところにお願いしたいわ」
「ありがたき幸せにございます」
さて、とシャハナーは薄い冊子を取り出した。彼が扱っている品の目録である。今回持ってきてもらったのは、食品関係、殊に茶や酒などの嗜好品に関するものだ。
一覧にざっと目を通したアドリアーナは、冊子を閉じ、自分の要求を相手に伝えた。
「お茶は、やはりパルセー産のアールグレイが良いわね。それから、プラミーユのワインを少し用意してくださる? 赤、白両方。お酒を飲まれる方には、ある程度種類があった方がいいでしょう」
それから今回の予算を鑑みて、ワインの年代と本数を指定する。シャハナーは逐一アドリアーナの言葉を繰り返しながらメモを取っていた。確認を怠らない念入りさは、実に信頼するに値する。
「ウィスキーはどうなさいます?」
「国内各地のを取り寄せて。やはり各地の出来を知りたいものね」
「菓子は如何いたします?」
「厨房で揃えるから大丈夫よ。材料も不足はないと思うし……それとも、何か良いものが?」
「実は、イルメラが新作の菓子を作りまして」
シャハナーが油紙に包んで持ってきたのは、長方形の生地をくしゃっと丸めて球状にした揚げ菓子だ。上に雪のような粉砂糖が薄く振り掛けられている。サクサクした生地にはシナモンが練り込まれており、程よい甘さでついつい二個、三個と食べたくなる味だ。
「そうね……貴族の方々に受けるかは分からないけれど、出してみましょうか。イルメラに頼んでおいてくれる?」
ケーキのような華やかさや贅沢さはないので目は引かないかもしれないが、アドリアーナは気に入った。菓子の山の一つに加えるくらいは良いだろう。
「畏まりました」
イルメラにはずっと目をかけているのだろう、シャハナーは満足そうな様子で頷いた後、次の打ち合わせのために新しい目録を鞄の中から取り出した。
※※※
窓から見える山々は、鮮やかな紅葉の時季も通りすぎ、色褪せ始めていた。湖の色もくすみ始めていて、いよいよ冬が近づいてきたことが分かる。
冬はとても寒いが、コリンナはいつもこの季節を楽しみにしていた。なんといっても社交のシーズン。お茶会に、夜会にと楽しいことがいっぱいだ。
この国の雪は深いが、貴族街は城に近く、道も整備されるので移動に不便さはあまりない。だからコリンナは、国で開く夜会に出席する他にも頻繁にお茶会を企画し、お客様を招いていた。王に愛されるだけの側妃が許された数少ない楽しみだ。
しかし、今年はその冬を前にしても心は全然浮き立たなかった。頭の中にはずっと、ブルクハルトと王妃の存在が居座っている。窓の外で早くも強い風がびゅうびゅうと吹き荒れているように、コリンナの心も吹きすさんでいた。
「陛下が王妃に関心を持たれている?」
園遊会での衣装を新しく拵えようと自らの居室に招いた父ウルリヒは、こっそりと打ち明けたコリンナの懸念を聴いて眉を顰めた。
「何故だ。あんな乳臭い娘より、お前の方が魅力的だろうに」
ウルリヒは昔から一人娘であるコリンナを大事に大事に育ててくれた。コリンナの生まれ持った魅力を引き出すための服飾や化粧品は惜しみなく与える一方で、また熱心に教育も施した。可愛い娘であると同時に、心血を注いで作り上げた作品。それがウルリヒの愛娘に対する評価だろう。
コリンナがブルクハルトと運命の出会いを果たしたのを、誰よりも喜んだのも彼だった。娘が最高の出会いを果たしたこともそうだろうが、それ以上に最高傑作を王に認められたのだと受け取ったのだ。それから父は、それまで以上にコリンナに対しての絶対の自信を持つようになった。
父は、それが覆されようとしている事実が信じられないようだ。コリンナは密かに嘆息した。父のエゴの混じった愛は今に始まったことではないが、娘時代を通り抜けた女には、その親バカぶりが煩わしいときがある。
「よく分からないのだけれど、王妃様の行われているお仕事にご興味がおありみたい」
「仕事?」
「農政官となにかを試しているらしいのだけれど……」
当然といえばそうなのだが、ブルクハルトはこの部屋に仕事を持ち込むことはあっても、仕事の話をすることはなかった。だからコリンナは王妃が何をしているのか、そしてブルクハルトが何を任せたのか、具体的なことは何も知らないのだ。
だが、父が王妃に反感を持つには、それで十分だったようだ。
「城内の食事に口を出し、女の身でありながら政治にも口を出すか。さらに、最近城下で流行している菓子や料理にも王妃が関わっているという……全く、鬱陶しい限りだな」
娘の恋敵とはいえ、あまりにも不敬なことを吐き捨てるので、コリンナはひやひやした。コリンナもあの娘は気に入らないが、それでも相手は王妃で、身分だけで言うならコリンナの格上である。
ちら、と自分の侍女たちに目を向ける。コリンナがここに来てから親身になってくれた彼女たちは、何も聞いていないとばかりに知らん顔を貫いてくれた。
「安心しなさい。私が王妃をどうにかしよう」
「え……?」
「王妃に一泡吹かせて、お前の魅力をもう一度、全国民に知らしめようじゃないか」
安心させるように肩に手を置く父の目の奥にギラついた光を見た気がして、コリンナは身を固くした。だが、すぐに父がドレスは任せなさい、と言うのを耳にして、気の所為だったかと思い直す。
悪巧みなんかじゃない。きっと、自分を王妃よりも美しく飾り立てようとでもいうのだろう。コリンナはそう解釈した。