無礼と懇意の不確かな境目
魔物の討伐が始まって一週間過ぎた辺りだろうか。夕食のためにダイニングルームへ向かうと、テーブルにずらりと魚料理が並べられていた。大きな皿が七枚。ディナーの配膳の順番もまるまると無視。それどころか一人ではとても食べきれない量に、さすがのアドリアーナも絶句した。
「……いったいこれは、どうしたというの?」
テーブルの隅に並んで満ち足りた表情で立っていたフォサーティとギーツェンに問い掛けた。
「これは、ハンターたちが討伐した細竜魚を使った料理です」
「ということは、食べられるのね?」
「ええ、幸いにして。オリヴァーが苦労して一匹分持ってきてくれました。それでまあ、厨房の料理人総出で色々と作ってみたのです。是非、妃殿下にも食していただきたく、全ての料理を並べさせていただきました」
納得はしたが、それにしても思いきったことをしたものである。おそらく王や側妃がここで夕食を取ることがないことと、アドリアーナが怒らないことを見越しての所業だろうが、王たちを蔑ろにするような事をして良いのだろうか。
「そこは問題ないかと思われます。陛下やコリンナ様からは、あらかじめコリンナ様のお部屋でお食事されることを伝え聞いておりましたし、お料理はいつものメニューをお出しした上で、一応この魚料理もお出ししております」
お召し上がりになるかは分かりませんが、とギーツェンは言う。薄味になった料理を公務以外では頑なに食べようとしない二人だ。目新しい料理にもきっと手を付けないに違いない。
「どちらかと言いますと、妃殿下のメインの準備がありませんので、そちらのほうがご無礼かと……」
ギーツェンは申し訳なさそうに言うのだが。
「いいわ。これだけお魚料理があるのですもの。お肉までは食べられないわ」
「そうおっしゃると思っていました」
にか、とフォサーティは笑った。
やはり一度処罰を与えるべきか、と今真剣に悩んだ。少なくともフォサーティは。立場を振りかざして横暴を働く気はないが、こちらも一応それなりのプライドというものがある。長い付き合いだから、と少し甘くしすぎただろうか。
「事前にエミーリアに話はしてあります。妃殿下なら構わないだろうと聞きましたので、このようにさせていただきました」
「……なら、いいわ」
完全な独断でないなら許容すべきかもしれない。それにエミーリアはアドリアーナのことをよく解っている。判断としてはそう間違いではない。
何かこう、釈然としないものはあるが。
状況が把握できたところで、たった一人席につく。一応このダイニングルームには、王の席が設けられているのだが、アドリアーナが嫁いで以来そこに王が座った記憶はない。今出されたパンとサラダも一人分。先程ギーツェンが言ったように、コリンナの部屋で食べると分かっているからだ。
二年も経てば今さらだし、食事中はフォサーティをはじめとして料理人たちが料理の話をしているので寂しくはないのだが、たまにこの広い部屋で一人食事をしているのが申し訳なくなるときもある。
フォサーティの扱いに悩み仏頂面をしていたアドリアーナに、妃殿下、とギーツェンは声を掛けた。
「どれでもお好きなものをお申し付けください。お取りわけいたしますので」
好きなものを好きなだけ食べて良い、と言われ、アドリアーナの心は動かされた。好きな料理を出させることはあるが、それはマナーの範囲内でだけ。今晩のように、たくさんあるうちから選ぶなんて食べ方はしたことがない。
「そうね……」
アドリアーナはテーブルの上を見渡した。七種類。ずいぶんな数だ。一品の量を少なくしなければ、すぐに満腹になってしまいそうだ。
一口目をどれにするか吟味していると、慣れ親しんだ料理が視界に飛び込んできた。
「アクアパッツァがあるわ」
思わず呟くと、すぐさまフォサーティが皿に取り分けてくれた。
細竜魚は白身魚であるらしい。黄金色のスープの真ん中に白い切り身が一塊横たわっていた。魔物であるし蛇のような姿をしているそうだが、こうして捌かれてしまうと、なんの変哲もない魚の切り身だ。
その切り身に焼き色を付け、トマトとバジルを入れて白ワインで蒸したアクアパッツァ。食欲を刺激するニンニクの香り。野菜と魚の水分のみでできた旨味のしみでたスープ。貝やエビなど他の魚介がないのは残念だが、故郷の味を懐かしむには十分な美味しさだった。
それにしても、トマトやオリーブオイルなんて、イルメラに故国の料理を食べさせて以来だ。
「最近、トマトの他にもオリーブオイルなどのケレーアレーゼの食材の輸入量が増したようでして、以前より多く手に入るようになりました」
「兄様のお陰かしらね」
これまではケレーアレーゼから穀類や豆などの比較的保存性のある作物ばかり仕入れていたのだが、先日の兄の訪問で野菜の量ももっと増やしてもらうようお願いしていた。それが早速出回りだしたようだ。
他にあった懐かしい味は、カルパッチョと揚げつみれ。軽く焼いた魚の身と、玉ねぎ、ピーマン、パプリカを細かくし、酢とレモンを混ぜ合わせたカルパッチョは、口当たりがさっぱりとしていた。魚のすり身とジャガイモを混ぜ合わせて作られたつみれは、アリオリソースをつけてまろやかに。
それから定番として、ソテー。シンプルに塩胡椒で下味を付け、バターで焼かれたものだ。脂が程よく乗り、ふっくらとした魚肉。淡白な味であるからこそ調味料との調和した味わいに、先にこれに手を付けるべきだったかと後悔した。
目新しいのは、塩漬けと、ムニエルにしてその上にベーコンを載せたものだ。塩漬けとはザルツゼーらしい発想だと思ったが、これまでの塩辛いものとは違って浅漬けで、玉ねぎと並んでマリネのようだった。塩の料理でもこれなら受け入れられる。肉を載せたという珍しいムニエルは、ベーコンの塩気が淡白な魚の味を引き立てていた。
そして、一番目を引いたのは、野菜と一緒に煮込まれたものだった。
「なんなの、これ」
濁ったスープの中で狭苦しく、長い切り身が泳いでいた。皮は付いたまま、うねうねと絡み合っているのがまるで蛇のように見えて、さすがのアドリアーナも手を付けるのを躊躇ってしまった。
「スープです。ハンターたちに教わりました」
「……もう少し、ぶつ切りにして小さくしても良かったのではないかしら」
見た目は横に置いたとしても、食べにくそうなのがどうかと思う。これではスプーン一本で行儀よく食べるのは難しい。
とはいえ、食わず嫌いはしない主義である。
少し悩んで、スープ用ではなく魚料理用のスプーンで身を切り分けながらいただいた。
見た目に反して、味は良かった。根菜の出汁と魚の旨味を薬味の青ネギが引き立てていて、優しい味だ。何を加えたのか少し酸味が利いていた。
そうして全種類を食べ終えたアドリアーナは、ナプキンで口を拭いて溜め息を漏らした。テーブルの上にはまだ魚料理が残っている。案の定、完食はできなかった。残りは後で料理人たちが食べるらしい。
「美味しかったわ。やっぱりたまには食べたいわね、お魚」
「そうですね。臭みはありますが、下処理さえ行えば食べられます」
「今回は特別として、ある程度捕れるのなら、町に広めることもできるのだけれどね。でも、捕りすぎて絶滅してしまっても仕方ないし……様子見かしら」
そうして、湖の魔物騒ぎは、冬を前に収束した。魔物ハンターたちの活躍により、多くが狩られたのだ。死体は問題となりかけたが、王都中で調理して食べたので、どうにかなったようだ。
今回の事態を重く見た国は、今後このような事態になるのを防ぐために定期的に細竜魚を獲ることを決定した。彼らの懸念は間違いなく岩塩の運び出しについてなのだろうが、いずれにしろこれでたくさんとは言えなくとも、湖岸で食することができるくらいには量が確保できる見込みだ。
こうして奇しくも、魚の獲れないザルツゼー料理に魚料理が加わることとなったのである。