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酔えない酒と苦い良薬

 味気ない食事の晩餐会もそろそろお開きかという頃。妹と何気ない会話をしていたメルキオッレ王太子が、ふとブルクハルトのほうを見た。


「ブルクハルト陛下、もしよろしければ、この後お付き合い願えませんか?」


 なんでもメルキオッレは酒好きで、この国のウィスキーが飲みたいのだと言う。戸惑いこそすれ、断る理由もなくて承諾する。

 が、隣からずいぶんと重いため息が聞こえてきて、一瞬身構えた。目をつり上げた王妃が睨むのは、自分の兄。


「お兄様、陛下にご迷惑をお掛けになるつもり?」


 キリリとブルクハルトに相対したときよりもつり上がった目尻に、メルキオッレはたじたじになっていた。


「いや、でもほら、男同士の付き合いに酒はつきものだろ?」

「そう言って、何度兵士たちと馬鹿なことを仕出かしたと思うの」


 もう一度深いため息を吐くと、王妃は今度はこちらに目を向けた。いつもと同じ温度のない瞳だが、目付きは兄に向けたものに比べて鋭くはない。


「陛下、ご面倒をお掛けしますが、兄は酒乱ですので、問題が起きそうだと思ったら遠慮なくお止めくださいませ。仮に殴ってしまっても、ケレーアレーゼは咎めないことをお約束いたしますので」

「え、あ、いや、手を上げるのは……」


 国交云々も気になるが、賓客を殴るなど恐ろしい。それ以前に、そもそも暴力は苦手だった。


「ドリー、それは言い過ぎ」

「そうかしら?」


 と、彼女はたまにブルクハルトにも見せるあの薄い笑みを兄に向けて、


「明日は、午後より貿易の交渉をさせていただきます。そちらが不利益になる条件になっても、二日酔いの言い訳は利きませんので、ご承知くださいね?」


 冷ややかにそう告げると、自分の騎士と侍女を伴って退席した。

 メルキオッレが連れてきた従者たちもまた同じように王太子に釘を刺すと、部屋を離れていって、気付けば給仕を除いてただ二人ダイニングルームに残されている。


 酒の瓶とつまみを置かせてから給仕も下がらせ、ブルクハルトは客人のグラスに酒を注いだ。琥珀色の液体を嬉しそうに受け取り、一口含んだあと、ふ、とメルキオッレは笑みを溢した。


「……相変わらず恐ろしいですね、アドリアーナは。こちらの痛いところを突いてくる」


 陛下もご苦労されているのでは、とメルキオッレは問いかける。いがみ合っていることもあって、まさしくその通りだと思ったのだが、まさか肯定するわけにもいかず、曖昧に返事をした。


「それだけ見るものを見ているということですよ。あの甘そうな見た目に反して、アドリアーナは抜け目ない。正直、ヴォイエンタールとの関係を指摘されたときは驚きました」


 実は、とメルキオッレは打ち明ける。第一王子との王位継承の騒動を聞いて、ヴォイエンタールは第一王子に支援を申し入れたらしい。


「おそらく兄を経由してザルツゼーを弱体化させようと考えたのでしょう。妹とはいえ、アドリアーナは腹違い。ザルツゼーに何かあっても、兄上が恩あるヴォイエンタールを邪魔立てすることはないだろう、と」


 しかし、兄妹仲は良かったためにその目論みは全く外れ、国の事情に介入しようとしたヴォイエンタールはかえってケレーアレーゼの警戒心を高めてしまったというわけだ。

 王妃は、そういった一連の動きを把握していたらしい。その上で今回の交渉を呑んだ。まずケレーアレーゼから裏切られることはないと踏んだからだ。


「つくづく政治向きだ。それだけでなく、行動力もあるのです。何か思い付くと、動かずにはいられない。……だから、貴国に嫁がせたのです」

「それは、どういう」


 意外な言葉に、ブルクハルトは驚きを隠せなかった。王妃を国の争いに巻き込みたくなかったこと、塩が欲しかったこと、それが全てではなかったのか。


「失礼ながら、貴国は課題が山積みだ。岩塩採掘でなんとか成り立っていらっしゃるが、自国で食糧を賄い切れず、作物の種類も少ない。人口も少なく、突然の病で亡くなる人も多い。加えて、料理は塩分過多で他国に不評で、この王都はせっかくの景勝地だというのに旅行客も減少気味。今後のことを考えると、改善すべきことがたくさんあります」


 ずいぶんと言われている気がするのだが、返す言葉は見当たらなかった。全てに心当たりがあるからだ。あれほど意地を張って王妃と争った料理でさえ、これまで訪れた国賓の反応を見てみれば、自分の価値観が間違っていたのではないかと思えてくる。


「アドリアーナは、おそらくその課題に取り組むだろうと思っていました。嫁に出すのに貴国が向いていたのですよ。そして、ここに来て、それが外れていないことが分かりました」


 ジャガイモのグラタン、玉ねぎのスープ、ヴルストとザワークラウト、ローストポーク。そしてデザートに王妃の好物のアイスクリーム。今日の晩餐のメニューだ。どれもこれも兄を迎えるために王妃が用意した特別なもの。しかし、この一年ですっかり定着した味わいだった。ブルクハルトには馴染まない薄味だが、国賓たちも、今となっては貴族たちでさえ、皆これを食べて喜んでいる。

 そして、農業。うまく行けば、年々減少していた収穫量が改善するかもしれないという。はじめたばかりでまだ何も見えてきてはいないが、打開策ということで、農政部や地方官吏たちの期待は高まっているそうだ。

 確かに、ザルツゼーに積み上がった課題を解決するようなことを、あの王妃はしている。


「飼い殺すにはもったいないと思いませんか?」


 考え事をしていたブルクハルトの耳に、突然そんな言葉が飛び込んできて、ひゅ、と喉が鳴った。おそるおそるケレーアレーゼの王太子の顔を見上げてみればメルキオッレの瞳は冷たく静まり、こちらを見透かすようだった。若く、本人が乗り気でなくても、大国の王太子に選ばれるだけのことはあるのだろうか。年下だというのにブルクハルトは気圧されてしまった。

 

「……王妃ですか」


 彼女は事ある毎に「お父様に言いつける」と言っていた。これまではケレーアレーゼ側から一度も抗議がなかったのを不思議に思っていたのだが、とうとうそれが来たのか、とブルクハルトは観念した。

 しかし、メルキオッレは首を振って否定した。


「アドリアーナの手紙にはいろいろ書いてありましたが、こちらでの待遇についての不満は何もありませんでした」


 ブルクハルトは驚いた。自分で言うのもなんだが、王妃として迎えておきながら、自分は側妃にかまけ、新婚初夜以来部屋に訪れたこともなく。きちんと対面するのは、用事があるときか外交の場、または行事のときだけ。それでなんの不満もないとは、とても思えなかった。実際、何度もぶつかり合ってきた。それを全く手紙に記していないなどとは、思っていなかったのだ。

 そうと知ると、ばつが悪くなった。不自由しないだけの予算を与えて、後は放置。それで黙っていてくれればしめたものだ、と思っていた。

 飼い殺す。自分がしてきたことは、その言葉がぴったり当てはまる。

 その不満を、アドリアーナは告げ口しなかった。この国で好き勝手に振る舞っていたとはいえ。

 口の中が苦くなる。酒の苦さなどではない。もっともっと、虫を噛み潰したような、吐き出したくなるような苦さ。


 後悔の念に苛まれはじめたブルクハルトに、メルキオッレはさらに追い討ちをかけた。


「噂と言うのは案外広まるものです。王城でしか知り得ないはずのことでも、街で拾うことができる。人の口に戸は立てられないと言いますが、まさにその通りですね」


 喉が干上がり、頭に熱が上っていく。酒の所為にしては、グラスに入った液量はそれほど減っていない。いっそ酔ってしまえればこの羞恥に立ち向かえるかとも思うのだが、今ここで酔うわけにはいかない。ブルクハルトにだって、それくらいの分別はある。


「別に、妹を愛せとは申しません。側妃を持たれているという時点で、そのことは承知しております。もとより我らの父にも側妃はおりますので、妹も今さら反感は持ちませんでしょう」


 確かに、とブルクハルトは振り返る。アドリアーナは、たまには自分の寝所に立ち寄れと言っても、側妃を廃せとは言わなかった。コリンナとはたまに言い合いをしていたようであったが、彼女の口からコリンナの人格を貶めるような言葉は聞いていない。側妃という存在に反感を持たないというのも本当なのかもしれない。


 でも、とメルキオッレは続けた。


「どうかアドリアーナを正妃としてきちんと扱ってあげてくれませんでしょうか。家族として認めてもらえればそれが良いが、仕事上のパートナー、同士としてでも良い。彼女が王族として誇れるよう、仕事を与えてあげてください」

「仕事の、パートナー……」


 そう言われてもピンと来なかった。客人の接待、行事の出席。王妃としての仕事はきちんと任せたつもりだ。その上で好き勝手に動いている彼女に、これ以上何を任せろというのか。


 そこでふと気になって、メルキオッレの言葉を頭の中で反芻する。彼は「王族として誇れるよう仕事を与えろ」と言った。そして、政務をさせろと迫ってきた王妃。

 ……ひょっとして、何かとんでもないすれ違いがあるのではないだろうか。


「……申し訳ありませんが、王妃のこと、もう少しお聞かせいただいてもよろしいでしょうか」


 自分が何か間違いを犯したのではないか。王妃がノルトに行く頃から、頭の隅にずっと引っ掛かっていた。もしかすると今ならその正体を突き止められるのかもしれない、そのためには王妃のことを知らなければ、とブルクハルトはメルキオッレに迫るのだった。

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