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常識は地域性

 その後、色々と話が弾み、話題が再び先程出たという魔物の話に移ったときだった。

 現れた魔物は一角鹿といって、その名の通り、角が一本になった鹿の姿をしているらしい。ユニコーンの亜種かと思いきや、角の形は普通の鹿のものと同じで、それが額から生えているようだ。

 草食で積極的に人は襲わないが、一度怒らせると勢いよく突っ込んでくるらしい。その上、群れる。だからその一角鹿が現れると、結構な大事になるのだそうだ。

 一通り説明を聞いたアドリアーナは、ふと思った。


「それで、その魔物って、美味しいのでしょうか?」

「…………は?」


 ぽかん、と茶を飲む手を止めて、キルケはアドリアーナを見た。


「いやいや王妃様! 魔物ですよ? 食べませんよ」


 またしても礼儀を忘れたオリヴァーが、大声を上げて背後から割って入った。隣でテオとエミーリアが冷たい視線を向けているが、彼は全く気づいていないようだ。

 アドリアーナはと言えば、数少ない話し相手というものもあって、軽率でも彼のこういうところは嫌いではないので、その点は指摘せずに言葉を返した。


「魔物でも、食べるでしょう。肉が筋ばって食べにくいとか、臭いがすごいとか、そういうのでもない限り」

「マジで……?」


 オリヴァーだけでなく、キルケにまで胡乱な目を向けられたので、アドリアーナは慌てて付け加えた。


「私はゲテモノは食べないわよ。食べられる魔物を食べるのは普通よ、普通。ハンターたちは食べているし、ケレーアレーゼでは市場に出回っているわよ」


 強いて言うなら、珍味の扱いだろうか。フォアグラなどと同系統。だが、大きさがあるものでは庶民でもなんとか手が届くくらいの価格で売られていることもある。

 つまり、常識的に、魔物は食するものだ。

 ……でも、そうか。その一角鹿とやらは食べたことがないのか。


「ところでオリヴァー、貴方、この領で狩りをして暮らしてたのよね」

「あ、嫌な予感」




 あの後、"嫌"と言っていたオリヴァーは、結局アドリアーナのお願いを叶えるため、一角鹿が出たという東まで出掛けていった。そして夕方頃に、大きな袋を担いで戻ってきた。

 袋の中には、血も抜かれ、下処理もされた鹿肉が一塊入っていた。


「とりあえず、もも肉を持って帰ってきました。少なくても文句言わないでくださいよ」

「言わないわよ。一頭分のお肉なんて全部食べられはしないもの」


 実際、オリヴァーが持って帰ってきた大きさで二、三人前はいけそうだ。


「で、どうやって食べるんです?」

「普通にステーキかしら。ヨハンナがブラックベリーでソースを作ってくれたから、それを掛けましょう!」


 果物などないと思っていたザルツゼーだが、どうやら野生のものの中にはこのような果物もあるらしい。ただ、ブラックベリーはそのままで食べても酸っぱいだけなので、食用として認識されていなかったようだ。

 アドリアーナはリーベルトたちと遠乗りに出掛けたときに、このブラックベリーが山の中に生えているのを見つけた。ヨハンナはそれを覚えていてくれたようで、昼間、テオと一緒に摘んできてくれたらしい。


 調理室に運ばれた肉は、夕食のメインである豚のソテーと一緒に出てきた。試食であるためか、薄く切られた肉は個々の皿ではなく大皿に盛られている。外はこんがりと、中は薔薇色のちょうど良い焼き加減。並べられた肉を横断するように、赤紫のソースが掛けられている。


「どうぞ。ソースはケレーアレーゼ家庭風ですので、料理人のものと比べて劣りますが」


 エミーリアが小皿に取り分けて一人ずつに配り、ソースを作ったヨハンナが紹介する。魔物の肉というだけあって、前に出されても皆の表情は固かった。因みに、普段の夕食はリーベルト夫妻とその息子、そしてノルトの客人のニコライとで五人きりなのだが、今晩は、経緯を聞いたリーベルトがキルケを食卓に呼んだ。道連れなのか招待なのかは、本人のみぞ知る。


 綺麗にきつね色に焼かれてキノコのクリームソースが掛けられた豚のソテーもとても美味しそうだったのだが、アドリアーナは先に鹿肉に手を付けることにした。普通の鹿と同じであるならば、きっと淡白な味である。味付けもシンプルだ。濃厚なソースのソテーを食べた後では、味がわからなくなる可能性がある。

 フォークとナイフを使って筒状に巻き、口の中へ持っていって咀嚼する。


「……結構イケるわね、これ」


 鹿肉は焼く前に叩かれ、すりつぶした玉ねぎを揉み込んであったので、ほどよく柔らかかった。歯応えのある噛み心地。脂が少なく淡白な肉に、砂糖とアドリアーナ持参の赤ワインで煮詰めたブラックベリーソースの酸味が良く合っている。


「本当、美味しいわ……」

「魔物って、食べられるんですね……」


 アドリアーナに倣って魔物の肉に勇気を持って手を付けたリーベルト夫人とキルケが、呆然と呟いた。


「それはそうでしょう。ただ口から火を吹いたり、目から光線を放ったりするだけで、他の動物たちと何も変わりがないのですから」

「その、火を吹いたりするのが問題なのですが……まあ、いいです」


 夫人とキルケはまた鹿肉に手を出した。その様子を見て、魔物の肉と躊躇っていたリーベルトの子息も、恐る恐る手を伸ばす。

 ただ一人、リーベルト当主はといえば、一口肉を食べたきり、考え込むように俯いてしまった。


「……やはり、こういうものを食べているから、いつでもお元気で居られるのでしょうか」


 二切れ目に取りかかろうとしたところで、アドリアーナはぽかんとリーベルトを見つめた。まさか、彼は魔物の肉に魔力か何か宿っているとでも思っているのだろうか。

 その視線に気づいたリーベルトは、勇猛な見た目に似合わず弱々しく頭を振ると、苦笑いを浮かべた。


「いえ……そのニコライ殿が、そのお年で元気でいらっしゃいますから、ケレーアレーゼには、なにか若さの秘訣のようなものがあるのかと思いまして」


 アドリアーナはニコライをちらりと見た。確かに年齢のわりにあちこち飛び回っているので元気な方だが、若さの秘訣を尋ねられるほどではない。


「……申し訳ございません。私ももう四十ですから、引退のことばかり考えてしまって」

「え……?」


 冗談かと思ったのだが、リーベルトが息子に目を向けて、倅もまだ十二だから後継者の問題も……、と続けたのを聞いて、彼が本当に引退を考えていることを知り、アドリアーナは驚愕した。

 アドリアーナの感覚からすれば、四十はまだまだ現役である。むしろ、ある程度経験をつんだ中堅として重宝されることの方が多い。


「あの、失礼ですけれども、この国では普通、何歳でお仕事を引退されるものなのでしょう?」

「仕事に寄りますが、遅くても四十五になる頃ですね。最も、勤めあげる前に亡くなってしまうことも多いのですが」

「四十五……」


 そう言えば前王――ブルクハルトの父親も、四十五で亡くなったのだったか。突然死だったというが、もしかして食生活が関係あったのだろうか。


「……ああ、そうか。この国は野菜をあまり食べないのでしたね」


 アドリアーナと同じく困惑していたニコライが、なにか思いあたったらしく言った。


「それが?」

「私が見た論文によると、野菜や果物を良く食べる地域と、そうでない地域とでは、寿命が変わってくるそうです」


 ニコライが見たというのは、百年ほど前のケレーアレーゼの地域別の食事形態と平均寿命を照らし合わせた論文だそうだ。

 ケレーアレーゼは広い国なので、南部と北部では気候が違い、それに伴って育てられる食料にも違いが生じていた。南部は温暖で、穀類や色の濃い野菜、果物作りが盛ん。北部は冷涼で、芋やニンジンをはじめとした根菜類作りのほかに、酪農が行われている。

 従って、同じ国の中ではあるが、食文化にも違いがあった。南部は野菜や果物が中心の食事。北部は肉や根菜、乳製品が中心だ。

 そして、論文によれば、北部の住民よりも南部の住民のほうが、寿命が長いのだそうだ。それも、北部と南部で野菜栽培量の格差が激しかった過去を遡るほどにその差が大きくなっていくのだそう。

 この結論から導きだされたのは、野菜や果物の摂取量と寿命が関係しているというものだった。


「もちろん、これは統計的な資料を照らし合わせた結果でしかありませんが……」


 数値的に見てそういう事実があるというだけで、原因が何か特定できているわけではないから、信憑性の高い話ではない、とニコライは言う。


「やはり野菜はもっと必要ね。それから果物。この国は果樹栽培をしていないらしいから、是非やりたいと思っていたのよ。ああ、でもまだ輪作の試験が始まってもいないのに……さすがにあれもこれもいっぺんにはできないわね……」


 諦めるしかないか、と肩を落とす。自給率の安定が第一だ。民がまともに食べられていないのに、食事バランスもなにも有ったものではない。

 満足のいく結果が出るのに、少なくとも四、五年はかかるだろうか。こういうことは気長にやるものだと解っているのだが、せっかちなアドリアーナは今すぐ動きたくて堪らない。

 その心境を察したニコライが、助言を出した。


「確か山にはブラックベリーがあるのでしたかな。畑の隅に一本くらい植えるのでしたら、どうにかなりましょう」

「そうね! そうしましょう。これみたいにソースにもなるし、コンフィチューレ(ジャム)にもできるし」


 果物は糖分が多いので摂りすぎは良くないが、全くないよりは良いだろう。ソースやジャムであれば料理に掛けたり塗ったりするだけなので、取り入れやすい。

 そうだ、この国は果物を食べ慣れていないから、そういう加工品で広めることにしよう。保存も利くので、運搬中に腐るのを気にしなくても良いから、国中に流通させるのは容易いはずだ。

 となれば、まずは育てられる果物を探そう。冷涼な土地でも育つもの。それから土地だ。日が良く当たり、昼夜の寒暖差が大きなところ。雨も少ないと良い。


「また、やることが増えましたね……」


 少しうんざりしたようにキルケは言う。彼は輪作に魔物にとここ最近忙しく働いていたから、これ以上の仕事は歓迎できないのだろう。

 だが、アドリアーナのほうはといえば、今から動き出したくてうずうずしていたのだった。

●裏話●

 というよりは、言い訳のコーナーですが……。


 少し調べたところによると、塩分の過剰摂取は、必ずしも短命には繋がらないようです。

 事実、塩気のあるものが好きな人が多い日本は長寿国ですし……。

 もちろん、一説に過ぎませんし、高血圧の原因で、死のリスクが高くなることに変わりはありませんが。


 では、中世のヨーロッパの食生活と寿命の関係性はどうだったのかと調べてみたところ、ビタミンやミネラル不足が原因で短命だったのではないかという話がありまして、このお話の後半に繋がっていくわけです。

 もっとも、当時の平均寿命は20~30歳だという話ですので、忠実に反映したわけではありませんが。

 あくまで娯楽小説ですので、そのあたりはお目こぼしいただけると幸いです。


 因みに、国王ブルクハルトの父親の死因は、高血圧による心筋梗塞です。こちらは紛れもなく塩分が原因。

 皆さんが危惧されたように、高血圧による急な病での死亡率は多くなっております。

 作中では触れられていないのですけれどね。


 なお、参考にさせていただいたのは個人のサイト様ですので、勝手に紹介するのもどうかと思い、掲載は控えさせていただきます。

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