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すべきことを望む形で

 ザルツゼーの領土は狭い。王都ザルツァンから各領地の中心部へは、馬車でなら一日もあれば辿り着いてしまう。朝早く城を出たアドリアーナたちがノルト領に着いたのは、昼を過ぎた頃だった。

 ノルト領はまさに山のなかにあるといった感じの土地だ。西も東も北も、高い山がそびえ立つ。唯一南の山は周囲に比べると低めで、馬車で行き来できる高さであったからこそ、わざわざここに人が住んだのだろうと予測される。

 領地の大半はこの山々で、人家があるのは中心部にある大きめの里ただ一つ。盆地と呼ぶに呼べないほど小さな低地にぽつんとあった。これなら狩りで生活するのも納得できるというもの。農耕地にできそうな場所が少ない。

 さて、領主の邸は、北の山を背にして里の端に佇んでいた。やはり木でできた、骨組みは白、壁は暗褐色に塗装された家である。馬車はその邸宅の玄関前に停められた。


「ようこそおいでくださいました、妃殿下。わざわざご足労いただき感謝いたします」


 出迎えたのは、四十になろうかという領主リーベルトだ。日に焼けた肌、がたいのよい体つき、額からこめかみにかけて付いた傷など、なかなか厳つい風貌だが、にこりと笑った表情が見た目の恐ろしさを緩和している。


「お久しぶりですね、リーベルト。私の結婚披露宴以来でしたかしら?」

「覚えておいででしたか」

「もちろんです。この国の数少ない領の一つを担う方ですもの」


 それに、その顔はあまりに印象的で忘れられない。


「それはそうと、紹介しますわ。こちらはニコライ。我が故国から呼び寄せた農学者です。しばらくこちらに滞在していただいて、ノルトでの農法指導をすることになります」


 農学者ニコライは、初老に入った頃合いだが、部屋に籠って論文を書くよりも、植物の世話をしているほうが好きという活動家だ。故国ではあちこち飛び回り、作物を育成する環境条件について研究していた。因みに、アドリアーナに農業について教えてくれたのもこの人だ。

 今回、ノルト、ひいてはザルツゼーの農業を見てもらうのにうってつけだと思い、ケレーアレーゼに連絡を取って、呼んでもらった。


「では、こちらも」


 リーベルトが背後の若い男性を促す。


「彼はロルフ・キルケ。ノルトの荘園を任せています。今回の件は、彼に中心になって進めてもらおうと考えているのですよ」


 よろしくお願いいたします、と頭を下げた男は、王と同じくらいの年頃だった。キツくつり上がった目、への字に結ばれた唇。少々気難しいところがありそうだ。


「ドレスラーから貴方のことは聴いています。非常に優秀だそうですね」

「滅相もございません。城勤めの外交官に言われるほどではございません」

「いやいや、その友人の評価は正しいものですよ。彼がいてくれるお陰で、我が領はかろうじて食い繋いでいられる」


 リーベルトの褒め言葉にもキルケは表情を動かすことなく、恐縮です、と短く言った。アドリアーナは、くすり、と笑う。どうやら堅物ではあるようだ。


 さて、とリーベルトは自らの邸を示す。


「長旅でお疲れでしょう。部屋を用意させますので、お休みになってください」

「いいえ、さほど疲れていませんわ。それよりもそちらが構わないのでしたら、早速打ち合わせをしたいのですけれど」


 山一つ越えたが、傾斜はなだらかで道はそれなりに整備されていたので、馬車に乗っていただけのアドリアーナたちには楽な道のりだった。同乗していたニコライも体力に自信がある方であるらしく、アドリアーナに同意している。


「では、小一時間ほどお待ちいただけますか。急ぎの仕事を片付けて参りますので。ちょうどお茶の時間にもなりますので、お茶を飲みながらお話ししましょう」


 提案を承諾し、アドリアーナたちはリーベルトの案内のもと、邸内へと入っていった。



 ベージュ色を基調とした素朴で暖かみのある客間に案内されてから、リーベルトとキルケは辞して仕事へと戻っていった。その間、リーベルトの奥方であるキセラがアドリアーナたちの相手をしてくれていた。

 三十半ばにしても若々しく朗らかな彼女に振る舞われたお茶を堪能しながらお喋りをして、一時間。リーベルトがキルケを伴って再び客間に顔を出した。


「お待たせいたしました」

「いいえ。忙しいのに申し訳ありませんでしたわね。ご迷惑だったでしょうか?」

「いいえ。できるのであれば、早くお話をお聞きしたかったので、問題ございません」


 仕事の話になると察したらしいキセラが、リーベルトたちに茶を配って部屋を出ていった。その頃を見計らって、アドリアーナはニコライに話をはじめるよう促した。

 ニコライは鞄から書類を取り出し、何枚かをリーベルトとキルケのそれぞれに手渡した。あらかじめ説明用の資料を作ってきてくれたようである。そして一通り、農法に関しての説明をした。


「なるほど、同じ土地で同一の作物を作り続けているのが悪かったのですね。それで別種の作物を植えることで土地の一部を休ませ、再び元の作物を育てられるようになると。これで収穫は安定しますかな」

「気候や災害はコントロールできませんし、万能な方法とは言い切れませんので、必ずとは申し上げられませんが。しかし、土壌の改善には繋がると思いますよ」

「さほど難しい作業でもありません。試してみる価値はありそうだ」


 ニコライの説明に納得できたのか、二人の反応は好感触だ。このまま進められそうだ、と安堵したそのときである。


「それにしても、妃殿下。何故貴女はこのようなことをお考えになったのです?」


 リーベルトの瞳がキラリと光った。為政者の目だ。城に居るときも、よくこういう視線を向けられた。他国生まれの王妃が気に入らないのか。王妃につくことで自分の利益が得られるのかを気にしているのか。それとも気高い志でも持っていなければ協力する気がないのか。どちらだろう、と思いながら慎重に口を開いた。


「私はこの国の王妃。国のためになることを考えるのが当然でしょう?」


 そうですね、と相槌が返ってくる。が、納得していないのは明白だった。取って付けたような動機だ、当然だろう。

 何を期待されているのだろう、ともう一度考えた。食べるものも自力でろくに賄えない領地の主。彼が憂いているのは、当然領民の生活であるはず。だとしたら、彼が恐れるのは、王族に不必要にこの地を荒らされないことだろうか。

 ならば、とアドリアーナは、自分の心のうちを全て話すことにした。今後彼と良い付き合いをするためにも、面白半分で手を出したとは誤解されたくない。


「私は、自分のやりたいことを、自分の義務を果たす形でしているだけにすぎません。美味しいものを食べたいから、美味しい食材がいる。輸入では大変だから、作れる限りは国の中で作りたい。そのためにはこの国での収穫量を上げなければならなくなった。だから輪作を提案した。ただ、それだけですわ」

「……なるほど。それを聞いて安心しました」


 にこり、と先程のような気の良い笑みをもう一度浮かべた。どうやら合格であるらしい。ふう、とひそかに息を吐き、自分が緊張していたことをようやく自覚する。


「そういえば、妃殿下には野望があるとかなんとか」

「ドレスラーがキルケに話したのかしら。ええ、その通り。作りたい作物があるのです」


 ニコライが生育可能と判断した場合の話だが。


「それは?」

「甜菜です」


 聞き慣れないのか、リーベルトもキルケも首を傾げていた。


「甜菜は砂糖大根とも言って、砂糖の原料になります。砂糖はお高いでしょう? だから自前で賄いたいと思っていたのです」


 一年前のプラミーユ大使をもてなした晩餐会からずっと、砂糖は欲しいと思っていたのだ。この国は畜産物はそこそこ採れているので、アイスにカスタード・プディングにクリームと、様々な甘味は作れるはずである。

 砂糖と言えばサトウキビから採れるものが一般的だが、この寒いザルツゼーではまず育成不可能。ハチミツが採れるらしいからそれで我慢するか、と思っていた矢先、かつて訪れた国で甜菜を育てていたのを思い出した。


「なるほど、砂糖ですか。確かに上手くいけば良い収入源になりそうだ」


 アドリアーナがこの話をノルトに持ち込んだ理由は、まさにそこにあった。この地は狩りで得た毛皮などを主な収入源にしていると、以前オリヴァーに聞いた。加工も行うので技術はあるようだが、獣を仕留めた数に左右されてしまうため、収入が不安定に感じたのだ。だから、この領はいっそう貧しいのだろう。

 ならば安定した収入源を、ということで思いついたのが甜菜――砂糖だ。砂糖なら国内外に絶えず需要がある。作物である以上、不作などのリスクは免れないが、獣を狩るだけの生活に比べれば多少は良いはずだ。

 もちろん、この領の食糧を安定させるのが大前提なので、ついでの栽培のつもりでいる。


「どうするキルケ?」

「栽培可能であれば。それが分からないことには、大量生産はできません」

「よしなに。こちらでできることは協力いたしますわ」


 アドリアーナとしては、希望を伝えられただけでも満足だ。領民の生活が第一なのだから、領を運営している人間に任せるべきだろう。

 それでは、と早速明日からの予定を立てはじめる。領主も荘園の差配人もみな積極的だ。

 良いスタートを切れそうだ、とアドリアーナは思った。

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― 新着の感想 ―
[一言] 塩分の過剰摂取…の基準は割と曖昧で、特に肉体労働従事者とそうでない人の差は大きいと思います。なので塩味が強い物を好む人とそうでない人には、個人的な物と環境的な物が絡まり合っていると思っていま…
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