認識の違いは確執の元
すっかり紹介が遅れてしまったが、アドリアーナは北端の小国ザルツゼーの王妃である。元々は南の大国ケレーアレーゼの王女の一人であったが、一年前にこの国の王ブルクハルトの元に嫁いできた。
そして、つい先程まで、七年ぶりにこの国を訪れたという、美食で名高いプラミーユ国の大使のオスマン夫妻を接待していたところである。夫妻に強いてしまった苦行を、故国のお茶と果物を振る舞ってお詫びをし、同情と感謝の言葉をいただいたところで解散となった。
やれやれ、と無駄にくたびれた身体を引きずって自室に帰ろうとしたところ、王に執務室に来るように命じられたので、しぶしぶ赴く。あまり良い予感はしなかった。
ザルツゼーの王の執務室は、アドリアーナの知る故国のものとは違い、簡素でこぢんまりとしている。あるのは、壁際に並べられた大きな書棚が三つ、王の執務机とそれよりも小さい補佐官の机、そして来客用の卓とソファーと、暖炉のみ。ところ狭しと置かれているが、南側に設けられた大きな窓と青灰色の壁のお陰で息苦しさはあまり感じられない。
むだに広く、使い道のない鎧兜の置物やら、肖像画やらが並べられている執務室よりも、こちらの方がアドリアーナは好きだとは思うのだが、ドレス姿で王の机の前に立たされるとソファーの背でパニエで膨らんだスカートが変形してしまうので、やはりもう少し広さは欲しいかなと思う。
せめてソファーを勧めてくれれば良いものを。何故叱られる子供のごとく机の前に立たねばならないのか。
さて、プラチナブロンドの真っ直ぐな髪と冬の空のような青い瞳を持った、冬の精霊のような容姿のザルツゼー王ブルクハルトは、二人きりになるやいなや、妃を罵倒し始めた。
「なんということをしてくれたのだ! 大使にあのような水っぽいものを勧めるなど!」
水っぽいもの、とは梨のことを指している。今年は気候がよく、特に甘いものができたのだと言って送られてきたのだが、この国王にはそれすら水のように淡白な味にしか感じられなかったらしい。
「せっかくの最高の晩餐が台無しになってしまったではないか!」
最高の晩餐、の下りに笑いそうになったが、そんなことをすれば拗れるだけなので、淡々と事実だけを述べる。
「あら、喜んでいただけたと思いましたけれど」
「気を遣ってくださったのが何故分からん!」
――その言葉、そのままお返しします。
それは心の中にしまい込み、毅然とした態度で指摘する。
「以前にも申し上げましたが、この国の料理は味が濃すぎます」
「何を馬鹿な。美食の国で有名な、プラミーユの大使が誉めてくださったのだぞ」
「気を遣っていただいたのですわ。お分かりになりませんでしたか?」
結局、返してしまった。それほどまでに、アドリアーナは苛立っていた。
そう、何度も繰り返すが、今日の客人は美食の国の使者である。国を代表してきている以上、その味覚は鋭いものであることだろう。そんな相手に、塩辛すぎて家畜の餌にすることもできないような料理を勧めてしまったのだ。国の妃としては黙って見過ごすことはできず神経をすり減らし、どうにか取り繕ろうとした行動をこのように罵倒されれば、堪忍袋の緒も切れる。
が、王の方はそんな心中を推し量ろうともせず、怒りに満ちた瞳でアドリアーナを睨み上げた。
「貴様、この国の土地が痩せ、食材に乏しい国であることを馬鹿にしているな」
誰がそんな話をしているのか、とアドリアーナは呆れた。論点は食材の乏しさではない、味付けの話だ。とにかくご自慢の塩をふんだんに料理に使うのを止めろ、と言っているのである。
確かに故国は気候に恵まれ、あらゆる農産物があり、色とりどりの料理があるが……気候に恵まれず、育てられる作物に制限が出てしまうこの国の食の素朴さを馬鹿にするなんて、そんなどうしようもないことをするはずもない。
溜め息を押し殺して黙り込んでいると、王はさらにたたみ掛けてきた。
「さすがはこの私に雑草を食わせただけのことはある。その性根の悪さにはいつも驚かされるな」
嫁いできた当初、この国の料理に我慢できずに故国から料理人を呼び寄せて調理してもらったのを食してもらったことがあったのだが、なんとこの王、サラダを食べるやいなや雑草、と一蹴したのである。因みに、ベビーリーフとルッコラが使われたサラダである。見た目は葉っぱだが、どちらも歴とした食用野菜だ。
その時のことを引き合いに出すばかりか、性根が悪いとまで。あのときは全くそのつもりはなかったのに、嫌がらせと決めつけられている。
つくづくこの王は、アドリアーナのことが嫌いらしい。
「……もう、結構ですわ」
結婚してから一年間、ずっとこの調子である。いい加減、相手をするのにも疲れてきた。あまりに面倒くさくなったので、適当に切り上げて帰ろう、と考える。
が、王の言葉がそれをさせなかった。
「三日後、大使がお帰りになる前夜にも晩餐会を催す。今度はあのような勝手は許さんぞ」
アドリアーナの頭から血の気が引いていく。また晩餐会をやる? あの美食の国の大使を相手に、あの料理をまた振る舞うと?
それはなんともまずい展開である。国と国の繋がりを強くするために来てくださった大使を相手に、塩を撒いて追い出すような真似を絶対にさせるわけにはいかない。
「……その晩餐会、私に任せてくださいませんか」
「今、勝手は許さんと言ったのが聞こえなかったのか」
「ええ、聞こえませんでしたわ。それで私、大使をおもてなしさせていただきたく存じますの」
「ならん。論外だ」
にべもない。が、まあ予想された反応である。一年間ずっとこんな調子なのだ、今さら悲しみなどしない。
こうなったら、最後の手段だ。
深呼吸して、イメージする。
「まあ、この国のことを考えてのことだというのに、私の願いが聞き入れられないなんて、なんて酷いのかしら! 私、せっかく南からお嫁に来たというのに悲しいわ。ああ、お父様になんて伝えましょう!」
いつか演劇でみた“悲劇のヒロイン”のごとく大袈裟に言って見せれば、ひくり、と王の肩が跳ねた。アドリアーナの演技にというより、台詞に反応してのことだろう。アドリアーナにあんまりな態度を取ってはいるが、さすがのこの王も、この国がケレーアレーゼに楯突けば、すぐさま踏みつけられるような弱小国であるという自覚はあるのである。
「脅しのつもりか」
「いいえ、滅相もない。ただ、お父様に私の近況をお手紙に書こうというだけですわぁ」
実際はアドリアーナが何を言ったところで、父が気にすることはないのだが……この小国の王は、それを知らない。甘えた小娘のようで癪ではあるが、今はこれが一番有効な手なのである。
「白々しい」
ブルクハルト王は大きなため息を吐くと、精一杯アドリアーナを睨みつけて言った。
「分かった。そこまで言うのなら、この件貴様に託す」
「あら、ありがとうございます」
と慇懃にお礼を言う内心で舌を出す。せいぜい腹を立てていればいい。この国の誰がどう言ったって、アドリアーナのほうが客人を満足させることのできるものを出せるのだ。きっといつか吠え面をかくことになる。
「良いか、くれぐれも……くれぐれも! 大使のご不興を買うような真似はするなよ」
「ええ。心得ておりますわ」
貴方よりも遥かに。
言外にそう加えて、アドリアーナは満足げに王の執務室から辞していった。