たまには遠出もしてみたい
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なお、誤字・脱字などについての修正はなるべく早く対応させていただきます。
イルメラが決心した、とドレスラー経由でシャハナーから報告を受けた。大変喜ばしい事だが、これで城下町へ遊びに行く理由がなくなった。
カリカンヌの客人を迎えて以降、国内で大使を迎える予定もない。
お茶会や夜会を開く予定もない。
つまり、暇だった。
暇にかまけて本も読んだりしたのだが……ザルツゼーは歴史の浅い国なので、これまでの政治記録は少なく、嫁いですぐに大方目を通してしまったし、娯楽小説の類いは城に置いていないしで、結局読むものがなかった。
編み物や刺繍はそこそこできるが、目的がないと進まない。贈る相手がいないから、気乗りしなかった。
乗馬なども考えたが、思い付きで行動しても城から出してくれるはずもなく断念。
何もすることがない。
「……庭でも散策しましょうか」
外の空気を吸えば少しは気が晴れるかと思い、腰を上げる。今なら薔薇が咲いているはずだ。庭歩きも楽しめるだろう。ついでに可能なら、花をいくつかもらって、フォサーティにジャムでも作ってもらおうか。
そんなことを考えながら部屋の外に出ると。
「妃殿下」
「あら、ドレスラー。それから、この前の」
外交部で暴言を吐いた、あの若い農政官がいた。
「フェルカーと申します」
おずおずと頭を下げる。あのときは怒りで相手のことをあまり見ていなかったのだが、フェルカーはふわふわとした金髪と潤んだ淡青の眼を持った、まるで仔犬のような青年だった。アドリアーナを怒らせたことを気にしているのか、若干怯えで震えている。
さて、部署の違う二人がなんで連れ立って、アドリアーナの部屋のそばにいるのか。
「実は、先日の件でフェルカーからご報告が」
「り、輪作の件ですが、この度、農政部内の会議、陛下の承認を経まして、いくつかの地で、試験を行うことが決定しました。それで……その、妃殿下には、先日大変失礼なことを申し上げまして! その事について改めて謝罪させていただきたいのと、その……」
しどろもどろとしているし、話が急に飛んでいたが、何を言いたいのかだいたい察した。
「参考人としてケレーアレーゼの農学者が欲しいのかしら?」
そうです、と飛びつかんばかりにフェルカーは頷いた。
「この件は外交部が持って帰って来た話でしょう。だから謝罪なんて必要はないわ。けれど、参考人の件は引き受けましょう。故国に手紙を書いてみるわ」
「はい! その、ありがとうございます! よろしくお願いいたします!」
そしてフェルカーは去り際に、
「申し訳ございませんでした!!」
廊下に響き渡るほどの大声を出して直角に頭を下げたのだった。
アドリアーナは呆気にとられて、しばしフェルカーが立ち去ったほうを見続けていた。結構な大音声だったのか、耳がまだわんわんいっている気がする。
「……その、申し訳ございません」
自分のところの部下でもないのに、ドレスラーは恐縮しきりだった。失敗した、と顔に描いてある。その気持ちは、アドリアーナにも深く理解できた。よくあれで、城勤めができたものである。
「なんというか、可愛らしいわね」
礼儀はなってないし、要求と詫びたい気持ちとがない交ぜになって話が支離滅裂だったが、謝罪は心からのものだった。悪い人間ではないようなので、少しは寛容になれる。
「今年入ったばかりの新人です。まだ不慣れで」
「……ま、いずれ直ればいいわ。だいたい秋までに」
次に来客があるのはその頃だろう。なかったとしても、次の社交シーズン前には醜態を晒さないようにしてほしいものだ。
「それより、貴方はまだ何か用事があるのかしら?」
「はい。実は、先程フェルカーが言っていた試験地の一つであるノルト領の領主が、特にこの件に関心を示しているようでして。一度、妃殿下にお目通りすることを願っているそうです」
「領主様が!」
と突然声を上げたのは、オリヴァーである。軽薄な彼もアドリアーナが他の誰かと会っているときはみだりに声をあげるようなことはしなかったので、今回ばかりは少し驚いた。
もう一人のアドリアーナ付きの騎士テオに小突かれて、オリヴァーは慌てて頭を下げる。
「あ、すみません。私の故郷なもので」
なるほど、と頷く。ちょうど良いので、声を出したついでにノルト領について教えてもらうことにした。
「ノルト領……ザルツゼーの中でも特に生活の厳しい土地、だったかしら? 農業もさほど上手く行かず、王都のように岩塩坑も北東の領のように銅山を抱えているわけでもない」
「住民は主に狩りで生活してます。動物を狩って肉や皮を加工して、それと引き換えに他の食べ物とかを手に入れてるんです」
ドレスラーはオリヴァーの言葉に頷いて、付け加えた。
「そのような土地ですから、なおのこと興味を持ったようです。自分の力で農作物を得られれば、生活は楽になりますから」
「なるほどね。でも、わざわざ私に会いたいというのは何故?」
候補地に決まった以上、アドリアーナに口出しできることはないはずだ。
「妃殿下から直接お話を伺いたいとのことです。この試験の意図などを聴きたいのでしょう」
「そう。なら、ノルトへ行きましょうか」
ぴた、とドレスラーが目を見開いて固まった。
「あの、妃殿下。そこまでは……。お伝えし忘れていたかもしれませんが、先方はこちらに伺うと言っていました」
「そうなの? でも、ついでよ。どうせ何処か見学させてもらおうと思っていたもの」
食事の件がアドリアーナの手を離れてしまってすることがなくて退屈というのもあるし、話を持ち込んだ責任もある。何よりじっとしているのは性に合わない。
それにね、とアドリアーナは続ける。
「実は私、密かな野望があるの」
「野望……ですか」
「叶うなら育てて欲しい作物があるの。農業にこれといって特色がないのなら、お願いしてみようかと思って」
あれは寒冷地で育つ作物だ。温度条件や土壌条件が厳しめではあるらしいから、専門家の意見が必要だが、もし適するようなら是非植えたい。それでもって、できるだけ国内に広めたい。
ただ、食料問題を解決するようなものでもないので、様子は見ないといけないのだが。
「ですが、城を離れられるのは如何なものかと」
「どうせ暇よ。ちょうどこれから暑くなるし、避暑に行きたいとでも言えば、きっと喜んで送り出してくれるわよ」
最近王とは顔を合わせていないが、変わらずアドリアーナのことを鬱陶しく思っているはずだ。少しの間城を出ていったのなら、側妃と心置きなく過ごせるだろうから、反対などしないだろう。
……一瞬、その対応の甘さ(予測)に反乱なんか起こせるかも、なんて考えが頭を過る。すぐに馬鹿馬鹿しい、と振り払ったが。争いから逃れるためにこの国に嫁いだというのに、ここで争いを起こしてどうするというのだ。面倒なことこの上ない。
「ねえ、ドレスラー。お願い」
数少ない友人をじいっと見上げれば、やがて彼は観念して溜め息を吐いた。
「……分かりました。ノルトには知り合いが居りますので、私のほうから伺ってみましょう。ただし、先方が渋る様子を見せたのであれば、この話は撤回させていただきます」
「そうね。豊かでないのなら、無理はさせられないもの」
王族の訪問を受け入れるとなると、どうしても準備が大掛かりになる。客間は上等なものを用意しなければならないし、侍女なども付けなければならない。それよりなにより、警備の強化も必要だ。
つまり、金と人手がたくさん必要となる。
アドリアーナは特別豪奢な接待など必要ないのだが、受け入れる側はそうはいかない。無礼がないように、と否応なしに気を回さずにはいられないはずだ。それで領地の経営が圧迫されるようなことになるのは、アドリアーナの本意ではない。
本意ではないが。
「ノルト……どんなところかしら」
二年以上閉じこもって飽き飽きした城から出られるかもしれないと思うと、どうしても期待してしまう。
できるだけ実現されるよう、アドリアーナは自らの訪問にあたって"不要な気遣い”の内訳を、ドレスラーに伝えてもらうことにした。