食べ比べてみれば瞭然です
約束の二週間後の月曜日を迎え、アドリアーナは再び髪を染め、ワンピースを身に纏って城下町へと下りていった。
「ドリーさん、いらっしゃい!」
月曜の夕方は定休だという、約束をしたあの食堂に顔を出せば、待ちわびたとばかりにイルメラが店の奥から飛び出してきた。そしてヨハンナと正式にアドリアーナ付きになったオリヴァーの持つ荷物に目を輝かせ、さらにアドリアーナの背後にもう一人いることに気がついて、目を瞬かせた。
「あれ? お連れ様?」
彼女が目に留めたのは、麦色の長い髪を後ろで束ねた、三十前後の男性だ。色香のある男だが、微笑みが底知れぬ雰囲気を漂わせ、只者ではない印象を与える。
「紹介するわ。シャハナーさんよ。父の仕事の関係で知り合ったの。今回の話をしたら興味を持ったらしくて、今回の試食会に誘ってみたの」
「もしかして、シャハナー商会の会長さん!? ドリーさん、凄い人と知り合いなんだ!」
ドレスラーが紹介した商人シャハナーは、ザルツゼーに古くからある商人の家系に生まれた。つい昨年父のあとを継いで商会の会長の座におさまったが、血統による後継に有りがちな甘ったれた様子はまるでなく、むしろ相当な切れ者であるらしい。
そして、革新的な人物でもあった。だからアドリアーナに協力することを承諾してくれたのだ。
「突然お邪魔してしまったけれど、構わないかな?」
「ええ、もちろんです! むしろこんなしょぼい店でごめんなさい……」
縮こまるイルメラに対してシャハナーは穏やかな笑みを浮かべた。
「十分広いし、掃除も行き届いている。しょぼいなんてことないけれどな」
褒められたことが嬉しかったのか、イルメラは顔を真っ赤にして、あーだの、うーだのと呻きはじめた。
「さて、それじゃあ、試食といきましょうか」
店の奥のほうにあるテーブルを指し示し、ヨハンナとオリヴァーに命じて持ってきた料理を並べさせる。すぐさまテーブルに飛び付いたイルメラは、歓声をあげる。
用意したのは、こんがり焼いたパンに生ハムとクリームチーズを載せたブルスケッタに、トマトソースにチーズとバジルを載せたシンプルなピッツァ・マルゲリータ、素揚げしたナスやパプリカをトマトと白ワイン酢で煮込んで冷やしたカポナータ、ニンジン、セロリなどの野菜と一緒にトロトロに煮込んだ仔牛肉の煮込み、豚肉の薄切りに生ハムとセージを載せて焼いたサルティン・ボッカの五種類。
「凄い。鮮やか!」
赤、白、緑と野菜を使った料理に特に目を惹かれたらしい。ピッツァやカポナータをしげしげと眺めていた。特にザルツゼーにはないトマトの赤い色が印象的だったらしい。
それから肉料理に目を留める。ヴルストやただの焼き物とは違う調理法に興味津々な様子だった。
「味見だから、少ししかないけれど」
「いただきます!」
アドリアーナの話を聞いていたのだろうか、と不安になるくらいに勢いよく料理に手を伸ばすイルメラに、周囲は苦笑した。アドリアーナたちはともかく、シャハナーの分も含まれるのだが、全部一人で食べてしまわないかと少し不安になる。
しかし、さすがに杞憂に終わったようで、イルメラは一つ口にする度に次々と感想を述べていく。味覚は鋭いほうであるらしく、感想は的確で、隠し味にも気付いていた。……さすがに、ソースのかかったオッソ・ブーコを"薄味”と評したときは、やはりザルツゼーの人間だな、と呆れたものだが。
「こんなん毎日食べてるんだったら、うちの料理批判されるのも分かるかも……」
食べ終わったイルメラは、名残惜し気に何も刺さっていないフォークを咥えて溜め息を吐く。塩辛いザルツゼーの食事に慣れている彼女だが、ケレーアレーゼの食事もずいぶんと気に入ったらしい。まさかザルツゼーの人間の口にここまでケレーアレーゼの料理が合うとは思わなかったので、アドリアーナも驚いた。
と同時に、ますますブルクハルトの味覚が疑わしくなってくる。それとも、単に食わず嫌いだったのだろうか。
「ねえ、ドリーさん。ケレーアレーゼの料理の作り方、教えてよ」
「私は無理だけれど、レシピを持ってきたの。それで良い?」
「十分、十分です! ありがとうございます!」
アドリアーナはヨハンナに目配せした。意向を受けた彼女は、紙の束を取り出してイルメラに渡した。イルメラは字は読めるようで、しばらく真剣にレシピを眺めていた。どうやら聞き慣れない食材があるようで、時折紙を指差してヨハンナに質問している。
家の手伝いだからなのだろうが、給仕にしておくにはもったいない、料理についての才覚と熱心さを持ち合わせた娘のようだ。
……これはやはり、彼女に協力してもらうのが一番だろう。
「ねぇ、イルメラさん。この国の料理、変えてみる気はない?」
「変える……料理を?」
「ええ。もう少し薄味に。でも、単純に薄くしただけでは、味気なくなる可能性もあるから、そこは食材の旨味を出したりと工夫して、伝統を維持しつつ、新しい味付けの料理を作って欲しいの。
やっぱり、他所の国に来たからには、その国の料理を食べたいもの。それが美味しければ言うことはないわよね?」
「うん、そうだよね! それは分かる!」
他所の国になど行ったことなどないだろうに、それでもしきりに頷くのは、これまで来た外国からの客に対して思うところがあるからなのだろう。
「だからね、この国の料理を、全ての国の人が美味しいって思う水準まで上げていきたいのよ。自分の故郷がご飯の美味しい国だって思えるのは素敵じゃない?」
「うん、いいねぇ、それ!」
アドリアーナの提案が気に入ったのか、イルメラは元気よく同意した。
ケレーアレーゼの料理はイタリア料理を参考にしています。