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数少ない味方にできること

 気まずい沈黙に耐えかねたのだろう、失礼するわ、と立ち去った王妃をドレスラーは慌てて追い掛けた。


「妃殿下!」

「ドレスラー、どうしたの?」


 呼び止めた声に振り返った彼女は、背筋をピンと伸ばしてはいたものの、どこか消沈しているようだった。いつもは爛々と輝いている飴色の瞳が翳っている。普段の意気揚々とした様子を知っているだけに、その萎れてしまった花のような姿はひどく甘美で、胸が高鳴った。

 動揺を圧し殺し、頭を下げる。


「その……色々と申し訳ありませんでした」

「気にしないで良いわ。私も言い過ぎたところはあったもの」


 彼女はふと淡く微笑んだが、すぐに肩を落とした。


「……我ながら情けないわ。ああやって脅さなければ人を使うことができないなんて。侮られるのも無理はないわね」

「そんなことはありません! こちらこそ不甲斐なく……」


 あのように言わせたのはこちらの所為だ、とドレスラーは思う。あの農政官の吐いた言葉は、それはもう酷かった。アドリアーナが国を思って言っていることは瞭然であるのに、余計な口出しをするな、と吟味もせずに切って捨てようとしたのである。

 それでもアドリアーナは説得を諦めて、この国を見捨てようとはしなかった。あの脅迫めいた言葉がその証拠だ。この国のことがどうでも良ければ「勝手にしろ」とでも言っていたはずである。


 止めましょう、とアドリアーナは言う。もう過ぎたことだから、と。確かに、アドリアーナの提案は農政部で議論される方向となっているのだから、わざわざ嫌な気分を思い出すこともないだろう。

 だが、そうですね、と頷いてそのまま帰るのも憚られたので、ドレスラーは話題の転換を試みた。


「……昨日は如何でした?」


 城下町に下りたときのことを尋ねると、きらり、とアドリアーナの目がいつもの輝きを取り戻す。勝ち気な眼差しに、ドレスラーは安堵した。先ほどの憂いた姿に不覚にも惑わされたが、普段通りの彼女の方がやはり良い。


「それがね、行った食堂で良い娘を見つけたの。外国の食事に興味を持ってくれたのよ」


 そのときの状況を詳しく語る。市場に行ったこと、やっぱり城下町の食事も塩辛かったこと。

 立ち話にしては少しばかり長かったが、だんだんといつもの元気を取り戻すアドリアーナを見てしまえば、とても止めることはできなかった。


「では、また城下に下りるのですか」

「そうね」


 それからアドリアーナはしばらく考え込み、


「これから外に出ることが増えるかもしれないわね。専任の護衛を持った方が良いかしら?」


 どうやら城の外に出るのは今回に限ったことではないらしい。ドレスラーは驚くと同時に呆れた。王族はそう頻繁に外に出るものではないだろうに。


「まあ……毎度見繕うのも大変でしょうから」

「オリヴァーに頼んでみましょうか」


 ちら、とアドリアーナが背後に目を向けると、アドリアーナと話すようになってから表情を動かすところを見たことのない、影のような侍女が一礼して去っていった。早速行動に移したらしい。

 迅速果断であるところが、この王妃の凄いところだ。その決断力と行動力で、すでに上流階級の食事は変化しつつある。本当にこのまま国の食生活が一変してしまうのではないか、と期待してしまう。


 それにしても、この国では、王城から出ることのない王妃や王女に専任の護衛が就くことは普通ないのだが……まあ、まずこの王妃は止めても出掛けるだろう。ならば、一人や二人くらいはいたほうが良いかもしれないと思って、ドレスラーは何も言わなかった。

 しかし、こうしてみると、彼女が嫁いできて最初の一年間、どれだけ我慢していたのかがよく分かる。賓客があったとき以外は城の奥に引きこもり、外に出ても庭を散策する程度だった。今の姿からはとても考えられない。


「それでね、その娘のことなんだけれど、もし当人が乗り気なようなら、新しいメニューをいろいろ考えてもらおうと思うのよ」


 庶民の料理のことは庶民に任せたほうが良い、と考えていたらしい。今回のお忍びはそのつもりではなかったようだが、いずれ城下町で人材を探すことも考えていたそうだ。


「でも、王妃である私が直接援助するわけにはいかないでしょう? だから、間に誰か入って欲しいのだけれど……良い人は知っていて?」


 王妃の名前が看板となって出てきてしまうと、民衆はその評判に左右される。現に、貴族たちに今の食事を広めるときはその評判を利用してやってきた。そちらはうまく行ったが、今回はそれでは駄目なのだ。

 王妃が関わっているということで、妙な先入観を持たれてしまっては、食生活の改善などとても進めることができない。民衆は暮らしの違いには敏感だ。自分たちより良い生活をしている王妃に、自分たちの生活の何が分かる、と拒んでしまうことだろう。

 だから、庶民と距離の近い誰かに、代わりに広告塔になって推し進めてもらいたいのだそうだ。


「それでは、私が贔屓にしている商人に声をかけてみましょう。彼はこの国のものに限らず、あらゆる品を手広く取り扱っています。食品関係もその一つです」


 慎重だが、新しいことには興味がある人物だ。その上、必要なら投資を躊躇わない人物である。きちんと計画を立てて、投資に見あった収益さえ見込めれば喜んで協力してくれるだろう。

 彼に話をしてみることを約束し、ドレスラーはアドリアーナと別れた。


 外交部の居室に戻ると、ドレスラーの上司――外交部長が声を掛けてきた。彼もまたアドリアーナの様子を心配していたらしい。

 この一年、外交部はアドリアーナ王妃に接して、皆その人柄を慕い、手腕を認めていた。端的に言ってしまえば、皆アドリアーナの味方になったつもりでいるのだ。その人が傷付いた姿を見てしまえば、気になるのは当然と言える。


「妃殿下はどうだった?」

「大丈夫ですよ」


 別れたときには、すっかりいつもの様子だった。ドレスラーに昨日のことを話したことで、農政官のことも頭の中から消え去り、二週間後のことが頭の中を占めているようだった。

 頭の切り替えも早い。まったく頼もしいことである。


「しかし……痛いところを突かれたなぁ」


 苦々しい表情で、外交部長は呟いた。

『現状に甘んじて、外から学ぼうという意識が足りないのでは?』

 アドリアーナの言葉は、ここにいる全員に突き刺さったはずだ。外交部は他国への窓口。他でもない自分たち外交官こそが率先して他国の知識を取り入れなければならないというのに、それを怠っていた。


「土地や環境が違うからって諦めてないで、諸国から学ぶことはきっと多いんだよな」

「僻んでいたのかもしれません……僕らは。惨めなままでいることを選んだのは、ザルツゼーのほうだったんです」


 これまで外交部は唯一採れる塩をどううまく利用して諸外国に援助させるか、その事ばかりを考えていた。寒くて痩せた土地だから、そうするのが当然なのだとばかり思い、自らを変えていくことを考えもしなかった。その癖、自分たちで国を保っている気になって、大国から来た王妃を、さしたる理由もなく嫌厭して。

 今にして思えばなんて嘆かわしく滑稽なことか。アドリアーナの言うとおり、今のままではいずれこの国は自滅していたことだろう。


「とりあえず農地の件。専門外ですが、外交部(うち)でもなにかできないか考えてみます。あとはあちらが快く引き受けてくだされば良いのですが」

「あいつはまだ若いからなあ。説得できるか不安だが……こっちからも働きかけてみるか」


 他の部署の業務に口を挟むようなことをすれば、きっと不要ないさかいをすることにもなるだろうが。それでも、少しでもアドリアーナの助けになるならば、多少の面倒を被るくらいのことはしても良いか、と考えている。

 外交部の総意だった。

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