"頼る"と"倣う”は別物
城下町に遊びに行った翌朝、アドリアーナは外交部に顔を出した。
現在外交部に所属している官吏は十二名。政務を行う一部署としては、人手がずいぶんと少ない方だった。だから居室もさほど多くはない。大きな執務机が隣合い、もしくは向かい合って並べられ、その上に書類が山積みにされている。仕事で書類を扱うのはどこも一緒だが、ここは特に条約の締結だの、国間の交渉の議事録だの、重要な書類が多いため、書棚が部屋の半分ほどを占めていて、すごく狭苦しい。ついでに人手が少ない所為で整理ができないのだろう。雑然ともしていた。
今はこの国に賓客もなく、また外遊に行っている者もいないので、全員が居室に揃っていた。その中にはもちろんドレスラーもいる。
「これは妃殿下。朝早くにどうされました?」
扉の一番近くに机を構えていた外交官が、アドリアーナの姿を認めて近寄ってくる。アドリアーナがドレスラーと協力関係になってから一年。国賓を迎えるに辺り、外交部の官吏たちには頻繁に世話になっていたので、今では気安い仲になっていた。
「訊きたいことがあって寄ったのですが……」
と前置いて、アドリアーナは一旦言葉を切った。なんというか、自分でも畑違いなことを訊こうとしているな、とは思うのだが、他に当てになる人間がいなかった。
「この国の農業について」
「……それは農政部にお尋ねくださいよ」
呆れ顔でその外交官は言う。確かにその通りなのだが、
「ただ王妃の位を与えられているだけの私に、あちらの官吏が協力してくれるとお思いですか?」
実はここに来る前に行っていた。が、今言ったようなことを暗に言われて断られたのだ。
思い出しただけで、腹が立ってきた。アドリアーナの眉間に皺が寄る。
「貴方たち、仮にも外でこの国のお話をされるのですから、基礎的な知識くらいはありますでしょう? それで構いませんから、教えていただきたいわ」
「……なんなりとお尋ねください」
アドリアーナの眉間の皺を見た外交官は、やれやれ、とばかりに肩を落とした。子どもの我が儘を聴いてやるとでもいったような態度だったが、そこは大目に見て話し出した。
「ライ麦の育ちがだんだん悪くなると聞いたのですけれど」
「ええ、その通りです。寒くて痩せていても育つと聞いて、うちでも率先して育てているのですが……二年もすると生産が落ち込んできてしまいます」
「対策は?」
「家畜を育てている地域は堆肥を与えているようですが、大変な作業なので、あまり大きな規模ではできません」
畑は広く、堆肥は重い。単純に肥料を撒くといっても、まず運ぶところから時間が掛かってしまうのだ。それから土に混ぜ込んで、となれば更に時間がかかる。そして、この国はそれをカバーできるほどの人口がない。
外交官の話を聞いた限りだと、どうやらそれ以上のことは行っていないようだった。
アドリアーナの懸念が確信に変わる。
「連作障害ってご存知?」
外交部にいた全員に問いかける。ここにいる人間は皆アドリアーナの話に耳を傾けていたようで、話の流れは分かっているようだった。しかし、肝心の連作障害については知らないようで、皆一様に首を傾げている。
「同じ場所に同じ作物を育て続けると、その作物が育たなくなります。原因はいくつかあるけれど、この場合はおそらく地面の栄養が偏っているからでしょう。因みにこの症状はジャガイモやキャベツでも起こります。たまに収穫が減ることはありませんでした?」
心当たりがあるのだろう、何人かが反応していた。
「この対策として、諸国では輪作という農業方法を取ってますの。数年単位で作物を植える場所を変えるのです」
例えば畑をライ麦、ジャガイモ、家畜の放牧地と三つに分けていた場合、ライ麦を植えていたところにジャガイモを、ジャガイモを植えていたところは放牧地に、放牧地にしていたところにはライ麦を植える、ということを繰り返す。
「こういうこと、やっているのかしら」
外交官たちはちらちらと互いの顔を見合わせていた。つまり、覚えがないのだろう。
「少しお待ち下さい。農政部の者を呼んで来ますので」
一番始めにアドリアーナに応対していた外交官がそう告げて、慌てて部屋を出ていった。
すぐさま若い農政部の官吏を捕まえて戻ってきて、アドリアーナは同じ話をもう一度行った。
「外国ではそんな方法が……」
本当に知らなかった、と感嘆している表情に、アドリアーナはすっかり呆れてしまった。さぞ新発明であるかのように驚いてくれるが、この国以外の土地ではとうの昔に起用され、浸透している手法である。ザルツゼーと同程度の寒冷地にある国でも行われて、成功している。それを全く知らないと……?
「貴方たち、やたら土地が痩せているってことを強調しますけれど、外国の農業方法を取り入れようと考えたことはあって?」
目の前の農政官からも、その後ろでこちらを窺っている外交官たちからも、反応はなかった。
「以前から思っていたのですが、この国は他国への関心が欠けている気がしますわ」
アドリアーナは、かつて学んだ、ザルツゼーができたときの話を思い出す。
ザルツゼーは、元は東にある大国ヴォイエンタールの一領地だった。独立の理由は、民族的な問題もあるが、一番はザルツゼーがヴォイエンタールの恩恵を受け取れなかったことだそうだ。高い税を国に取られ、そのくせインフラ整備や災害時の援助は貰えない。仕方なくどうにか領地内でやりくりしていたら、ヴォイエンタールに属している理由なんてないじゃないか、ということになって独立したらしい。
そんな経緯がある所為か、この国はあまり他国に頼るということをしなかった。そこにはおそらく、大国から独立して自分たちの力でこの国をつくってきた、という意地があるに違いない。
違いないが。
「現状に甘んじて、外から学ぼうという意識が足りないのでは?」
だから食事は塩辛くなるし、作物の収穫は少なくなる。せめて隣国が何をやっているか知れば、舌が疲れるほどの塩辛さにならないはずだし、連作障害のことについても知ることができたはずなのだ。
「……まあ、実際に成果が分からないものをいきなり全国に取り入れるのは難しいですから、一度どこかで試してみましょう。協力してくれそうなところを探してみてくれませんかしら」
何処かないか、と外交官たちが真剣に考え出してくれた一方で、呼ばれてきた農政官は困った表情で告げた。
「お言葉ですが、それは妃殿下が口を出されることではないと思います」
かっと頭に血が昇る。今ここで、それを言うのだろうか。
「じゃあ、このまま食べ物も自力で十分に賄えない土地で生きていく? このままだと自滅いたしますわよ」
ぐ、と農政官は怯んだ。さすがに国の農業に詳しい官吏だ、危機的状況が近づいていることは自覚しているらしい。
しかし、まだどこか反発心が垣間見えた。それがまたアドリアーナを苛立たせる。
「それとも、今後ザルツゼーはケレーアレーゼに養っていただきましょうか。よろしいわ、私が打診して差し上げます」
これもまた嫌と見える。まったく我が儘なことこの上ない。
せっかく独立したのだ、自分たちの力だけでこれからもやっていきたい、とこの国は考えているのだろう。その志は結構だが、他国に頼るのと他国に倣うのを勘違いしていては、この国は本当に自滅する。
苛立ちはピークに達していた。朝からなにかと官吏たちに言われてきたと言うのがあるのかもしれない。
しかし、若い官吏の表情に怯えが混じっているのを見ると、さすがに怒りすぎたかと反省する。彼は、アドリアーナに口出しされるのが嫌だというよりは、王の不興を買うのが嫌なのだということに気がついたからだ。
そんなに周知徹底してまで、アドリアーナの政治参加を拒んでいるのか、とそれはそれで王には腹が立つのだが、責めるべきは目の前の彼ではないだろう。
深呼吸を二回。冷静になって、どうすれば話を進められるか考える。
「……そうね、確かに貴方のおっしゃる通り、私が口出ししたら陛下はお冠になられるでしょうから、外交部が農政部に情報提供したことにしては如何かしら。そして、農政部は外国で取り入れられた方法を試してみる。これなら表向き私が関わっていないことになりますわ。……それでも嫌かしら?」
「……いいえ」
ようやく農政官は弱々しく首を横に振った。一喝してしまった所為か、すっかりしおらしくなってしまっている。
これではもはや脅迫になってしまっていることに気づいて、アドリアーナはさらにフォローを入れることにした。
「言い出したのは私ですから、協力は惜しみません。試験に協力してくれる領には手当てが必要でしょうから、それは私の公費から捻出いたします。それから、他国から参考人を招致しましょうか。その手配もしますわ」
だから少し考えてみて頂戴、と言うと、農政官は小さく返事して、縮こまりながら外交部の居室を出ていった。