欲しいのはその理解力
「はい、お待ちどうさま。たくさん食べて!」
あの快活な給仕の娘が持ってきた料理が、テーブルの上に並ぶ。
細かく刻んだ野菜を浮かべた琥珀色のスープに、豚すね肉の煮込み、スライスしたベーコンとジャガイモ、玉ねぎを炒めて卵で綴じたもの。コース料理のように芸術性はないし色彩も欠けているが、香ばしい匂いが漂って食欲が刺激された。
久し振りに歩き回った所為か空腹だった。つい食欲のままに、食器を手に取る。
そして、一口食べて、噎せた。
塩辛い。シンプルな見た目に反して塩辛い。なぜ塩辛さは匂いに影響しないのか、とどうしようもないことを考えながら、身悶える。
その間にヨハンナが水を差し出してくれたので、受け取った。
「だ、大丈夫?」
「……ええ」
盆を抱えて心配そうに覗き込む娘に、呼吸を整えながらなんとか頷いた。
最近、城では薄味のものばかり食べていたこともあって、油断していた。ついいつもの感覚で口にしてしまい、塩気に対する覚悟を決めていなかったのだ。
その結果、想像とのギャップに驚き、口にしたものを吐き出しそうになって噎せた。
コップを空にするほど水を飲み、一息吐く。
「な、なにかヤバかった!?」
「あ、いいえ……その……思ってたよりも塩辛かったから……」
少し食べて良いか、と訊かれたので、承諾した。
「そうかなぁ……」
ジャガイモを摘んで口に放り込んだ彼女は、咀嚼しながら首を傾げる。
「ケレーアレーゼじゃ違うの?」
「料理の雰囲気が違うというのもあるけど、それを抜きにしても、ここまで塩は多くないわ」
「へぇ……食べてみたい!」
予想していなかった言葉に、アドリアーナは呆気に取られた。
食事に関して進言したとき、王はいつも「この国の文化を」と言って自国の料理を至上としていた。だから、てっきり民もそうなのだろうと思っていたのだが、そうではないようだ。
……そういえば、薄味のものが好きだという奇特な男もいたか。アドリアーナはオリヴァーのほうをそっと伺う。彼は若干気が進まないようすで、のろのろと料理を口に押し込んでいた。
「実はさ、ここ、たまに外国のお客さんも来るんだけど、だいたい不評なんだよね。父ちゃんは文句言う奴の事なんか知るか! って言うけどさぁ。こっちも商売じゃん」
なんであんなに嫌がられるのか、気になってたんだよね、と彼女は言う。だから他所の国の料理に前々から興味を持っていたそうだ。
「そう? だったら、今度食べさせてあげましょうか」
薄味の料理にどんな反応を示すのか見てみたい、と軽い気持ちで提案してみたところ、
「え、ホント!?」
期待に目を輝かせ、身を乗り出してきた。
予想した以上に、食い付いた。
「うちの料理人になにか作らせて持ってくるわ」
「うわー。ホント? だったら、楽しみ!」
あまりにはしゃいでくれているので、アドリアーナは自分で提案しておきながら、少しひるんでしまった。
「……雑草と言われたこともあるから、がっかりしないと良いけれど」
王のことが頭にちらついて、つい予防線を張ってしまう。食べたことのない野菜を見て、あの暴言が飛んで来たのだ。また、同じことがないとも限らない。
「そんなひどいこと言わないよ。こっちから頼んだんじゃん。そりゃまあ、口に合わない可能性はあるけどさ」
住んでるところ違うから当然だよね、と給仕の娘は言う。
せめてこの理解力があの王にあれば、と密かにアドリアーナは思った。単に口に合わないとだけ言ったのであれば、アドリアーナもあそこまで腹は立たなかったと思う。嫌がらせと決めてかかり、全否定されたのが気に食わないのだ。
あのときの怒りが、今もまた蘇る。
――絶対……ぜったいその雑草をこの国に広めてやる。
こうなれば徹底的に動いてやろう、とアドリアーナは決めた。みなが雑草を食べる姿をとくとご覧になるが良い。
「お店開いてるときではお邪魔よね。こちらも都合があるし、すぐには来れないから……そうね、二週間後くらいになるけれど、都合の良いときはある?」
「だったら、月曜日。この日は夜はやってないから、夕方なら空いてる」
「では、その日に」
アドリアーナが料理を持って、この店を訪れる。その日は客がいないから、今まさにいるホールスペースで試食会を開く、ということになった。
「今更だけど、あたしはイルメラ。お姉さんのお名前は?」
こういうときに名乗る名前は、あらかじめ考えてあった。
「ドリーよ」
「ドリーさんね。よろしく。ところでこの皿、口に合わないんだったら下げる?」
「いいえ。折角だからいただくわ」
耐え難いほどに塩辛くはあったが、庶民料理を体験するという目的は忘れていなかった。放棄したいのをぐっと堪えて、水を片手に料理を胃に流し込む。
豚すね肉は柔らかい。ジャガイモの炒め物もほくほくと程よい食感だというのに、どちらも塩気が強くて素材の味も感じられない。
十分に美味しそうな見た目であるのに、この塩辛さがなんとももったいない、とアドリアーナは思った。