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味覚問題は食料問題

 故国にいた頃、アドリアーナは何度か城下に下りたことがある。公務とはまた違う、いわゆるお忍びというやつだ。

 他国では些か問題のある行動なのかもしれないが、ケレーアレーゼでは、黙って出ていくなど他人に過度な迷惑さえ掛けなければ、見て見ぬふりをしてくれる。民の生活を知ろうという姿勢は評価されるからだ。

 結果、一、二度下りたくらいで民の生活の実情など分かるはずもないのだが、ある程度刺激になるのは確かだ。

 アドリアーナの場合は、屋台料理に目が行った。食べ歩きの経験である。

 と聞くと情けないような気もするのだが、食べ物に目が行ったことで、農産物事情に興味を持つ切っ掛けになったのだから、全くの無駄というわけではない。アドリアーナは多少農業についての知識を持ち合わせていた。


 そういうわけで、アドリアーナは今回城下へ下りる選択を取った。頼み込んで見せてもらった資料で、この国でどんなものが生産されているかは知っているのだが、やはり一度くらい自分の目で見たい。

 それに、結婚式の後のパレードを除いて、この国に来てから城下には行ったことがなかった。そういった点で好奇心もあった。


「感謝します、オリヴァー。このような面倒事を引き受けて下さって」


 待ち合わせに選んだいつもの談話室。そこでアドリアーナは一人の騎士と対面した。お忍び、といっても一人で行くわけにはいかない、ということでエミーリアが護衛のために騎士を用意していたのだ。それがこのオリヴァーという男だった。


「いいえ、むしろ光栄です。王妃様に付き添えるなんて。騎士をやっていてよかったな、と思います」


 お飾り王妃の我が儘に付き合うにしては、意外に乗り気だったので不思議に思うと、


「お……私、王妃様がドレスラー様と協力関係になったときに一緒にいたんですよ。それで、失礼だとは思ったんですが、なんとなくその後のことが気になって……で、王妃様がやろうとしていることは凄いなって。私はもともと、食べるの好きじゃなかったんで」


 何でもこの騎士、味が濃いのが好きではないらしい。昔はそれに気づかず、単に食に興味が湧かないだけだと思っていたのだとか。


「自分で狩った獲物の肉を、その場で焼いて食べたときぐらいですかねぇ。うまいな、と思ったのは」


 なるほど、とアドリアーナは思った。ちょっとした生活の違いも味覚に影響を与えるらしい。オリヴァーのような狩りで生活をしている者は、その場で焼いて素材そのままを口にする機会があったため、薄味にも抵抗がないらしい。一方、調理や加工するのが一般的な生活を送っている者たちは、逆にそういった機会は少ないため、濃い味に舌が慣れていくようだ。


「だから、この国で美味しい物が食べられるようになるんなら、協力しますよ」


 彼個人としては、最近城での食事が美味しくて美味しくて仕方がなく、食が進むようになったらしい。食事がこれほど楽しいものだとは知らなかった、と言っていた。


「それはありがたいが、いい加減不敬だぞ」


 顔をしかめてドレスラーが言う。今回彼は同行しない。ここには見送りに来てくれていた。


「ドレスラー、いいのよ。慣れているから」


 ケレーアレーゼの男は軽薄な性質であるので、こういった気安い口調には慣れている。まあさすがに、王女相手に直接こういった感じで話しかけるものはいなかったが。


「それに、これから私は商人の娘なのですもの。あんまり丁重に扱われ過ぎると、王妃とは分からないまでも、貴族と思われてしまうわ」


 本日、アドリアーナはドレスを脱ぎ、水色の麻のワンピースを纏っていた。お忍び用である。ピンクベージュの髪色は目立つので、染め粉で茶色に染めて、同じく水色の鍔の広い帽子を被る。どれも貴族が身に着けるようなものではないが、それなりに高級なものだ。

 生まれた頃から王族として礼儀作法を叩き込まれたアドリアーナが、庶民として街に溶け込むのは無理がある。そこで、ヨハンナの身分を借りて、裕福な商人の娘という設定で行くことにした。これなら、所作や言動が多少世間と違っていても、世間知らずのお嬢様だからか、で片付けられる。ついでに、護衛や使用人も堂々と連れていける。今回はオリヴァーの他、ヨハンナもお付きの使用人として付いていくこととなった。


「それでは行きましょうか」


 準備ができたところでアドリアーナ一行は出発する。

 前庭の隅に設置された出入口から裏道へと抜ける。木々で翳った坂を下り、貴族の屋敷が建ち並ぶ通りを横切って、ようやく城下町に辿り着いた。


 ザルツゼーの建物は、要塞の役割をもつ城を除いて、木造だった。山間にある国であるので、建築資材として調達するのに木が一番手っ取り早かったのだろう。

 傾きの大きい屋根、木肌剥き出しの壁とシンプルな造り。しかし、ドールハウスのようにどこか愛嬌のある建物たち。二階にはベランダがあって、手摺から花の咲いた植木鉢を引っ掛けるのが一般的。ザルツァンでは、そんな建物が湖岸に建ち並んでいるものだから、まるで童話の世界に迷い込んだかのようだった。


「まずは何処へ行きますか?」


 大通りに出たところで、先導していたオリヴァーが振り返る。


「市場へ」

「飯屋じゃないんですね」


 確かに、目的は庶民料理だが、


「町でどんな作物が出回っているのか、見ておきたくて」


 そういうものは、料理だけでは判断できない。それに、資料の数字だけでは実感できないこともある。収穫された作物全てが市場に並ぶわけではないのだ。何がどれくらい出回っているかは、やはり見てみないと分からない。


 市場は、広場に屋台を寄せ集めて放射状に並べた構造だ。屋台といっても木で造られており、一見すれば小さな小屋のよう。冬は雪がたくさん降るので、積雪で潰されないようにこうなったらしい。実用が先だろうが、これもまた造りが可愛らしいので、例によって童話世界のようだ。

 ただ、カウンターに並ぶのは、ジャガイモやヴルストが主。全体を見渡しても、売られているものに色味が欠けている。実演販売もしているのか、肉の焼ける匂いも漂っていて、美味しそうではあるのだが、大通りに比べてファンシーな雰囲気が少し減少していた。


 アドリアーナが嫁いできてから、トマトやトウモロコシ、リンゴ、ブドウなどのケレーアレーゼの食材もいくつか輸入されるようになったはずなのだが、故国の特産物はあまり見られない。


「……まあ、見知らぬ食べ物を家庭で試してみようとは、そうそうならないか」


 調理法が分からなければ手も出しにくかろう。城の中ではたまに見かけるが、それだってフォサーティがいるからこそだ。それに、生鮮食品は保存の問題もある。故国との取引は、結局穀類が多かったことをアドリアーナは思い出した。


 ざっと市場を歩き回ったところで、アドリアーナはオリヴァーに尋ねた。


「城ではパンを食べているけど、この国では主食はジャガイモ。でも、ライ麦も多く作られているのよね?」

「でも、主に税で治める用ですね。あと、冬備蓄用がほとんどで、ライ麦を食べる人は多くないですよ。何故かだんだん育ちが悪くなるらしく、そんなにたくさん獲れないらしいんですよね」


 ライ麦は寒冷地や痩せた土壌、砂地のような場所でも育つ作物だが、同じ場所で育て続けると土の中の特定の栄養分が減ってしまい、次第に育たなくなってしまう。ザルツゼーのライ麦は、まさにその状態であるらしい。

 だが、これを防ぐために対策があったはずだ。


「輪作はしていないの?」

「なんですか、それ」

「定期的に植える作物を変えることで、土壌を安定させて収穫を維持する方法なのだけれど……いえ、ドレスラーに訊いてみるわ。ありがとう」


 狩り生活を送っていたから農業に詳しく知らないだけかもしれない。騎士に訊くよりは、帰ってから国の官吏に問い合わせてみた方が確実だろう。

 主食となる食べ物のことは置いておいて、アドリアーナはもう一度市場を見渡した。


「春先だとはいえ、野菜が少ないわね」


 特に色の濃い青物が少ない。ぱっと見渡して見られるのは、根菜類と肉類。それ以外の物があったと思えば、それはだいたいキャベツだ。


「寒いし、土地が痩せてますからね。どうしたって作物は育ちません」

「だからといって、もっと……ほうれん草とか、クレソンとか、そういうのがあると思うのだけれど」


 冷涼な気候でも育つ作物はいくらかある。この国の土地がどれほど痩せているかは知らないが、やりようによってはもう少し作物を増やせるのではないだろうか。

 確かに、資料で調べた限りはなかったが……。

 これも後で聞いてみよう、と心の中でメモする。


「いいわ。次。果物はないの?」


 これはなんとなく予想していたことだが、辺りを見回してもそれらしいものは見当たらない。この一年、城内の料理を変えさせてはきたが、果物を使った料理はあまり出てこなかった。


「そういうのはだいたい輸入品です。この国じゃ育ててませんね」


 アドリアーナはため息を吐いた。なにせ寒いし、土地が痩せてますから。どうもこの手の話題は、二言目にそれが付くらしい。

 ……ひょっとして、この国は農業技術があまり発展していないのではないだろうか。


「そう。よくわかったわ、よく」


 味の濃い食事の背景は、手っ取り早く塩だけを食料保存に用いていたのが問題かとも思っていたが、おそらくこの食料の種類の少なさにもあるのだろう。

 もしかしたら、この国の食事を変えるには塩加減を変えるだけではすまないのかもしれない、とアドリアーナは密かに頭を抱えた。

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