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流行は簡単には広まらない

 その事実は突如、カリカンヌの大使より齎された。

 一通りのメニューを出し終え、紅茶とナッツクリームや蜂蜜を塗って層状にした薄いパンケーキ(パラチンケン)を楽しんでいたときのことである。


「いや、大変美味でした」


 いかにも食べることが好きだと訴えている体型の、のほほんとした雰囲気を見せるカリカンヌ大使ラチエは、お茶を飲みながらにこにことアドリアーナに向けてそう言った。ザルツゼーの接待料理は王妃が手配していることはすでに周辺諸国に知られているので、この話題がブルクハルトに向けられることはなかった。


「しかし、それに比べ、下町の料理は残念でした。味が濃く、塩辛くて、風味を損なったものばかり」


 入った店が悪かったのでしょうか、と小首を傾げながら茶を啜るラチエを見て、アドリアーナは表情をひきつるのを止められなかった。


「え、ええ。そうですわね。なにぶん素材が少ないもので」


 おほほほほ、とらしくない笑い声を出したりする辺り、アドリアーナは動揺しきっていた。王が胡乱な目で、ドレスラーは心配そうに見てくるのだが、アドリアーナはそれどころではなく、頭の中で必死に今後すべきことを考え始めていた。

 そう。城の料理が変わっても、この国の料理は変わらないのである。

 その事をすっかり失念していた。



 ※※※



「すっかり忘れていたわ」


 会食の後、ドレスラーとともに談話室に入った彼女は、王妃としての威厳も淑女としての礼儀も忘れて、ソファーの上で頭を抱えた。人前であるにもかかわらず素に戻ってしまっているが、もう取り繕う気力すらない。

 もともと我慢強いほうでもないアドリアーナは、頻繁に付き合いのあるドレスラーの前では仮面が剥がれてしまうことが往々にあった。彼のほうも、淑やかさを忘れたアドリアーナの姿に慣れ、今では苦笑するに留めている。

 この一年で非常に良い友人を得たと思うが、今はそういう話ではなくて。


「貴族たちにはあまりに上手く広まったから、油断していたわ。でも、そうよね。貴族たちに流行したからって、庶民にまで広まるはずがないわよね」


 なにせ、生活が違う。貴族と庶民では、在り方が違うのもそうではあるが、なによりも金銭面に大きな隔たりがある。アドリアーナがこれまで注力してきたのはフルコースに出される料理。つまり高級メニュー。庶民が口にするような機会などほとんどない料理ばかりである。

 考えればすぐ分かることであったが、城内にしか目を向けていなかったために忘れていた。


「どうなさいますか?」

「放ってはおかないわ。庶民の食事を変える。私たちばかり美味しいものを食べていたって、この国の料理がまずければ、結局意味ないもの」

「そうですね。下町の食事問題は、後々観光業にも影響してきます。外遊に来た方々に悲しい想いをさせるのも申し訳ないですし」


 なんとも神妙な面持ちで頷く辺り、ドレスラーにも何か心当たりがあるのだろう。国の使者たちに付き従い、街を歩くこともある彼らである。何か言われたりしたこともあるのかもしれない。


「ひとまず、城のコックを通じて王都の高級レストランや観光客向けの店にレシピを提供しましょうか。それでも城の料理と差別化はつけたいので……一年前にプラミーユ大使にお出ししたものを」

「そうねぇ……」


 当座はそれで良いだろうが、それだけではやはり国民には広まらないだろう。

 困るのは、具体策が思い付かないことだ。

 アドリアーナは庶民の生活を知らない。無論、勉強はしていたのでそれなりに知識はあるが、彼らが何を思って日々を過ごしているのかまでは測りきれていなかった。

 故国に居た頃は何度か城下に下りたことはあるが、一日やそこら歩き回っただけでは庶民の生活の実態というものを知ることはできなかった。

 ただ、これ美味しいから食べて見ろ、ではうまくいかないのはアドリアーナにも分かる。


「ヨハンナ」


 ふとある事実を思い出して、アドリアーナは背後に立つ侍女のほうを振り返った。


「貴女はどう思う?」


 ヨハンナは中流階級の出である。彼女の父は爵位こそないが、国にも名だたる大商人だ。贅沢はしていたが、貴族に比べれば、まだ庶民との距離は近い暮らしをしていたはず。

 何でも良いから思ったことを言ってみて、と言うと、彼女は徐に口を開いた。


「お金がかからないことはもちろんですが……庶民は身の回りのことを何から何までやらなくてはいけない分、一つのことにあまり時間を割いていられません。食事の支度もその一つです」


 たとえ、その食事がどんなに美味しいものでも、調理工程が多かったり、時間が掛かったりするようであれば、すぐに廃れていくだろう、とヨハンナは言う。


「手間と時間、それにお金の掛からない料理、か」


 なるほど、必要な条件は分かった。が、調理を最初から最後まで見学したことすらないアドリアーナには、やはり見当がつかない。


「フォサーティやギーツェンは当てになると思う?」

「彼らはもともと宮廷料理人ですから、今回のことにはふさわしくないと思います」

「そう……」


 同じ料理人なら、と思ったけれど、アドリアーナたちに出される料理と日常生活で民が毎日作る料理は、まるで違うものらしい。

 手詰まりか。これ以上ここで話していても、良い案は出てきそうにない。


「仕方ない。だったら、見に行きましょう」

「は?」


 何を言っているのか、とドレスラーは目を丸くする。


「庶民料理というものがどういうものかもわからないと、策の出しようもないわ。城下へ降りるわよ」

「ええ!?」


 驚きのあまり、冗談でしょう、とか、お考え直しください、とか騒いでいるドレスラーを他所に、アドリアーナは早速エミーリアと外出の予定を立てるのだった。

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