1話【国境近くの村ノースレイク】
エルニア大陸――ラント共和国とロゼリア帝国の二つの国が存在する、広大な大陸である。
この物語は、ラント共和国にある小さな村から始まる。
「せい! や! とりゃぁぁっ!」
気合のこもった声とともに、人間を模して作られた木偶人形へと訓練用の木剣を振り下ろした。
衝撃を吸収するために布でぐるぐる巻きにされている人形が、ボゴッベゴッと気持ちの良い音を響かせる。
「お、おいおい。あんまりやりすぎると壊れちまうぞ。暇だからって余った力を訓練に注ぐのはいいが、今日はもうそのぐらいにしとけ」
横から声をかけてきたのは、トッドさんだ。
ここノースレイク村の住民であり、この村を守る自警団の先輩でもある。
「にしても、すげえなぁ……まだ若いし体格だって子供みたいなもんなのに、どっからそんだけの馬力を捻り出してんだよ」
トッドさんが言うように、おれの体はまだ大人ほど立派なものではない。
せいぜい、身長はトッドさんの肩ぐらいまでだし、自分でも見た目のわりに力持ちだと思う。
もっとも、そのおかげで村の自警団に入れてもらえることができたわけなので、まったく文句はないのだが。
「そんじゃまあ、あとは夜番のやつらに引き継ぎして帰るとすっか」
「はい。今日も何事もなかったですね」
「バカお前、何事かあったら大問題だろうが」
――ノースレイクの村は、人口が数百人程度の小さな村だ。
幼い頃にこの村の中だけで暮らしていたときは小さいと思わなかったが、ラント共和国でも大いに栄えている都市なんかを見てしまうと、そう感じてしまうのも仕方ないだろう。
ともあれ、そんな小さな村にある一軒家の前で、おれは足を止めた。
扉を開けると、帰宅に応じる声が聞こえた。
「あ、おかえり! 疲れたでしょ? ご飯もうすぐできるから、適当に座ってのんびり休んでてよ」
そんな明るい調子で声をかけてくれたのは、ミリアムだ。
愛らしい瞳に、目鼻立ちも整っており、あと数年もすれば貴族令嬢といっても通用するほどに美しく成長するだろう少女――は言い過ぎだが、とにかく愛嬌が抜群の女の子である。
「……なんか、今とっても失礼なこと考えなかった?」
「え!? いや全然まったくそんなことはないけど?」
おれは平静を装って、ぎこちない笑みを浮かべた。
「あやしい! 素直に白状しないと今晩はおかず抜きにするからね」
「いや、なんていうか……ちょっと失礼なこと考えてました、ごめんなさい」
「よろしい。その素直さに免じて許してつかわそう」
ほっほっほ、と変な笑い方をしながらミリアムは料理へと戻った。
「――おいアスベル、あまり目の前でイチャイチャしないでもらおうか。ぼくがいるってことを忘れてるんじゃないのか?」
やや声に棘を含ませて話しかけてきたのは、ホムラだ。
この家で暮らしているのは、おれとミリアム、それにホムラの三人である。
なぜ三人で一緒に暮らしているかと言えば、ずっと昔から三人が一緒だったからだ。
おれたちは孤児で、ここノースレイクの孤児院――といえるほど立派なものはなく、実際は村の教会の一部を孤児に貸し与えている――で育った。
ずっと養ってもらうわけにもいかないので、働ける年齢になってからは教会を出て、自分たちで家を借りることにしたのだ。
おれは自警団、ホムラは魔導書の複写という仕事をしながら、日々の糧を得ている。
ちなみに、ミリアムはお世話になった教会の下働きをしながら、シスターの勉強もさせてもらっているのだとか。
「ただボーっと立ってるだけなら、案山子でもできる。疲れただろうと労いの言葉なんてかける必要はないぞ、ミリアム」
まあね。たしかに何事も起こらなかったら暇で暇でしょうがないわけで。
余った時間を訓練に使うぐらいしかできない。
「その点、魔導書の複写なんかは精神力を使うからね。頭脳労働は大変だよ」
ホムラのこういった態度は、正直もう慣れた。
なんだかんだ言っても、いいやつなのだ。
ただ、今ちょっとだけ棘のある感じなのは、おれがミリアムと仲良くしていたからだ。
別に、ホムラがミリアムのことを好きだから嫉妬している、というわけではない。
この二人は、兄妹なのである。
ホムラは緑がかった黒髪に、深い黒の瞳。
ミリアムは金髪碧眼。
外見だけを見れば、実の兄妹でないのは明白だ。
しかし、二人が一緒に捨てられていたということもあり、ずっと兄妹のように暮らしてきたわけで、本人たちがそう認識しているのならそれは間違いなく兄妹といえるだろう。
ちなみに、おれは少し遅れて二人と出会ったので微妙に関係性が異なる。
ともあれ、ホムラの『妹はやらんぞ?』という圧力に正面から耐えるのは少々疲れるので、椅子に腰かけ、会話を別の方向へと誘導することにした。
「魔導書の複写って、そんなに大変なのか?」
「まあね。魔導書の中身は全部古代文字で書かれているんだけど、それを正確に複写しないといけないから、緻密な作業だよ。目が痛くなる」
「あ~、あのぐにゃぐにゃした文字って苦手なんだよな。ミミズが這ったような感じで、読んでると馬車に揺られたみたいに酔いそうになる」
「どこかで文字を間違っていると、詠唱しても魔法が発動しないからね。『魔法』を『導く』書物としては不良品だよ」
魔導書は、さすがに教会に置いてある聖書ほど分厚くはないが、それでもそれなりの厚さがある。
あれを手書きで複写するなんて、おれからすると拷問だ。
もっとも、手間も時間もかかるので、完成品はかなり高額で買い取ってもらえる。
ちなみに、買い取り価格は自警団の給料と桁が違う。ちょっと悔しい。
「しかし、前から思ってたけど、なんで魔導書を読むと魔法が使えるんだ?」
ホムラはにやりと笑みを浮かべ、そこ聞いちゃう? といった表情で生き生きと喋り始めた。
どうやら、ミリアムの料理が完成するまでの時間潰しにはなりそうだ。
「そもそも、『古代文字』と言われてるぐらいだから、この文字が遥か昔に使われていたのは想像できるよね。実際、世界のあちこちにある古代の遺構からは色々なものが発見されている。それは現代では再現できない加工品なんかが多い。でも、一番重要なのは古代の『情報』なんだよ。情報を得るために古代文字の解読が進み、残っていたわずかな古代の情報が既存の文化に多大な影響を与えたのは言うまでもないだろう。身近な例で言えば、ミリアムが料理に使っている『醤油』や『味噌』もそうだ。作り方が広まり、一般家庭にも普及するようになった。おおげさに言うと、古代の遺産というわけだね」
そうなのか。おれが毎日食べてる料理にもそんな恩恵があったなんて、驚きだ。
「少し話が逸れるけど、古代文明が栄えていた頃は、エネルギー源として色々なものを利用したらしい。セキユとか、メタンハイドなんとかだったかな? とにかく、有限の資源からエネルギーを抽出していたみたいで、やがてそれが尽きちゃったのさ」
ホムラ、めちゃくちゃ喋るな。
でも、きっとおれにもわかるように優しく教えてくれてるんだろう。
「とうとう資源が尽きた古代人は、当然焦った。そこで、自然界のエネルギーに意志を持たせて、物理法則の概念を根本から覆そうとしたんだよ。これはなかなかに奇抜な発想で、エントロピーという熱力学的な見地からみても、代償を必要とせずに物体の性質を一方向に集約させるのは――」
「待った。何を言ってるのかわからん。もっと優しく教えてくれ」
「ちっ」
あからさまに嫌そうな顔をしたホムラは、子供でもあやすように声音を変えた。
「だからね。井戸から汲んできた水は、そのまま放っておいてもお湯にはならないでしょ? お湯を沸かそうと思ったら、どうする?」
「薪で火を焚く」
「そう。このあたりは湖も近くて森が多いからね。古代文明がどれぐらい昔に栄えていたのか正確にはわからないけど、数千年、もしくは数万年の時を経て資源も増えてきたんだろうさ。だけどもし、薪を使わずにお湯を沸かさなければならないとしたら?」
そう言って、ホムラはおれが聞き取れない古代文字を短くつぶやく。
すると、彼の指先に小さな炎が灯った。
「答えは簡単。火というエネルギーに意思を持たせた物体――ぼくたちが火の精霊と呼んでいるものにお願いして、お湯を沸かしてもらえばいい」
精霊……というのは、おれも知っている。
火だけでなく、水とか風とか土とか色々いるそうだ。
薪を使わずに火を起こし、井戸もないのに水を湧かせ、無風の土地で風車を回し、荒れ果てた土地に実りをもたらす。
もしホムラの言うことが真実なら、精霊を生み出した古代文明はたしかにすごい。
「もっとも、一部の土地では精霊を信仰している人たちもいるから、古代文明によって作られた説が毛嫌いされることも珍しくないけどね。それでまあ、アスベルの最初の質問に戻ると、魔導書の中に書かれている古代文字は、つまり精霊への命令式なんだよ」
「メイレイシキ?」
「さっきみたいな短い発音だと、小さな火を起こすのがやっとなんだ。もっと大きな火炎を生み出そうとしたら、それだけ精霊への命令は複雑になる。その複雑な命令式によって自然には起こり得ない現象を発生させるのが、魔法だと思えばいい」
なるほど、つまりは精霊にこれしてください、あれしてくださいと、細かな注文がたくさん書かれている感じか。
「だけど戦場で魔法を武器とするなら、いちいち長い命令式を詠唱するわけにもいかない。だから魔導書にあらかじめ命令式を書いておくんだ。そうすれば、冒頭のわずかな文字を詠唱するだけで、魔導書を触媒として大きな魔法を行使できるってわけ。わかった?」
「うん、たぶん……わかった」
「ここテストに出るから、しっかり覚えておくように」
「? なんだよ、その言い回し」
「よくわからないけど、古代文明で流行ってた言葉らしい」
とまあ、ホムラが一通り話し終えて満足した頃合いで、ちょうどミリアムの料理が完成したようだった。
「はいはい、お兄ちゃんはそっち方面の話を始めると止まらなくなるからね」
手早く皿が並べられ、食欲をそそる匂いが立ちこめる。
今日の献立は、ノースレイクで収穫された野菜の味噌汁に、木の実をいっぱい食んで肥えたラントン豚の肉をこんがり焼き上げ、甘じょっぱいタレを合わせたものだった。
これがまた、白いご飯と抜群に相性が良いのだ。
彼女の作る食事はとてもおいしく、毎日食べてもまったく飽きるということがない。
それに加え、ホムラが教えてくれたように、この料理にも古代の遺産が使われている。
そう思ったらなんだかちょっと面白く、そしてやっぱり、食事はとても満足のいく味だった。
――それからしばらくして、暇な自警団員にとっては一大イベントともいえる日がやってきた。
村で収穫した農作物を、グラム砦へと運搬するのだ。
大雑把に言うと、エルニア大陸の西にはラント共和国、東にはロゼリア帝国がある。
ノースレイクから西に行くと大きな街もあるし、もっと遠くのラント共和国の中心には首都ランドグリーズがある。
反対に村の東側には、帝国との国境にグラム砦が建てられており、そこへ村で収穫された農作物を定期的に納めることとなっていた。
農作物は村にとって大切な財産であり、その荷馬車の護衛には村の自警団がつくことになっている。
今回も一定量の農作物を砦に運搬するため、自警団員が駆り出されることになったのだが……。
「はっはっは! 残念だったな、アスベル。まあ、今回は俺たちに任せておけ」
陽気に笑いながら手を振っているトッドさんは、そんな言葉をプレゼントしてくれた。
暇な毎日に変化を求めているのは、おれ以外の自警団員も同じらしい。
トッドさんの他にも、御者と、荷馬車の前後左右を護衛する自警団員がはりきっている。
おれも一度だけ行ったことがあるのだが、グラム砦には兵士が長期滞在するという理由から、多少の娯楽要素があったりするのだ。
許可を得て商売をしている商人もいるため、少なくともノースレイクの村にいるよりは退屈しなくて済む。護衛として運搬を終えたら、すぐに帰路にはつかず、ちょっとだけ息抜きをしてからというのが通例だった。
だからこそ、皆はりきっているのだ。
今回は留守番役を仰せつかったおれは、皆を笑顔で見送りながら、村の門番として案山子のように立っていた。
「暇だなぁ」
これでは、ホムラにあんなふうに言われても仕方ないかもしれない。
そんなことを考えていると、門のところにホムラが走ってやってきた。
「はあ……はあ、もしかして、もう荷馬車は出発してしまったのか?」
「あ、うん。けっこう前に意気揚々と出かけていったぞ」
「そうか。どうせなら一緒に付いて行きたかったんだけどね、またの機会を待つとしようかな」
ホムラが街の外へ出かける用事というのは、予想できる。
「魔導書の複写、終わったのか?」
「ああ、今回は砦の兵士にでも買い取ってもらおうと思ってたんだけど」
彼がせっせと複写していた魔導書が完成したらしい。
砦には、当然ながら武器として使われる魔導書の需要がある。おそらく瞬時に値がつくことだろう。
「いいのか? いつもは西にあるベングレンの街まで足を運ぶじゃないか。あそこなら大きな図書館もあるし、魔導書を売りに行くって言ったまま、一週間ぐらいは帰ってこないのに」
「なんだよ。ぼくが何日も留守にしてくれれば、ミリアムと楽しく毎日を過ごせるとでも言いたいのかい?」
「いや、そういうわけじゃないけど」
ミリアムもなんだかんだホムラに甘えている部分が多いので、何日もお兄ちゃんであるホムラがいないと寂しがるのだ。
帰ってこない日がずっと続くと、それをなだめるのがちょっと面倒くさい。
「まあ、いつもは魔導書を売ったお金で新しい本を購入したり、図書館で興味のある本を読みふけったりするんだけど、滞在費用もなかなか馬鹿にならないからね。気づいたら必要最低限のお金しか残ってないし」
そう。ホムラは自警団員のおれよりずっと稼いでいるはずなのに、金銭的に余裕があるところを見たことがない。すぐに興味があるものへと使ってしまうからだ。
だからこそ、あれだけ色々なことを知っているのだろう。
「それで、なんで今回は街に行かないんだ?」
おれがそう尋ねると、ホムラは少し恥ずかしそうにして口を開いた。
「……ミリアムに何か買ってあげようと思ってね。教会で働きながら、シスターの勉強までしているのに、毎日の食事を欠かさず作ってくれている。そのお礼だよ。グラム砦にはロゼリア帝国からの行商人も来るらしいから、珍しい品も売ってるだろう。幸いなことに、ぼくの財布から金を抜き取っていく図書館があそにはないからね。プレゼント用のお金を使い込むこともない」
ほらな、やっぱりホムラはいいやつだ。
こんな話を聞いてしまうと、おれも黙ってはいられない。
「そのプレゼントの話、おれにも一枚噛ませてくれよ」
「ふん。アスベルの安い給料と折半すると、良い品物が買えないかもしれないけど、まあいいさ」
「お、お前! 人がけっこう気にしていることを」
おれとホムラが、そんなほのぼのと会話している昼時――事件は起こった。
平凡な日常、それが変わらずにあり続けることが大事なんだと、トッドさんは言っていた。
その意味が、痛いほどにわかる事件が――。
馬の嘶きが聞こえ、乱暴な音を響かせながら、出発していったはずの荷馬車が村へと戻ってきたのだ。
荷台のあちこちには赤い染みのようなものが付着し、ギュッと強く手綱を握っているトッドさんがいつもの笑みなど欠片もなく、息を荒げていた。
――自警団員の数も、出発のときより二人減っていた。