2:それってお伽噺じゃなかったんだ
「まあ、そんなことでいいなら教えてやるよ」
「本当? よかった!」
薬草がもらえるなら、王都までの道を教えるとクラースが言う。シーラはほっと胸をなでおろし、笑顔でお礼を伝えた。
雑談をしながら、シーラとクラースの二人で森の中を歩いていく。会話の内容は、シーラが憧れる都会についてクラースにいろいろ聞いている。
「都会って、すっごく人が多いんだよね?」
「お、おお。確かに人は多いな」
「千人以上も暮らしてるって、おばば様に聞いたことがある!」
「…………?」
笑顔で話すシーラの言葉に、クラースの脳が一瞬停止する。
王都に行けば、数万の人間が暮らしているのだ。千人なんて、どこかの街が少し大きな村というレベルだろう。
クラースはシーラを憐れむように見て、よっぽどの田舎から出てきたのだろうと決めつける。
「そうだ、クラースさんの怪我を先に治した方がいいんじゃないの?」
「俺は鍛えてるから、別にこのままでいいんだよ」
「ふうん……?」
心配して怪我のことを聞くも、問題ないとクラースから返される。まあ本人が言うならばいいけれど、見ているシーラからすれば痛々しいので早く治してもらいたい。
――でも、本人が拒否してるのに無理やりってのもね……。
きっとすぐに自己治癒するだろうと結論付け、シーラは話題を変える。
「ちなみに、どれくらいで都会に着くの?」
続いて問われた質問に、クラースは困った。
見た通りであれば、シーラはどちらかといえば軽装の部類に入る少女だ。
一人で王都まで行けるのか? という疑問が、まずクラースの頭に浮かんでしまったのも仕方がないことだろう。
「え? うーんと、歩きか? それとも、実は馬がいるとか……」
「歩きの予定だけど、遠いのかな?」
「いや、普通に考えてそりゃ遠いだろ」
自由気ままな旅なので、移動手段はとりあえず足! ということでシーラはあまり考えていなかった。
困惑しているクラースの顔を見て、一週間以上は歩かないといけないか……と、シーラは覚悟を決めようとする。
だが、現実はひどく残酷だ。
「女の子の足だろ? それだと、一ヶ月、いや……数ヶ月以上はかかるんじゃないか?」
「えっそんなに!?」
まったく予想していなかった日数に、目が飛び出るのではないかというくらい驚く。一週間なんていう可愛らしい単位は登場すらしなかった。
シーラは自分の鞄を見て、失敗したと思う。保存食こそ持ってきてはいるけれど、大事に食べても一週間ちょっとしか持たないだろう。
「もしかして、この森を抜けるのって大変なの?」
だから予想以上に時間がかかってしまうのだろうかと思い、クラースに問いかける。
「この森って軽く言ってくれるけどな……ここは、世界で一番魔物が強い森だ。森を抜けるのだって、最低でも十日はかかる」
「え?」
答えを聞いてあっけにとられるシーラを見て、何を言っているんだとクラースが呆れる。
しかし、それはシーラだって同様だ。
この森の魔物が、世界で一番強い?
そんこと、あるはずがない。
――だって、村の人たちはこの森で成人の儀をするよ?
村人もこの森には強い魔物が生息しているため滅多に足を踏み入れないが、まったく入らないというわけではない。
十五歳になったら、成人した証としてこの森で魔物を狩るという風習もある。
だから強い魔物がいるとは思っていても、世界で一番――と言われるのは、なんだかしっくりこないのだ。
シーラはちらりとクラースを見て、魔物が強いのではなくクラースが弱いのかも……なんて、失礼なことを考えてしまう。
「っと、少し日が落ちてきたな。シーラ、歩くスピードを上げても平気か?」
「うん」
クラースの言葉に頷き、仲間で野営をしているという場所まで急いだ。
◇ ◇ ◇
薄暗い森の中を、三〇分弱ほど歩いただろうか。
森の中心部に行くにつれて、幻想的な風景が広がっていく。苔の上には綺麗な色の蝶がとまり、茂みの奥には大型の動物や魔物が見える。
いつ襲われるかとびくびくしていたが、幸い襲われることなく野営場所へ辿り着いた。
そこは少し開けた場所で、薄緑色のテントが二つ張られていた。厚手の皮でできており、嵐がきても耐えてくれそうなしっかりとした作りだ。
手前には焚火があり、切り株を椅子にして女の子が一人で火の番をしている。元気そうな様子を見ると、怪我をして苦しんでいる仲間はテントの中にいるのだろう。
「クラース、おかえりなさい。……その子は?」
歩く音に気付き、女の子がシーラたちの方を振り返る。薬草を探しに行った仲間が一五歳の少女を連れ帰ってきたからだろうか、怪訝な目でクラースを見た。
「おう。森の中で会って、薬草を持らえることになったんだ」
「……そうなの? こんな魔の森に女の子がいるなんて、驚きました」
女の子は座っていた切り株から立ち上がって、シーラの前までやってきた。
――うわぁ、綺麗な子……!
綺麗な蜂蜜色の髪を一束結び、前にながしている。紫色の瞳と同じ色の宝石が付いた杖を持ち、繊細なレースで作ったローブには、魔法具だとわかる上品な装飾品。
魔法使いだということが一目でわかった。
歳はシーラと同じくらいだろうか。凛とした表情からは、かなり厳しく躾けられているのだろうと想像することができる。
「初めまして、シーラです。薬草をあげるかわりに、都会までの道を教えてもらう約束なの」
「こちらこそ初めまして。わたくしは、ルピカ・ノルドヴァル。魔法使です」
ルピカはローブの裾をつまみあげ、優雅に礼をする。
その丁寧な仕草を見てシーラも真似てみるが、上手くいかずぎこちない会釈になってしまった。都会の女の子はみんな進んでいるようで、仲良くできるのだろうかと不安がよぎる。
そんなシーラの心配をよそに、ルピカは「都会までの道?」と驚きと心配のまじった声をあげた。
「王都のことですよね? ここからあなたが一人で行くには、遠すぎると思います」
「だよなあ」
「あうぅ……」
先ほどのクラースと同じ反応をされ、シーラは肩を落とす。
そんなシーラを見て、ルピカは庇護欲をそそられる。こんな森の中、少女を一人にさせてしまっては危険だろうと考えるが……ルピカたちにも動けない理由があるのだ。
「わたくしたちが連れていってあげられたらいいのだけど……まだ、アルフの怪我がよくならなくて。しばらくの間、ここから動くのは無理なんです」
後ろにあるテントを見て告げるルピカに、シーラは「そこまではさすがに」と首を振る。そして、怪我をしているという仲間について尋ねる。
「アルフさんって……怪我をしてる仲間の人ですよね? 薬草、これを使ってください」
鞄の中から薬草を一束取り出して、隣にいるクラースへと渡す。
「サンキュ」
これで都会――王都までの道のりを知ることができる。
しかしまずは、薬草を使ってもらい落ち着いてからだろう。シーラの旅は急ぐものではないので、ゆっくりでいいのだ。
しかしシーラには、それよりも疑問に思っていることがあった。
「クラースさんのかすり傷、先に治療した方がいいんじゃない? 腕の怪我をずっとそのままなんて、痛そう」
先ほど歩いているときも告げたが、クラースの怪我は痛々しい。いくらなんでも、こんなに放置するなんておかしいとシーラは疑問に思う。
「俺は別にいいんだよ、すぐ治る」
「すぐ……?」
シーラが心配そうにクラースを見るが、やはり大丈夫だからと首を振られてしまう。その言葉を聞き、シーラは怪訝な表情になる。
クラースが言っていることは、おかしい。
――出会ってから一時間くらい経ってるけど、全然怪我が治ってないよ?
それは『すぐ』とは言えないんじゃないだろうか。
シーラはう~んと首を傾げる。
というか。
――あの程度のかすり傷なら、すぐ治るよね?
なんでまだ治ってないのだろうと、シーラはさらに首を傾げる。もし同じような怪我をシーラがした場合は、本当に一瞬……あっという間に治ってしまうのに。
クラースにも何かすぐ怪我が治らない理由があるのだろうと思い、シーラはあえて追及したりはしなかった。
もちろん、すぐに怪我が治ってしまうシーラが特殊なだけだけれど……彼女はまだ、そのとんでもない事実に気付いていないだけなのだ。
「よし、薬草を渡してくる」
「お願いね」
クラースが薬草を持ってテントに入るのを見送り、ルピカはシーラの方を向く。
「座って……と言っても、石か切り株しかありませんが」
「いえ、ありがとうございます」
ルピカは鞄の中からティーポットとティーカップを取り出し、焚火にかけていたヤカンに入っていたお湯を注ぐ。すぐに茶葉の香が鼻をくすぐり、その中身が紅茶だとわかる。
「わ、いい香り」
「でしょう? わたくしのお気に入りなんです。気に入ってもらえたら嬉しです」
ティーポットから紅茶を淹れて、ルピカはシーラにティーカップを差し出す。
「ありがとう」
ルピカからティーカップを受け取り、石の上に座る。ふうふう冷ましてから一口飲むと、体の内側からじんわり温められるのがわかる。
村からずっと歩いて来たため、かなり疲れていたのだろう。
ルピカはティーセットに続き、鞄からクッキーを取り出して机代わりの切り株へ置く。可愛らしい動物のかたちをしたアイシングクッキーだ。
「森の中を歩いていたなら、さぞ疲れたと思います。ゆっくりティータイムにして、落ち着きましょう」
「はい」
ルピカはそう言って微笑むが、その視線はすぐ心配そうにテントへ移る。
よほど酷い怪我なのだろうとシーラは想像し、逆に自分が痛みを感じてしまいそうだ。「早くよくなるといいね」と告げることしかできない。
ルピカは頷き、落ち着かせるように紅茶を口に含んだ。
「……ありがとう、シーラさん。これでアルフがよくなるといいのですが……」
「そんなに重症なんですか?」
「はい。マリアが診ているんですが、なかなか回復しなくて」
「マリアさんって、すごい治癒魔法の使い手ですよね? さっき、クラースさんがそう言ってました」
「クラースったら……」
シーラの言葉を聞き、ルピカは苦笑する。
「確かにすごい治癒魔法使いですが、今はアルフの怪我を治せていませんから……その呼び名が、悔しくて悔しくて仕方がないはずです」
「あ……ごめんなさい、私ったら」
「いいんです、気にしないでください」
――私の治癒魔法がもっと万能だったらよかったのに。
そうしたら、きっと治療の手伝いを申し出ることもできたはずだ。シーラの腕前は村人に比べると未熟すぎるので、自分も診ましょうか……とは、さすがに言えなかった。
「……すごいというか、最高峰でしょうか。アルフの怪我を見ているのは、マリアと言うんですが、彼女は聖女なんです。神に与えられた神聖な魔法と、治癒の力を持っています」
「聖女!? それ、小さい頃に絵本で読んでもらった! お伽噺の登場人物だと思ってたけど、そうじゃなかったんだ……」
「ふふ、聖女は実在するんですよ」
ルピカの言葉を聞いて、シーラは心底ほっとした。
――治癒魔法、少し使えるよ! なんて言わなくて本当によかった!!
そんな人と自分を比べるのは、厚かましいにもほどがある。
「それなら、アルフさんの怪我もすぐによくなりそうですね」
「ええ、きっと。マリアなら、絶対に治してくれるって信じていますから」
だから今はただ、この場所を魔物から守り待つだけなのだとルピカは言う。
「そうだったんですね」
この森は強い魔物がでるため、守ると一言で済ませてはいるが大変なことだ。聖女だけでなく、きっとこのパーティ自体がすごいのだろうシーラは感心する。
「あ、クッキーいただきます!」
「どうぞ」
用意されたクッキーを食べようとして、シーラは手を伸ばす。そのはずみで、かぶっていたフードがぱさりとめくれてシーラの長い耳がのぞいた。
「――っ!」
それを見たルピカは、綺麗な目を大きく見開き息を呑んだ。
けれどシーラは、ルピカの様子には気づかない。猫のかたちをしたアイシングクッキーをぱくりと食べて、その甘さに顔がとろけているだけだ。
「おっと。虫が多いからかぶってたけど、ここならフードもなくて平気かな? あ、クッキーとっても美味しいです!!」
森を歩いて疲れた体に、クッキーの美味しさと紅茶の温かさでエネルギーの補給をする。
ああ、幸せ。
しかしふと、ありえないという驚きの表情で自分を見ているルピカに気付く。特に驚くようなことはなかったけれどと、首を傾げる。
「えっと、ルピカさん?」
「シーラさん、あなたその耳って……エルフだったんですか!? そっちこそ、お伽噺の登場人物じゃないですか!!」
大人しそうなルピカの大声が、森にこだましたのだった。