19:精霊魔法の研究者
王城の敷地内にある精霊の研究棟。
その距離は少し離れているため、研究員以外がそこを訪れることはめったにない。王城から歩くと、一〇分ちょっとの時間を必要とする。
赤い屋根のシンプルな場所は、兵の訓練施設から遠く静かで、まさに研究するにもってこいの環境だろう。
シーラたちが今から会う人物は、長く精霊魔法の研究を行っていて、魔法の腕も立つ。ただ、性格に難がある――とは、マリア談。
気難しく、研究ばかりしていてあまり人付き合いというものをしないのだという。
『わぷー』
「ここがパルのお家なのかな? 高いね~」
シーラはパルを抱いたまま、研究棟を見上げる。上の方が細くなってはいるけれど、その高さは建物五階分だ。
「何か精霊の手がかりを掴めるといいのだけど」
研究棟の前に立ち、マリアは扉をノックする。
しかし応答はない。
「いないのかな?」
「そんなことはないと思いますけど……」
首を傾げるシーラに、ルピカは首を振る。研究棟なのだから、最低でも数人の研究員がいなければおかしいのだ。
マリアは大きくため息をついて、もう一度ドアを叩く。
「レティア、いるんでしょう?」
しかしやはり無反応で、呆れたマリアはそのまま無遠慮に扉を開けた。
「うわぁ……」
中に入ると、薄暗い部屋には書類が散乱していて、どこを歩けばいいかわからない。とてもずぼらな人だとシーラが思っていると、抱きしめていたパルが突然腕の中を抜け出した。
そのまま床へ着地し、歩き始める。
『わぷぷ!』
振り返りながらこっちへ来いと言わんばかりのパルに、シーラたちは顔を見合わせる。
一番に行動を起こしたのは、マリアだ。その後に、アルフも続く。
「あら、レティアのところまで案内してくれるのかしら」
「ついて行くのがよさそうだね」
研究棟の一階は、三部屋ある。
入り口を入ってすぐのメインルームは、上階へ上がる階段と、別の部屋に続く二つのドアが付いている。パルは片方のドアへ向かい『わぷっ』と鳴く。
「そこにレティアがいるのね?」
マリアがノックせずドアを開けると、そこは一〇畳ほどの広さがある一室だった。個人の部屋として使われているのは、置いてある荷物からすぐにわかる。
その一番奥、窓の前にある机――そこに、革張りの椅子で膝に書類を載せたまますやすや眠る少女がいた。
名前はレティア・オーウィル。
二つに結んだ赤色の髪に、寝顔はどこか幼さが残る。膝丈のワンピースドレスの上から白衣を着ているので、間違いなく研究者なのだろう。
まだ十代半ばで、シーラとあまり変わらない年齢だ。てっきり年上の人だと思っていたため、シーラは驚いた。
パルはレティアの下へと行って、その膝の上に載って跳ねる。
「ん、んぅ……? なにぃ?」
『わぷ』
無理やり起こされたレティアは、大きく伸びをして、しなやかな体を伸ばす。
眼を擦りながらパルを見て、「おかえりぃ」と言ってその体をふもふもする。そしてふと、自分以外の気配が室内にあることに気付いて視線を上げた。
「……あらぁ、王女殿下」
「起きたの? 精霊について話を聞きたくて、あなたのところに来たのよ」
「話を?」
珍しいと思ったのだろう、レティアは目を瞬かせる。
遥か昔に絶滅している精霊のことを調べたいと言う人なんて、ほとんどいないからだ。パルを優しく撫でながら、レティアは笑顔で立ち上がる。
すると、膝に乗っていたパルがぴょんとシーラに飛びついた。
「あら、パルが懐いてる? あなた、変わった人ね?」
『わぷう』
「シーラです」
「可愛い名前。わたくしはレティアよ。……あら?」
レティアがシーラの前まで歩いてきて、まじまじと顔を見られる。そして次に、シーラの持つシルフの召喚石の欠片が付いた杖に視線を向けられた。「ふぅん?」と意味ありげに呟いて、にやりと笑う。
「なるほど?」
愛想笑いだったレティアの顔は一変、楽しそうににやりとしたものに変わる。「お茶を入れるわ」と告げて、もう一つの部屋である応接室へとシーラたちを案内した。
「適当に座っていてくださいませ」
お茶の準備をするからと、レティアが一度席を外す。
通された部屋は応接室というだけあって、綺麗に整理整頓されていた。オフホワイトで整えられた室内に、深緑色のソファ。壁には絵画が飾られており、落ち着く空間になっている。
三人掛けのソファに、シーラ、マリア、ルピカと並んで座る。アルフは横にある一人掛けのソファに座った。
どっしりと座ったマリアは足を組んで、シーラとパルを交互に見る。
「パルがシーラに懐いているからもしかしてと思ったけれど……こうも簡単に堅物レティアがわたくしたちを招き入れてくれるとは、思わなかったわ」
吐き捨てるようなマリアの言葉と、それに同意するルピカ。
「そうですね。今回のことでレティア様の利になることは考えにくいですから、やはりシーラに興味を持ったんだと思います」
「私?」
「シーラ、レティアに何かされそうになったら全力で逃げなさい」
「えええぇぇ」
いったい自分は何をされてしまうのだと、シーラはげんなりする。それを見たアルフは苦笑しているが、レティアという人物があまり好ましく思われていないのはわかる。
シーラはおずおずと手を挙げながら、マリアたちにどういった人物なのかを問う。
「レティアさんって、何者なの?」
若く、自由奔放だというのが第一印象だ。
けれど、腹の奥底で何かを考えているような笑みも見て取れ、一筋縄ではいかない高い地位の人間という予想は立てることができた。
「いい質問ね」
マリアがぴっと人差し指を立てて、シーラの問いに答える。
レティアは伯爵家の令嬢で、爵位はそう高くはない。しかしなぜか、王城の敷地内に研究棟を与えられ、ある程度の発言も許されている。
誰も使わず、とうに絶滅したと思われている精霊魔法の研究をしているのに、だ。
「その精霊魔法だって、なんの成果も出ていない。それなのに、レティアには一定の活動資金が国から支給されているのよ」
おかしな話ねと、マリアが言う。
それにルピカも頷き、言葉を続ける。
「わたくしも、おかしいとは思っていました。けれど、シーラ。あなたに出会って、精霊魔法が本当にあるということを知り、その考えを改めました」
「そう。……この国の一部は、精霊が存在している事実を知っているのではないかという可能性が出てきたわ」
真剣な瞳のマリアは、何かを考えるように口元に触れる。いったいどうすればいいのか、思案しているうような表情。
もう一度マリアが口を開こうとすると、お茶を淹れたメリアが戻ってきた。
「お待たせしました。あと、クッキーもあったので持ってきましたわ。そうそう! ほかの研究員たちは、上で議論をしているみたいで……殿下の来訪に気付かなかったみたい」
「まったく、研究員の躾けがなっていないわね」
楽しそうな物言いにマリアが叱咤するが、レティアはまったく気にした様子はない。にこにこ笑いながら、シーラの前にクッキーを置く。
「わぁ、美味しそう」
『わぷ!』
「ふふ、たくさーん食べてくださいな」
シーラがお菓子に目を輝かせて、お礼を言う。
「このクッキーは、王都で人気のあるパティシエが作ったものみたい? とてもいいものなの」
「え、そんなものを食べてしまっていいんです!?」
「いいのよ。レティア、シーラは王都になれていないのだから、あまりからかわないであげて」
「そう?」
別にからかっているわけではないよ? と、レティアが微笑む。とりあえずお茶をしながら話をしましょうということになり、シーラは早速クッキーに手を伸ばす。
「はぁ美味しい……甘い……幸せぇ」
「気に入ってもらえた? なら、よかった。パルを連れてきてくれてありがとう」
「いえ」
レティアがパルを膝に載せて、紅茶を口に含む。
ルピカたちも口を付け、ゆっくりとここへ来た目的を話し始めた。もちろん、シーラが精霊を呼べることなどは伏せて。
「精霊が絶滅していない可能性があるかどうか?」
「ええ。自分の魔力を使う魔法ではなく、他者の――精霊の力を借りて行使する精霊魔法を使えたなら……新しい発展があると思うの」
「なるほど?」
マリアの言葉を聞き、レティアは落ち着いた声で「いるわよ?」と簡単に口にした。それを聞き、まさかこんなすぐ手がかりを得られるなんてと驚きを隠せない。
「――!」
動揺を見せないよう、マリアは足を組み直してからゆっくりレティアに問いかける。
「では、なぜそれを公表していないの?」
「だって、公表しても精霊魔法を使えるようになるわけではないでしょう?」
そのため、特に公表の必要性がないとレティアは告げる。精霊がいることを告げても、それを証明することはできないのだ。
マリアはレティアが嘘をついていないか伺うように、問いかける。
「なぜ使えないのか伺っても?」
「あら、それは研究中だわ。でも、強いて言うなら……そうね、精霊の力が足りないのかもしれませんね?」
「精霊の力が……?」
意味深に告げるレティアの言葉に、マリアは考え込む。同時に、シーラと一緒に精霊から聞いた言葉を思い浮かべる。
人間の仕業で力が使えないということを、レティアは知っているのだろうか。
1~18話、またもちょこちょこ修正してしまいました…。