18:貴族って怖い……
「え……っ」
それはひどく小さな声だったけれど、確かにシーラの耳に届いた。
困惑した……アルフの声だ。
――おめでたいこと、じゃないのかな?
結婚というものは、とてもおめでたいものだ。シーラの住んでいた場所では、村人が総出で祝福して昼夜お祝いモードになる。そのため、国王の告げたこの結婚もいいものだとシーラは思った。
しかし、当の本人であるアルフが全然嬉しそうではない。もちろん、国王の手前アルフは笑顔を崩してはいないけれど、悲痛さがひしひしと伝わってくる。
その様子が気になったシーラは、隣にいるルピカへ小声で問いかけた。
「アルフさんと王女様って、恋人なんですか?」
「違いますよ。おそらく、会ったのも数回とかだと思います……」
「えっ」
今度はシーラが困惑した声をあげる。
村では惹かれ合った男女が結婚するし、親が無理やり結婚させるようなこともない。
数回しか会ったことがないのに、どうして結婚なんていう言葉が出てくるのかシーラには理解できなかった。
村とは違い、貴族以上の地位を持つと政略結婚というものがあるのをシーラは知らないのだ。
勇者であるアルフはもともと平民であったが、その功績から爵位を得ている。
とはいえ、彼は政治的な地位を望まない。相手の令嬢の親――今の国王のように、縁談をという申し込みは多くあるけれど。
普段であれば断わるが、いかんせん今回の相手は国王だ。ここで申し入れを突っぱねるという判断が、アルフにはできなかった。
「……ありがたき幸せです」
すんなり了承の言葉を口にするアルフを見て、シーラは驚いた。
そんな相手と結婚できるのか、と。いや、了承せざるを得ない現状がおかしいのだとすぐに気付く。けれど、シーラに何かする力はない。
そのまま謁見は終わり、村の外の世界は横暴なのだということを、シーラは知った。
◇ ◇ ◇
シーラは用意されたゲストルームへ戻ると、ぐったりソファに沈み込んだ。隣には一緒に戻ってきたルピカが座っていて、「お疲れ様」と告げた。
控えていたメイドが紅茶とお菓子を用意してくれたので、一息つく。
「貴族って怖い……」
「シーラには慣れないですよね。でも、貴族なんてあんなものです」
「うん、無理」
苦笑しながら、ルピカはシーラの頭を撫でる。
「この後は祝賀パーティーがありますけど、それが終わったら自由ですよ」
「うぅぅ……私には難易度が高いよ」
もういっそ、このまま逃げるように旅立ってしまいたい。
そんなことを考えていると、ノックがしてマリアがやってきた。その後ろには、アルフとクラースもいる。
「マリアさん、アルフさんとクラースさんも」
「お疲れ様、シーラ。薬草の代金を持ってきたから受け取ってちょうだい。さっきの褒美はわたくしたちのことを助けてくれたものだから、別よ」
「王都まで連れてきてもらっただけで十分なのに……」
先ほどよりは小ぶりな袋を渡されたけれど、やはり十分な重さがある。申し訳ないと告げてみるが、「もらいなさい」とマリアに一蹴されてしまう。
マリアはメイドたちを人払いすると、ソファに腰かけ一息ついた。テーブルの上に用意してあったティーポットから自分で紅茶をそそぎ、優雅に飲み干す。
シーラは受け取ったお礼の中を見ると、たくさんのお金が入っていて目を見開く。
「ちょ、こんなにたくさんはいただけないよ! あの薬草、冒険者ギルドでの買い取り金額は五千コーグだったのに! しかも、さっき代金とは別にお礼だってもらったよ!?」
国王の下でもらった褒賞だって、これよりもっと多かったのだ。
マリアにもらった袋の中には、シーラがすぐ数えられないほどのお金が入っていた。ざっと少なく見積もっても一〇万コーグはあるだろう。間違っても、薬草の代金には多すぎる。
シーラはずっしり重たい袋を返すように突き出して、ふるふると首を振る。
その様子を見たクラースが「もったいねえことすんな」と笑う。
「んなん、受け取っとけばいいんだよ。金なんて、あっても困るもんじゃねぇだろ? 俺だって大金をせしめてやったぜ」
「そうよ。むしろ、少ないくらいだわ」
「クラースさん、ルピカ……」
何か美味いものでも食えと言うので、シーラは仕方なく受け取ることにした。そして、「んなことより」とクラースが続ける。
結構大事なことだよ? と思うシーラだが、クラースが続けた言葉を聞きハッとした。
「問題はアルフだろ? お前、王女と結婚したいのかよ」
「したくないに決まってるだろ……魔王を倒したら田舎に帰ろうと思ってたのに」
「…………いなか」
田舎で暮らしてきたアルフは、王都の世話しなさがあまり合わないのだと告げる。
勇者として功績をあげ、褒章をもらい両親とのんびり過ごしたかったらしいのだが――王が、それを許しはしなかった。
まだまだ自分の下にいて、役に立てようと考えているらいし。強く、国民からの人気が高いのだ。手元に置いておく以外ないだろう。
話を聞いていたマリアは、大きなため息をつく。
「大方、あの子がアルフと結婚したいとお父様に泣きついたんでしょう。お父様は、あの子に甘いから」
「第二王女に、か?」
「ええ。わたくしのように強気な娘ではなく、甘えてくれる娘の方が好きなのよ」
「クソだな」
マリアの言葉に、クラースが舌打ちする。
「まぁ、王族がすぐ婚姻することはできないわ。せいぜい、婚約期間に嫌われて婚約を破棄するしかないわね」
「そうすれば結婚しなくていいのか、なるほど」
「…………」
マリアの言葉に納得したアルフが、それなら頑張れるかもしれないと言い出し若干一同は不安になる。
誰にでも優しく、困った人がいれば必ず手を差し伸べ、悪口や乱暴な言葉すら口にしないアルフが、誰かに嫌われるなんて芸当……できるわけがない。
やる気になっているアルフに、それは無理だ、とは言いたくない。全員口を噤み、見守ろうと頷きあう。シーラも、何か申し入れがあれば助けになろうと思った
『わぷぅ……』
と、ここでのん気な声が部屋に響く。
「そういえば、忘れていました。シーラ、どうしてパルと一緒にいるの?」
「あ、そういえばそうだった」
出会ったことをマリアたちに説明すると、なるほどと頷いた。
「でも、ちょうどいいわ。パルは、紹介しようとしていた精霊に関する研究をする人物のパートナーなの。いわゆる、使い魔のような位置づけね」
「そうだったんだ……」
「ちょっと、かなり? 変わった人だけれど、パルが懐いたのなら歓迎はともかく話は聞いてくれるはずよ。パルを返しに行きながら、少し話を聞いてみましょう」
マリアの提案に、ルピカとアルフも頷く。
クラースだけは「面倒事はごめんだからパス」と告げた。まぁ、もとよりあまり人を巻き込むつもりはないのでそれでいい。
そんなクラースを、マリアがくすくす笑って長髪する。
「まったうく、クラースは付き合いが悪いわね!」
「うっせえ、盗賊を何だと思ってるんだ」
「アルフに負けたくせに」
「あーもーうっせぇ!!」
シーラはぶーたれているクラースの下まで行き、ぺこりと頭を下げた。その行動に驚いたクラースは怪訝な顔でシーラを見る。
「な、なんだ?」
「無事にここまで来られたのは、クラースさんに会えたおかげなので。いろいろ、ありがとうございました」
「そんなことか。子供が気にすんなよ」
シーラの頭をぽんと叩いて、「気を付けろよ」とクラースが笑う。それに笑みを返して、「クラースもね!」とシーラが言う。
そして心配そうに、言葉を続ける。
「ほら、クラースは自己治癒が低そうだから」
「あほか。お前の治癒力がバケモンなんだよ! いったいどうやったら、そんな治癒力を身に付けられるってんだ。俺だって、一応これでも自己治癒は高い方なんだぞ」
まぁシーラに言っても仕方がないかとクラースがため息をついたのだった。
そんなやり取りを終えて、シーラたちはパルの飼い主に会いに行くために部屋を出た。