2】 襲撃
カンカン
カンカン
その日の夜、細かく鉄を叩く音に眼を覚ましたディーナはショールを羽織ると、隣で寝ているアルフォンスを起こさぬ様音を立てずにそっと部屋を出た。
(お父さん、まだ仕事してるのかしら?)
鍛冶場に向かおうとしたが、その音は鍛冶場ではなく案外近い居間であった。
そこには、長椅子に座って剣の刃こぼれをチェックしている父、アルクがいた。
「お父さん、まだ起きてたんだ」
「──うむ、ふっと思い出した事があってね……よし! 大丈夫だ」
アルクは顔の前に中位の長さの剣を掲げた。
刃の部分がランプの光に反射して輝いている。
家が鍛冶屋と言う事で、ディーナも色々と剣を見てきているがこんなに美しい光を放つ剣を見るのは初めてだった。
「綺麗……」
「触ってみるかい?」
「──えっ! 良いの?」
「良いともさ、これは元々、女性用に仕上げたんだ」
恐る恐る、それでもしっかりと剣を握る。
柄の太さも、剣自体の重さも申し分無い。
まるで自分にあつらえたように手に馴染む。
「──さすがお父さん! 王家御用達の鍛治師だわ!」
「それはお前が持っていなさい」
「えっ?」
「父さんも母さんも、とっくにお通しだ。──お前が剣の勉強をしているのを」
「……ごめんなさい……」
肩をすぼめ小さくなっているディーナにアルクは優しく微笑むと、ソファに座るように促した。
「ディーナ、我がのノイ家は昔、妖精の祝福を受けて鍛治師としての技術の恩恵を受けた事は知ってるね?」
「はい、妖精の子供を一時期お預かりして、大切にお育てした礼に鍛治師を継いだ者に、幸福と一族の栄え、それと妖精の鍛治の技術を頂いたと……」
「──実はねディーナ、もう1つあるんだ」
「?」
「よくお聞き、私らに恩恵を下さった妖精は“女王ドーン”だ」
「名工ルーの母、と言われている妖精ですね?」
「女王はこう仰ったそうだ。
『我等よりとても短い生を我等より懸命に生き、死せる者達よ。
その歴史の中で大事、変事が起きたら私を呼びなさい。
金の髪を1束手に持ち、シリーナヶ原に立ちなさい。
されば、再び力を貸しましょう。』 と」
「シリーナヶ原って……ティンタンジェルの何処かにあると言われている場所の?」
アルクが頷く。
「“ある”と、言われているだけで、地図にも載っていない、はっきりと場所が分からない丘……。 ──作り話かと思ってた」
「見つけようとすれば見付かる。 探そうとすれば探せる。
心から欲する、強い願いがあれば──ディーナ、お前にはそれがある。
強い心と魂があれば、きっと、何でも乗り越えられるよ」
「……やだ、お父さん……何か、今夜のお父さん変だよ……。──まるで……」
それ以上言葉にするのが怖くて、不安をかき消すように父の肩に顔を埋めた。
アルクの大きく、ゴツゴツした手が何度も優しくディーナの頭を撫でる。
──まるで、永遠の別れのように──
その日の夜は深く深く
人の情も愛も温かさも 全てを飲み込んでしまうかに感じた。
*
「ディーナ! アルフォンス! すぐに起きて支度しなさい!!」
いつも優しく起こしてくれる母と違う怒鳴り声。
二人とも飛び跳ねるように起きた。
「──逃げるのよ!!」
「──?!」
何が何だか分からないまま、急いで着替えてながら窓から外を覗く。
「──?! あれは!!」
遠くの方から見える、赤く燃ゆる炎と、村から離れていても分かる人々の叫ぶ声。
『西から大きな勢力が来ている』
ノーツの言葉が脳裏をよぎる。
「支度は済んだか?! 早く母さんと港に急ぎなさい!!」
「父さん!! 奴等は何処から?」
「──どうやら、島の裏から乗り込んできたらしい」
追い出すように家から家族を、外に出す。
「──お父さんは?!」
「生き残ったものを少しでも助ける」
「あなた!!」
「お父さん!!」
「お父さん! 私も!!」
アルクは一緒に行こうとするディーナを押し戻す。
「馬鹿言ってるんじゃない! お前は今は生き残る事が先決だ!!
……いいか、ディーナ、母さんとアルフォンスをしっかり守るんだ」
「……お父さん……死なないで……」
「あなた……」
「お父さん……」
アルクは人一倍正義感が強く、頑固だ。
村が襲われているのを見て、黙って逃げるなんてできないのは家族は理解していた。
──これが最後かも知れない──
父の抱擁を受け
アルクは村の方へ
ディーナ達は港へと走った。
大きく迂回して港へ急ぐ。
漁師しか使わない崖道がある。
ここを利用すれば、崖の上から覗かない限り見付かる事はない。
「──!!」
(お父さんから貰った剣)
家に置いて来てしまった!!
あれは! あれだけは──!!
「アルフォンス、母さんをお願い!!」
カンテラをアルフォンスに渡すと、もと来た道を走り出した。
「お姉ちゃん?!」
「ディーナ? どうしたの?!」
「大事な忘れ物しちゃったの! 先に港へ行ってて!!」
「──!? 駄目よディーナ!! 戻りなさい!!」
追いかけようとする母を、後から逃げてきた村人達に止められているのをチラッと見て、ディーナは全速力で走った。
自宅近くまで来ると、敵に見付からないよう低く身体を倒して前進する。
時々、耳に飛び込んでくる侵略者が村や街を襲うときに行う、略奪、殺し、女・子供は捕らえられ、辱しめられ、一生奴隷にされる……。
「ギャ──!!!」
悲痛な叫び声と、大勢の走る足音……。
鎖帷子の音がするので、敵に間違いない。
恐ろしさに震え、歯がカタカタと鳴る。
必死に口を押さえ、それでもゆっくりと地を這うように自宅へ向かう。
まだ、敵がいるかも知れない自宅へ、なるべく音を立てずに入った。
真っ暗で、荒らされているが誰もいないようだ。
それでも音が出ないよう気遣い、人がいないかどうか確認しながら、自分の部屋へ向かう。
自分のベットマットの下に隠しておいた剣。
(見付かっていないかしら?)
暗闇の中、手探りでマットの下を探る。
──あった!!──
思わず剣を抱きしめ涙ぐむ。
ディーナは自分のショールを使って背中に背負う。
(後は見付からないように港へ急がないと)
一瞬、父の顔が脳裏に浮かんだ。
悩んだが、港へ向かうことにした。
『母さんとアルフォンスをしっかり守るんだ』
そう言われたのに、二人をほっぽり投げて剣を取りに戻ってしまった自分を恥じたのだ。
(急いで戻ろう)
暗闇の中、ディーナは周囲に気を使いつつ走り出した。
港へ続く崖の道。
(気を付けないと落ちてしまう)
絶壁に背中を擦り合わすよう、下へ降りて行こうと一歩足を踏み出した時だった。
「──あれは?! ……そんな!!」
視線の先にある場所──そこは港。
人々が剣の刃から悲鳴を上げながら逃げ惑う姿。
資材置き場、桟橋、漁船、燃えるものは全て燃やされ
船の代わりに漂うは、人──
そして
見たことの無い、大きな黒い船──
「そんな……島の裏から襲撃して来たんじゃあ……」
アルフォンスと母の顔が頭をよぎる。
「お姉ちゃん……」
頭の上から声をかけられ、ギョッと振り返る。
「!! アル──!!」
「シッ!!」
とっさに口を塞ぎ、アルフォンスの手招きに従って木陰に隠れた。
「アルフォンス、無事だったのね」
強くアルフォンスを抱きしめる。
安心したのか、アルフォンスは泣き出してしまった。
「ごめんなさい、お姉ちゃん……僕、お母さんを守れなかったの……」
「──!? お母さんは?」
「港に付いた途端、あの大きな黒船が信じられない速さで近付いてきて……あっと言う間に……。
僕、走るの遅いから足がもつれて転んじゃって……その時、お母さんが僕を庇って……。
──ごめんなさい、ごめんなさい」
涙でグシャグシャになった顔を、ディーナは優しく拭う。
「大丈夫、大丈夫だよ、きっと……。ティンタンジェルの軍隊がもうすぐ助けに来てくれる……。
それまで此処に隠れてよう、ね?」
「……お姉ちゃん……ごめんなさい……」
「──もう良いから……ね?」
「違うの……」
アルフォンスは黙って、ディーナの両手を包む。
「?」
ディーナの手の平に乗せられた物──金髪一束……。
「アルフォンス……これ……?」
「僕、お父さんとお姉ちゃんの話、聞いちゃったの……。
シリーナヶ原の女王様、呼ぶのに金髪必要なんだよね? お姉ちゃんの髪、茶色だから……。
呼ぶにはノイ家の血筋の金髪じゃないと駄目なんだよね?」
「そうだけど……でも、今じゃなくても……」
「──だから、ごめんね……お姉ちゃん……。
僕、もう、この世界の住人じゃなくなっちゃたの──」
「──!!?」
確かに感じた弟の身体の温かさ、涙の、吸い付くような感触
そしてはっきりとした声……。
それは、みるみる透明となり、形の無いものとなる。
ディーナはすぐに悟った。
『お姉ちゃん、みんなを助けてあげて……』
「アルフォンス──!!!」
たまらず叫び、嗚咽する。
ヒャックリを上げながら、形見となってしまった金髪を、丁寧にハンカチに包み、ポケットへしまい込んだ。
「──この辺りから声がしたぞ!!」
猟犬のような兵士達が剣で木々を流しながら追ってきた。
(まだ、殺したり無いと言うの?!)
悲しみから怒りへと変わる。
背中にしょっていた剣を素早く抜くと、ディーナのすぐ側まで追ってきていた、兵士の足に切りつけた。
「──グワァ?!! 足が!! 足が!!」
両足を切られもがく兵士。
森林を荒らしていた兵士達が、仲間の叫び声を聞いて集まってきた。
「──あなた達にも、親や兄弟や友達がいるでしょう?!
それなのに、どうしてこんな酷い事、平気でできるの!! みんなを返して!!
みんな元通りに返してよ!!」
我を忘れて怒鳴りつけるその迫力に押され、兵士達は何も言えず黙ってその場に立ち尽くした。
「──お嬢ちゃん、勇ましいね。
だけど、俺達も仕事なんだよ。 家族や友と生き延びる為のね……」
暗闇の中から低く抑えた男の声。
それと共に、ゆっくりとディーナに近付く吐息。
足音
剣を構え、後ろに回られないよう、気を配る。
「多少、剣の心得があるか……」
目が暗闇に慣れてきたとは言え、人の顔などは、はっきり見えない。
男はゆっくり近付きながら、小さな松明に火をつけた。
薄っすらと分かる男の輪郭……。
暗闇と同じくらい、濃い黒髪。
その黒髪より、やや、浅黒く焼けた肌の色。
ノーツと同じか、やや年上か?
異国的な顔立ちの青年……。
「……自分を殺す奴の顔は拝めたか?」
「──!!?」
それが合図かの様に、松明を真上に投げ、男はあっという間にディーナの間合いに入った。
カ──────ン!!
辛うじて剣を受け止めたが、如何せん体格も力も相手の方が上だ。
刃を滑らすように身体ごと反らして、その場をしのぐ。
「恐れず、よく受け止めた! ──でも、ここまでだな!!」
右腹に走る光る刃──
(殺される──!!)
そう思った瞬間だった。
男に飛び掛ってきた黒い大きな影。
「うわっ!?」
「何だ!? ──こいつら?!」
素早い動きで、次々と兵士の首や手首に噛み付く数匹の四本足の獣……。
「──守護の黒妖犬!!」
その中で、ひときわ大きな黒妖犬がディーナの方に顔を向けた。
──?──
首を崖の方に何度も振る。
「……」
──それしか無い!! ──
山越えをする旅人や、闇夜を歩く者達を守護する妖犬。
悪行を指示した、行ったという記録は見られない。
ディーナは剣を収めると、真っ直ぐ崖へと走った。
「──はっ!!」
崖の先端で止まる。
下は、まだ陽の光が差し込まないせいか、全く見えず、波の音しか聞こえない……。
(この場所は……思い出せ、思い出せ!)
此処で生まれ育ったんだ。
女の子なのに、と、母に叱られても、男の子と一緒になって島を探検した。
夜、暗くなるまで島の端の端まで……。
よく地図も作った!
海にも潜ったじゃない。
何処が安全で、何処が危険なのか。
漁師の子供達に教えてもらった。
この崖の下は、海から突起した岩々が無い。
比較的、波は穏やか。
飛び降りた時の衝撃で気を失わなければ……。
「……ソラヤ島にいる妖精達よ、海に住む妖精達よ……。
──どうか私に力を──!」
父さん、母さん、アルフォンス……私を守って!!
勢い良く地面を蹴り上げると、波の音しか届かない暗闇の中へと飛び降りた。