9
■
皆でわいわいと遊ぶには、面白いゲームだった。
プレイヤーはそれぞれ最初にキャラクターを選んで王様になり、双六形式でマップを移動しては、互いに相手の陣地を取り合っていく。 もちろん取られないように砦や城を作ったり、同盟を結んで協力し合ったり、途中で手に入る特殊なアイテムを使って地震や金山の発見などのイベントを起こしたりと、遊びの幅と戦略性を広げるシステムが採用されていた。
寺野さんは、序盤で邪魔なハプニングばかり起こしてくる悪魔に憑りつかれて大きく出遅れ、飯谷はイチ少年と同盟を結んでいたが、同盟破棄のイベントに遭遇して対立し、その隙をつくようにして寺野さんから悪魔を押し付けられた。
俺はどういうわけか、政略結婚や内乱というイベントに見舞われ、ただひたすら世継ぎが生まれたり内政に奔走するという展開に困惑しつつ、覇権争いからは早々に脱落。
このゲームが得意だと言っていた三田ちゃんは、序盤こそ飯谷イチ同盟に苦戦を強いられるものの、イベントで女神に祝福を受けると大躍進し、一気に領土を拡大するに至った。
「みなさん、お食事の用意が出来ましたよ」
皆がテレビ画面に向かう背中に声をかけてきたのは、寺野さんの伯母さんだ。
ちょうどイチ少年がサイコロで4を出し、落とし穴に落ちた瞬間だった。
「きょわーっ」
奇声を発しながら頭を抱えて倒れるイチ少年の姿に、飯谷をはじめ俺までも声を出して笑う。 見れば、伯母さんも軽く握った手を口に当てて笑っていた。
廊下まで笑い声がこぼれる中、玄関の戸が開く音がする。
「おう、帰ったぞ」
男の声がして、倒れていたイチ少年ががばりと起き上った。
「あら、おかえりなさい」
伯母さんが帰宅した人物をやわらかな声で出迎える。
どすどすと廊下を踏んで、その人物がこちらへ近づいてきた。
「ずいぶんと賑やかだな義姉さん、お客さんかい?」
「ええ、真姫さんの。 大学の先輩方がみえてます」
伯母さんがそこまで言ったとき、開いた障子の間から大柄な男が室内を覗き込んだ。
作業着に首からタオルを下げ、やや痩せた頬に口ひげを生やした、プロレスラーのように体格のいい男だ。
「父さん、おかえり」
「とーちゃん、おかえりなさい」
姉弟がそろって大男を父と呼んだ。
「おう、ミっちゃんもただいまな」
「おかえりパパさん」
にかっと歯を見せる男に、ミタちゃんがぶんぶんと手を振る。
「で、そっちのアンちゃんたちは?」
俺たちをじろりと見るその眼は、間違いなく寺野さんの父親のものだ。
「ダイキさん」
伯母さんが大男をダイキと呼んで腕を軽く叩く。
「真姫さんの先輩方だと申しましたでしょう」
言われて、ダイキが似合わず背を丸めて頭をかく。
「いや義姉さん、そうじゃなくて、俺ぁただお客人の名前を」
どういう力関係化は知らないが、どうやらこの人は悪い人物ではないようだ。
「飯谷センパイと、加山センパイですぅ。 四年生なの」
三田ちゃんが俺たちを交互に指さして、一生懸命説明してくれた。
「加山?」
じろりと、再び寺野父の視線がこちらに注がれる。
飯谷がびくっと身を震わせたのがわかった。
彼はそのまま俺の目をじいっと見てきた。 俺の色素の薄い目と、彼の黒曜石のように黒々とした瞳がぶつかる。
「ダイキさん、皆さんはこれからお食事です」
割って入るように声をかけた伯母さんのおかげで、彼の視線は俺から彼女に移った。
「うん、ああそうかい」
「ダイキさんはどうします、すぐお食事になさいます? それとも、先にお風呂になさいますか?」
彼の首から自然な仕草でタオルをはずし、広げて畳みながら訊く様はまるで夫婦のようだった。
「いや、若けぇ連中と“女湯野さんのところ”で済ませてきたからよ」
女湯野というと、この近所で大きな銭湯を経営している家だったか。
どんどん手を広げて、今ではボーリング場や映画館も併設した複合施設を、いくつも経営していたはずだ。
「げっ、とーちゃんあの“男女”のフロ行ったのかよ!」
イチ少年が声を上げる。 すぐさま、ダイキのげんこつが振り下ろされた。
「マイリちゃんな」
「いてっ!」
両手で頭頂部を抑えるイチ少年の顔を覗き込み、頬を両側からひっぱりながらダイキがにやりと笑う。
「おめえ同じクラスだってな。 可愛くなっちまって、うらやましいぞイチ!」
「どこが可愛いんだよ、あんなもんっ!」
ムキになるイチ少年に、ダイキが目線を合わすようにしゃがんで耳打ちする。
「バカだなおめえは。 ありゃあ将来、ぜったいおっぱいのでっかい美人なるぞ」
おっさん、そのわきわき動かしてる手つきが卑猥だ。 それに小学生の息子の同級生をつかまえて父親が言うセリフじゃないだろう。
「父さん、やめなよ。 イチのやつ、こう見えて一途なんだから」
「ねーちゃんもうっせぇ。 あんな男女なにがいいんだよ!」
子どもを冷やかす大人げない周囲の目を逃れ、イチ少年は背を向けて腕を組んだ。
「イチくん、かお真っ赤~」
三田ちゃんが指をさして可哀相なことを言う。
「うるせーや」
耳まで赤くしながら、イチ少年は男の子の意地を張ってみせた。
「こら、ミっちゃんになんて口の利き方だ」
立ち上がったダイキが再びが拳を振り上げた。 だが、すっと差し出された伯母さんの手に阻まれて、その拳が振り下ろされることはなかった。
差し出された彼女の手には、きれいに四角く畳まれたタオルが乗っている。
「ダイキさんこれ、女湯野さんのところで使っている石鹸の香りじゃありませんわね」
大男が目を丸くして固まった。
半目になった伯母さんが、子どもの悪戯を責めるようにじっと彼を見上げる。
「い、いやぁ。 早めに仕事が終わったんでな、たまには若けぇやつらを遊ばせてやろうかと思ってよ……」
言いながら、みるみる弱くなっていく寺野父がなんだか哀れに見えてきた。
「寮におかえりの皆さんに、お聞きしてもよろしいんですのよ」
「義姉さん、すみません。 ちょっと羽目を外しました」
観念したように彼は深々と頭を下げる。 それを見ていた寺野さんが腰に手を当ててふうっと息を吐く。
「父さんもまだ若いから仕方ないけど、やめてよね恥ずかしいから」
「お客人のまえで、本当に申し訳ない」
こちらにも頭を下げるが、突然の事につられてこっちも頭を下げてしまう。
「どういうことだ、とーちゃん?」
「パパさん、なんの話し?」
ピンと来ていないお子様二人を置き去りに、伯母さんは寺野父の耳をつかんでスタスタと歩き出した。
「いてて。 義姉さん、このカッコウは我が子にゃみせらんねえよ」
大丈夫だ。 ついさっきもっと見せられない姿を、我が子どころか赤の他人の俺たちにまで見られているのだから。
「さあさあ、皆様も。 こちらにお食事は用意してありますから」
にっこりと振り返ったその笑顔に、とてつもなく恐ろしいものを感じたのは俺だけではなかったはずだ。 皆、すぐさま避難訓練のようなきれいな列を作って伯母さんのあとに続いた。
着いた先は、宴会場のように広々とした部屋だった。
畳の真ん中に、一枚板の長々とした食卓が置かれ、家長のダイキを先頭に長方形の両側に分かれて全員が腰を下ろす。
おそらくここに、寮にいるという従業員を集めても一周しないだろう。
食卓の脇に持ち込まれたおひつから、伯母さんが楕円形のカレー皿にご飯を盛り、横手に渡された寺野さんが、そこに食卓の上の鍋からルーを流していく。
手から手へ渡されて全員の前にカレーの皿が行き渡った。
「ようし、全員に回ったな」
確認するように、寺野父が言う。 そしてコップの水に差しこまれていたスプーンを取り出して、合わせた両手の親指に挟んだ状態で胸の高さまで持ち上げ、目を閉じて頭を下げる。
「いただきます!」
それに同調するように、寺野一家と三田ちゃんが「いただきます」と続き、やや出遅れて飯谷が頭を下げた。
「ほら、あんたも」
寺野さんにせっつかれて、俺も皆にならって頂きますをした。
「本当に、ご馳走になります」
俺が申し訳なさそうに言うと、伯母さんが小さく手を振りながらいう。
「ご馳走だなんてとんでもない。 真姫さんがお世話になりまして。 寒いなかの買い出し、お疲れ様でした」
逆に頭を下げられて恐縮する。
その隣で、寺野父が大きな声で笑った。
「よう、遠慮はいらねえよ。 ご馳走なんてとんでもねえ、こんなもんでよかったら、腹いっぱい喰ってくれや」
「あら、こんなもので悪うございましたね」
つん、と言い放たれて、またダイキが頭を掻く。
「ね、義姉さん、俺ぁそういう意味で言ったんじゃねえんだ」
「いまのパパさんが悪いよ」
「ミっちゃんまで、そう言ってくれるなって」
俺の目の前で、大男が、どんどん小さくなる。
「うまいっす! すっげぇうまいっすよ!!」
がばがばと掻き込む飯谷に、伯母さんは困ったように笑う。
「まあまあ、ありがとうございます。 そんなにあわてなくても、ゆっくり召し上がってくださいな」
「義姉さん、いつもどおり美味しいですよ」
機嫌取り見え見えだが、ダイキが挽回をはかろうとする。
「あら、今日はお客様のために、いつもより腕によりをかけましたのに」
「がぁ」
顎が外れたのかと心配するほど、ダイキの口が大開になった。
「とーちゃん、やめてくれよ。 オバちゃんおこらせたら、明日からねーちゃんのメシになっちゃうぞ」
それは命がけの発言だぞ、少年。 まさしくこの親にして、この子ありだ。
「おもしろいこというねえイチ」
「笑ってる。 マキちゃんが笑ってるよぅ」
震えあがる三田ちゃんを気の毒に思ったのか、伯母さんが苦笑して言う。
「ダイキさん、冗談ですよ。 何の変哲もない、いつものカレーですから。 ねえ、ご馳走じゃなくてごめんなさいね?」
そう話を振られて、俺はどう答えていいかわからなかった。
「うまいっす、ごちそーっす!」
隣で調子のいいことを軽々と言ってのける飯谷が、すこしうらやましい。
「あんたはどうなのよ」
寺野さんが俺の返答を催促してきた。
「真姫さん。 気を使わないでくださいね」
おやめなさい、とでも言うような口調で寺野さんを抑えて、伯母さんが俺にやさしく微笑んでくれる。
「いえ、その。 懐かしい、そんな感じです」
自分で言っておいて、これは無いんじゃないかと恥ずかしく思った。
ただ“おいしいです”と言ってしまえば済むことなのに、正直に思ったままを述べて却ってわけがわからなくなってしまう。
スプーンの上に乗ったジャガイモを見下ろしながら、俺が黙りこくっていると、伯母さんが小さな子どもをあやすような声色で言う。
「そのおイモね、真姫さんが切ってくれたのよ」
「え」
寺野さんが日々、家の手伝いをこなしているのは何の不思議もないことだ。
だが、伯母さんがわざわざそれを口にしたことが意外だった。
「マキちゃんらしい切りかた!」
形も大きさもまちまちの野菜を見て、俺も三田ちゃんの意見に内心では同意していた。 もちろん、内心ではだ。
「カレン、あんたまで言ってくれるじゃない」
「ちがうよ、マキちゃん、違うからね!」
何がどう違うのかはわからないが、必死にぶんぶんと両手を振る三田ちゃんを助けようと、寺野父が思いついたように声を上げる。
「ところでよ、マキ。 今日はなんでまた大学の先輩方にご足労ねがったんだ?」
そう訊かれた寺野さんが、普段通りの表情に戻ってこちらを向いた。
「ああ、カレンのことで相談しようと思って。 はじめは外で話してたんだけど、遅くなりそうだったからウチに来てもらった」
「パパさん、ごめんなさい」
三田ちゃんが謝ったのは、急に押しかけてきた俺たちを含めてのことだろう。
この件で一番謝らなければいけないのは飯谷なのだが。
ダイキはしゅんとした三田ちゃんに、声を上げて笑って見せる。
「ミっちゃんは気にすることねえぞ。 いつまで居たって構わねえんだから。 もういっそのこと、ウチの娘になっちまうか?」
「……パパさん」
その言葉に、ミタちゃんはどこかほっとした様子で微笑む。
「それに、俺も娘が欲しかったしなあ」
がはは、と笑うダイキに寺野さんの視線が突き刺さった。
「わるかったね、長女がこんなでさ」
「おっといけねえや。 だがまあ、そうかい、その、なんだ。 ミっちゃんのアパートのことでなあ」
そういいながら、ダイキはちらちらと傍らに正座する伯母さんのことを気にする風を見せた。 すぐにそれを察して、伯母さんがするりと立ち上がる。
「わたしは、寮のほうへおすそ分けに行って参りますので、真姫さん、あとお願いできるかしら?」
「はい、わかりました」
「イチくん、伯母さんのお手伝いしてくれるかな?」
「おれまだ食ってるのに~」
ご飯粒を口元につけて、唇を尖らせるイチ少年。
「少しだけだから。 ね、お願い」
手を合わせて困ったように笑う彼女に、イチ少年はスプーンを置いて立ち上がる。
「はぁい」
「ごめんなさいね」
イチ少年と手をつないで台所のほうへと下がる伯母さんを申し訳なさそうに見送って、ダイキがこちらに向き直った。
「だがよ、お前たちだけで大丈夫か? 変質者だとかストーカーだってんなら、ケーサツに任せたほうが良くねえか?」
そうか。 三田ちゃんがここに居候する経緯を、寺野さんはそう説明していたのか。
俺はひとまず、その方向で話をまとめることにした。
「あまり大ごとになると、三田さんがアパートに居づらくなりますから。 悪戯かそうではないのか。 警察に相談するのは、それを調べてからということに……」
半分はでまかせだったが、まだ何も確かなことは分からないのだ。
嘘をついていることにはならないだろう。
「そういうもんか。 まあ、アブねえことはするなよ」
「はい。 明日、昼間のうちに行ってきますから」
「任せてくださいよ! オレ、逃げ足だけは自信ありますから!」
飯谷、何の自慢だ。 寺野さんどころか三田ちゃんにまで白い目を向けられてるぞ。
だがそんな飯谷の発言にも、ダイキは気持ち良く笑ってみせる。
「そうかい、そうかい。 まあ、自信があるのはいいことだ。 そういうことなら、今夜はふたりともウチに泊まってけ。 な?」
いきなりそう言われて、俺の理解が追いつくよりも先に寺野さんが声を上げた。
「父さん、なに言いだすの」
「いいじゃねえか。 お前のトモダチのためにひと肌脱いでくれるってんだろう? 明日行くならウチからのほうが近いし、まとまっていけばいいじゃねえか」
「いえ、さすがにそこまでお邪魔するわけには」
俺が断ろうとするところへ、すかさず飯谷が割り込んでくる。
「いいじゃん加山、せっかくのご厚意だぜ?」
それは分かっているが、お前は寺野さんが嫌がっているのもわかろうな。
「マキ、客間に布団だしてやってくれ。 頼んだぞ」
そういったダイキは、それまでの表情とは違い、父親の顔だった。
それを見た寺野さんは、しぶしぶではあったが首を縦に振る。
「わかった」
「よし決まった」
にかっと笑うその顔は、元の寺野父に戻っていた。
「お言葉に甘えます」
俺が頭を下げたのは、提案者ではなく寺野さんだった。