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 俺と寺野さんは谷崎の部屋に戻ると、手短に礼を済ませて飯谷と三田ちゃんを連れて部屋を出た。

 慌しく立ち去る俺たちを、谷崎は不思議そうに見送った。


 それよりも不思議がったのは、突然連れ出された飯谷と三田ちゃんだ。


「いきなりどうしたんだよ。 寺野さんと出てったと思ったらこんな急に」


 裏野ハイツの敷地を出て、駅前に向かって歩きながら、俺の背中に飯谷が問いかけてくる。

 三田ちゃんが俺の顔を心配そうに覗き込んで、それに気づいた。


「あ、センパイほっぺがはれてる!」


「え、お、マジか」


 飯谷もそれを聞きつけて俺の顔を見た。

 そして、二人の視線はそろって寺野さんへと向けられる。


「なによ」


 憮然と迎え撃つが、どこか弱腰に見えてあまり効果がない。


「……マキちゃん、センパイぶったでしょ」


「なにかされたのか? 大丈夫だった?」


 飯谷、お前の態度は間違っちゃいないが、なんかむかつくぞ。


「なんでもない。 それより、どうするの?」


 寺野さんは話を俺に戻した。

 少しだけ言葉の距離感が縮まったように感じ、それは飯谷たちにもわかったらしく、それ以上俺のぶたれたことは追及されなかった。


 俺は駅近くの喫茶店に入ることにした。 入り口と正面のカウンター席からもっとも遠い隅のテーブルを選び、周囲に客がいないのを確認して腰掛ける。

 ここまでほとんど喋らない俺を、三人が心配そうに見つめていた。


「三田ちゃん、頼みがある」


 俺は意を決して切り出すことにした。


「なんですかぁ?」


「キミの部屋の鍵を、一晩だけ貸してほしい」


「それって」


 飯谷が茶化そうとしたのか、口を挟もうとして、やめた。

 俺の表情から、緊張感が伝わったからだろう。


「あの部屋で、一晩様子をみる。 もちろん、部屋のものには触れないし、なんなら今から大切なものはとりに戻ったっていい。 どうだろう?」


 じっと彼女は俺を見ていたが、くるりといつもの笑顔に戻って答える。


「いいですよ、もちろん!」


 よかった。 ひとまず、これでいい。


「お前ひとりでか? オレは?」


 飯谷に訊かれて、俺は慎重に言葉を選んで答える。


「寺野さんの家で、待機していてほしい。 悪いが、連絡が取れる状態にして、一晩中」


 これは女性には頼めない。 飯谷はごくりとつばを飲んでから、気持ちを切り替えたように明るい声を発した。


「よし。 オンナノコたちのことはオレに任せろ! それより加山、お前ケータイ持ってないだろ? オレの貸しとくか?」


 そういってポケットに手を入れた飯谷よりも早く、携帯電話が俺の目の前に差し出された。

 寺野さんだった。


「これ、使って。 カレンの番号も入っているし、そっちの番号も登録すればすぐに使えるから」


 そっち、というのは飯谷のことだろう。


「ありがとう」


 俺はありがたくそれを使わせてもらうことにした。


「でも、どうして突然こんなこと言い出したんだよ」


 早速携帯に番号を登録しながら、飯谷は俺に訊いた。 三田ちゃんも、あるいは寺野さんもそれを気にかけているだろう。


「俺の思い過ごしなら、それでいいんだけど。 あの谷崎って婆さん、嘘をついてる」


 飯谷と三田ちゃんは、あんぐりと口を開いた。


「孫が三歳といっていたけど、谷崎の外見から予想できる年齢からするとずいぶんと幼いように思う。 もちろん本人の実年齢も娘さんの年齢がわからないし、複数いる孫のひとりの話しかもしれない。 だがひどく違和感が残った。 それに頻繁に来ているのに写真一枚手元にない。 いや、あっても見られたくなかったんじゃないか?」


 もちろん、それだけじゃない。


「孫が帰らないとぐずった話をしたとき、自分の家も娘の家も“部屋”といっただろう? まるで同じマンションかアパートにでも住んでいるような言い回しだ。 そして、202号室はずっと空き家なのに、頻繁に人が入れ替わる203号とは違って誰にも貸し出されていない」


 あ、と飯谷と寺野さんが揃って声を漏らした。 三田ちゃんはいまいちわかっていないようだ。


「変だね」


 寺野さんが口を開いた。


「マキちゃん、ヘンってなにが?」


「おいおい」


 ピンと来ていない三田ちゃんに、さすがの飯谷も呆れた顔だ。


「あのアパートで、カレンの部屋はいわゆる曰くつきなんでしょ? それなのに、大家さんがその部屋には人を入れても、隣には人を入れないなんてさ」


「あ、確かに私が借りたときも、空き部屋は203号だけってなってたぁ」


 思い出したように三田ちゃんが手の平をぽんと合わせた。


「つまり、202号室は空き部屋じゃないってことなんじゃないか?」


 飯谷が三田ちゃんを見た。 彼女は目を丸くして驚いたようだった。


「え~! でも、誰も居たことないですよぉ?」


「もしそうでも、あの部屋は誰かがずっと家賃を払って借り続けているってことだ。 俺の予想だと、あの谷崎か、その娘……」


 俺の言葉に、三人は無言で俯いた。

 仮に俺の予想が当たっていたとして、どうしてそんなことをする必要があるのか、底知れぬ不気味さを感じて気持ちが怯んだのだろう。

 でも俺はそんな様子にかまわず続ける。


「それに、谷崎は三田ちゃんの家の郵便物を取り込んだり、部屋に明かりがついていないのを確認したりしていた。 そこまで気をつけていながら、どうして彼女の部屋の窓が開いているのを放っておいたんだ? 言動に、おかしな部分がありすぎる」


 そして、もうひとつ。


「はじめに相談されたとき、どうして俺が裏野ハイツのことを詳しく知っていたとおもう?」


 三田ちゃんが、不動産屋さんなんですか、と聞く程度に俺はあの場所について知識があった。

 それは当然、以前に知る機会があったからだ。

 俺は高校のころに、裏野ハイツの存在を知った。 兄がそこに部屋を借りたという知人が居たからだ。

 曰くの203号室。 彼には特に目立った怪異は起こらなかったが、隣人とのトラブルですぐに部屋を引き払うことになった。


 彼曰く、201号室の老人の嫌がらせがひどいから。


 早朝に自分の部屋の窓ガラスを叩いて喚くわ、空き家と言われている202号室に入り込んで、おそらく壁に向かって話しかけているやら。

 郵便受けには汚物を入れられ、わけのわからない罵詈雑言が一晩中聞こえたりと、とにかく迷惑行為や奇行が激しかったという。

 大家に苦情を申し立てたが、認知症なのか心の病なのか、大家も手が着けられず、身よりも無いため放り出すわけにもいかずと、お手上げ状態だった。

 そして申し訳なさそうに、203号室が無人の間は奇行が治まるのだと説明され、金子を包まれて部屋を引き払うことになったそうだ。


 この話を聞いて、一番驚いていたのは三田ちゃんだろう。


「おばーちゃん、そんなひとじゃないもん!」


 こういうのも尤もだ。 まったく問題なく会話ができ、気遣いもしてくれた谷崎が、そんな人間だとは誰一人おもわないことだろう。

 だが、俺はもうひとつ仮説を持っていた。


「203号室が女性なら、谷崎はおかしくならないんじゃないか」


 いくら人の出入りが激しいとはいえ、ずっと空き部屋というわけじゃない。 誰かが越してくるたびに谷崎が奇行に走れば、ほかの部屋の住人もたまったものではない。

 だが、いつも出て行くのは決まって203号室の住人ばかり。

 被害が一番大きいのはわかるが、それでもほかの部屋が無害というわけでもない。

 となると、住人が居ても谷崎が落ち着いている状況があるのだ。

 俺はそれを、住人の性別ではないかと考えた。


 女なら親切に、男なら追い出す。


 いささか幼稚ではあるがこれが俺の仮説だ。 そして、別の予想もある。

 それを確かめるために、俺は一晩あの部屋を借りたいのだ。


 みな黙っていた。 俺も、それ以上はなにも言わなかった。

 俺は何かあればすぐに寺野さんの携帯から連絡することを約束して、三田ちゃんから鍵を受け取って喫茶店を出た。

 駅の改札に向かう途中、振り返ると三人が喫茶店を出て、向かいのとおりから俺を見つめていた。

 黙って、俺は彼らに右手を上げる。 不安そうな顔をしていたのが、遠くでもよくわかった。

 俺がさよならでもしたと思ったのか。

 そうならないことを、俺自身が一番願っている。

 俺はそのまま電車に乗り、俺の生まれた町を目指した。



 この屋敷に戻ってきたのは、何年ぶりだろうか。

 大仰な門をくぐり、人の気配の無い敷地へと足を進める。

 玄関は鍵がかかっていたので、俺は呼び鈴など押さずに裏口へ回った。

 勝手口のそばで、物干し竿に洗濯物をかける女性の背中が目に映った。

 俺の踏みつけた落ち葉の音に気づいて、彼女がこちらを向く。

 

 すこし皺が深くなったが、相変わらずきれいな人だと思った。


「悟さん!」


 まるで奇跡でも見るように、彼女は驚いて洗濯物を地面に落とす。

 テレビドラマの演出のようだ、とすこし苦笑いして、俺は頭を下げた。


「お久しぶりです」


「そんな、あなたの家ですよ、何を畏まって」


 この子はもう、とでもいいたげに、彼女は俺の傍によって手をとった。


「おかえりなさい」


「ただいま。 お母さん」


 ああ、やっぱりこの人は俺の母だ。 母になってくれた人なのだ。

 暖かな彼女の手のひらに、もう片方の手を乗せて、俺はうれしさをかみ締めた。


「……父さんは」


 慎重に、俺はそれを訊いた。

 俺が心配していたものとは違い、母の反応は落ち着いたものだった。


「ええ。 このところ、すこし具合がいいみたい。 会っていくの?」


 俺はうなづいた。 そのつもりで来たのだ。


「そう、じゃあ、離れにいらっしゃるから、行きましょうか」


 そういって、母は俺を案内してくれた。

 書斎があった場所を改築して、離れを設けたらしい。

 いや、建物の佇まいを見れば、それは離れではなく父を隔離するための建物であることは否応にも理解できた。

 神社仏閣様式の建築に、外壁に掘り込まれた奇妙な文字。 それらが黒ずんだ染みで汚れているのを見ると、ずいぶんと強い結界を張っているとわかる。

 そう、それが“わかる”程度には、俺も加山の人間になっていたのだ。


 外からかんぬきを外して、母そっと木戸を開いた。

 鍵が外からしか開けない。 それだけでも十分この建物の異常さがわかる。

 室内は、板張りの簡素なものだった。 奥に御簾が釣られて、その部分だけが畳敷きなのがわかる。

 下駄を脱いで、母はそのまま御簾のほうへと近づいた。

 うっすらと見える御簾の中で、何かがむくりと身を起こす。 シルエットだけで、それがひどく痩せこけて、頭髪の抜け落ちた姿だとわかった。

 ひと言ふた言、母と言葉を交わし、母がこちらに戻ってくる。


「いいそうよ。 でも、手短にね」


 そういった母の表情をみて、今加山の家を切り盛りしているのは、間違いなくこの人であり、また父とこの人の間で、何かが確かなものに変わったのだということがわかった。

 どこか遠慮しているような、あの儚さが影を潜めていたからだ。


 俺は靴を脱いで奥へと進んだ。

 御簾から一メートルほどの距離で腰を下ろし、正座する。


「悟か」


 御簾の向こうから、ざらざらに乾いた声がした。 だが間違いなく、父の声だ。


「管が刺さっていてな、あまり長くは話せない」


「お聞きしたいことと、お話したいことが、あるだけです」


「言ってみろ」


「裏野ハイツをご存知ですか」


「……」


「俺の身代わりを生んだ人は、そこに住んでいたんですか?」


「……」


 俺はこの沈黙を、返事と受け取った。


「じゃあ、次は俺の話です」


 返事は無かった。 俺は一方的に続ける。


「想う人ができました」


「そうか。 面が、必要だな」


「その人に、想いを伝えます。 俺の、番が来ました」


「……なら、最後までやりとげなさい」


「はい。 どうか、よろしくお願いします」


 俺は手をついて、御簾の向こう側に居る父に深く頭を下げた。

 これで最後だと、お互いにわかっていたと想う。


 ただそれだけで父と別れ、俺は書斎であのとき渡された仮面の入った桐箱を抱えて、加山の家を出た。

 父が病に臥せったのは、あれからすぐのことだった。

 原因は医学ではわからず、ただ部屋に結界や魔よけの施術をして人を遠ざけるようになった。

 近づくことができたのは、唯一母だけで、それからは母が父を支え続けてきた。

 俺は、そうとは言われずとも感じ取って家を避けるようになり、高校に進学するのを待たずに一人暮らしを始めた。


 そして、父から渡された資料や、自分で調べるにつれて、何が起きたかを理解した。

 あの時、加山の一族はいわば順番に“かくれんぼ”をすることにした。

 異児女という鬼から俺を隠すために、順番に隠れていった。


 すいじ、せんたく、かじ、おかし。


 イジメサマの呪文の意味は、選択、水死、火死、犯し。 いずれかの方法でつかまった人間は“隠される”のだ。

 父は犯し、つまり病に侵されることを選んだ。 おそらく一番長く苦しむかわりに、一番長く家族と、俺や母や一族の者たちと過ごせる方法を選んだのだと、いまならわかる。

 父たちも加山の家に伝わる施術で、できる限り延命を試みた。

 それも、すべて俺が血を継ぐためだと、加山の使命を残すためだとわかっていた。


 俺の番が来た。

 加山の使命を受け継ぎ、どこかでそれを断ち切るために、俺は家を継ぐ決心をした。

 もちろん、あのひとがそれを受け入れてくれるか。 それ以前に、俺の気持ちが届くのかすらわからない。

 だが、いずれ俺が“失敗”したとき、誰かに後を継いでもらいたい。

 そんなことを、俺は心の底から願う気持ちになっていた。

 父も、あるいはそうだったのかもしれない。


 バス停でバスを待っていると、ポケットの中で携帯が震えた。

 着信を見ると「カレン」となっている。


「はい、加山です」


 電話に出るときは、相手がわかっていてもどうしてか敬語だ。


「あの、あたし」


 三田ちゃんではなく、寺野さんだった。

 彼女の携帯を俺が使っているために、三田ちゃんの携帯でかけてきたのだろう。


「寺野さん、どうしたの?」


「いま、いい?」


「うん」


「あのさ、なんていうか、ちょっと心配でさ」


「大丈夫。 明日にはそっちに戻るから」


「戻る? なに、ここ、あんたのウチじゃないよ」


「でも、戻るよ」


「そう。 待ってる」


「そうしたら、話したいことがある」


「今、きこうか?」


「いや、いっぱいあるんだ。 いっぱい」


「そう。 めんどくさいね」


「ごめん」


「ううん、きくよ。 でも、少し外にも出ようよ。 二人はほっといて」


「イチ君とあそんでてもらえばいいよ」


「そうだね。 買い物にいきたいな」


「タイムサービス?」


「そうじゃなくて」


「なにかほしいの?」


「見るだけでも楽しいよ。 そっちは、何かないの?」


「ああ、そうだな。 コーヒーメーカー」


「え?」


「いいのを、選んでもらえる?」


「……まあ、いいよ」


「じゃあ」


「また、あしたね」


 通話が終わって、電源を切ったとき、俺は子どものように震えていた。

 唸りを上げて、バスが来る。

 バスに揺られながら、俺は昨晩のことを思い出していた。


 みんなで笑って、食事をしてゲームで遊んで。

 あれが、失われることが恐ろしい。

 どこか俺の家と境遇の似ている寺野さんの家を、どこかあのひとと俺自身を重ねさせる姉弟を、守りたいと強く願っていた。




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