表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/19

10

 食事が終わり、ゲームの続きは予想通り三田ちゃんの圧勝で終わった。

 三田ちゃんはイチ少年の宿題を見るために彼の部屋へ向かい、俺と飯谷は客間のテーブルを片付けて、寺野さんと伯母さんが用意してくれた布団を並べたあと、風呂へと案内された。

 先に飯谷が風呂を済ませることになり、俺は客間でぼんやりとテレビを眺める。

 どうやら明日は晴れるようだ。

 暖かみのある布団と真新しいシーツのにおいが、ゆっくりと眠気を誘う。


「アンちゃん、まだ起きてるか?」


 障子の向こうから声がして、俺はすぐに返事をした。

 開け放たれたそこには、どてらを羽織ったダイキが立っている。


「ちょいと俺の部屋に来てもらえるかい?」


 口調とは裏腹に、瞳の奥に真剣な気持ちを宿した彼に、俺は少しだけ心のなかで身構えた。


「なに、すぐに済む話だ」


「わかりました」


 ここじゃ駄目な話しだとすると、すぐに済まないかもしれない。

 頷いて、ダイキの後について廊下を進む。

 突き当りを折れて、そのまま庭を左手に見ながら縁側を進んだ先に、立派な木の扉がある。

 中は板の間に絨毯を敷いた部屋だった。 四方を書棚が囲み、正面に書斎机が、奥の間仕切りの向こうにベッドがみえる。

 オレンジがかった室内灯の薄明かりのなか、俺は促されて机の向かいの革張りの椅子に腰を下ろした。 ダイキが部屋の隅に置かれた小型の冷蔵庫を開け、缶ビールを二本取り出して俺の正面に座る。

 二人の間にあるテーブルの上にビールを置いて、俺に飲むように促した。

 下戸の俺はやんわりとそれを断って、本題を待つ。


「わざわざ悪いな」


「いえ、こちらこそ、突然お邪魔した上に泊めてまでいただいて」


「いやなに。 ところで加山さんよ」


「はい」


 俺が返事をすると、ダイキは背を丸めてぐっと俺に近づくような姿勢で言う。


「あんた、どこの加山さんだい?」


 やっぱり、そういう話か。 わかってはいたが、俺にも聞かれたくないことはある。


「学校のそばのアパートで、一人暮らしです」


 この言い訳は、さすがに苦しい。 それは呼び方が“アンちゃん”から“加山さん”に変わった時点で明白だ。

 だがダイキは俺の気持ちを尊重してくれたのか、ひとまずうんうんと頷いてから身を起こした。


「そうかい、一人暮らしね。 それで、ご実家は?」


 適当な言葉を吐いてこの場をやり過ごすことはできただろう。

 だが、それをする意味が、今この瞬間には存在しなかった。


「……隣町です」


 観念したように、俺は言った。

 ダイキは口を開けていない缶ビールを、両手で握ったままじっと見下ろしている。


「やっぱりな」


「あの……」 


「いや、すまねえ。 加山の人間をこんなところに泊まらせちまってよ。 前もってわかってりゃ、もっといい部屋を用意させたんだが」


 ビール缶をテーブルに置いて、両ひざに手をついてダイキが頭を下げた。


「そんな、滅相もない。 こちらが勝手に押しかけたんですから、だから」


 頭を上げてくださいと言おうとしたが、ダイキの声にさえぎられる。 


「気を悪くしねえでくれ。 俺ぁただ、マキのことが心配なんだ。 俺にはあいつとイチをしっかりと育てる責任がある。 だから、なんて言っていいかわからねえんだが」


 なるほど、俺が加山の人間だとわかって、この人はなんとなく事態を察したわけだ。


「構いませんよ。 いえ、この町で加山のことを知っていれば、当然です」


 加山の家の人間と、自分の娘が関わりを持つ。 それだけでもこの町の人間は愉快な気持ちではいられないだろう。

 しかも、その娘の友人が相談事を持ちかけているとなれば、事と次第を知っているものなら、心配にならないほうが無理な話しだ。


「だから、頭を上げてください」


 ようやく、やや安心した面持ちでダイキが顔を上げる。


「そうか。 それで、どうなんだ?」


「三田さんのことですか?」


「ああ」


「まだ、何とも言えません。 それに、自分はまだ加山の跡継ぎではありませんから。 そもそもお門違いの相談に首を突っ込んでいるだけかもしれません」


「でも、力になってやろうってんだろう? いいやつだな、あんた」


 娘さんには、嫌な奴だと言われましたけどね。


「明日、行くんだったな」


 まだ現場も見ていないのに、取り越し苦労ということだってある。

 そう思いたい、それがダイキの本心だろうし、俺だってそうだ。


「ええ。 でもお約束します。 三田さんにもお嬢さんにも、危険なことはさせません」


 俺にできることといえば、それくらいなものだ。

 似合わず力強く言い切って見せた俺を、やや意外そうな顔でダイキが見つめる。


「なんですか?」


「いやな、あの娘をつかまえて“お嬢さん”ときたか」


 俺が言葉を人並みに知らないのは認めるが、よそさまの娘さんを呼ぶとき、言葉の選択肢はそれほど多くはないだろう。

 寺野さんと呼べば目の前の寺野父もそれに当てはまるし、真姫さんと呼ぶほど親しい間柄でもない。


「寺野さんにとって、大切なお嬢さんでしょう?」


 今しがた、俺はご本人の口からそのようにお聞きしましたよ。


「あんた、俺の心配事を増やしてくれるなよ?」


「何の話ですか」


 このままでは妙な話しになりそうだと察した俺は、飯谷がそろそろ風呂から上がるころだと理由をつけて、早々に切り上げさせてもらうことにした。

 廊下に出て来た道を戻る途中、庭の明かりのない灯篭がちらりと視界に入る。


 その傍らに、おかっぱ頭の赤い着物の少女の後ろ姿が。


 息が止まった。 なぜ“あれ”がここにいる。

 まだだ、まだだと言ったはずなのに。


 すると、その後ろ姿がぬっと縦に長く伸びた。

 いや、伸びたのではなく立ち上がったのだ。

 そして月明かりの下で見えにくかったそのシルエットが、少女ではなく女性のものであることがわかった。 真っ赤なパジャマに身を包んだ、ショートボブの彼女が、くるりとこちらを向く。


「あ、センパイ」


 大きく伸ばした手をぶんぶんと振る。


「三田さん、こんなところで何してるんだ」


 努めて平常心でそう言ったが、内心は激しい動機と背筋を伝う汗で気分が悪い。


「池を見てたんですぅ。 お月様が映ってとってもキレイ!」


 これこれ、というように水面を指差す。

 そこには鏡のような水面に映る月が見えた。

 

「寺野さんは?」


 話を逸らすように俺が訊くと、三田ちゃんは唇をへの字に曲げた。


「マキちゃんはいいんです。 いまは私がセンパイとおしゃべりしてるんです」


 なにかあったのかい? とはさすがに訊けず、俺は苦笑して縁側にしゃがみ込んだ。

 すたすたと歩いてきた三田ちゃんが、俺の隣に腰かける。


「寒くないの?」


 パジャマ姿の三田ちゃんが心配になってそう訊くと「ちょっとだけ」と返事が返ってくる。


「月が綺麗ですねぇ」


 彼女の見上げた先に、月が煌々と銀の光を放っていた。


「星も結構見えるものだね」


 都会というほどでもないが、田舎でもないこの町でも、夜空に散らばる星々がよく見える。

 そういえば、夜空を見上げるなんてことをしたのは、いつ以来だろうか。


「結局、作戦会議しないまま遊んじゃいましたね」


「いいんじゃないか、飯谷の親睦会作戦は成功したようだし」


「センパイも楽しかったですか?」


「ああ、うん」


 それきり、二人で黙ったまま夜空を見上げていた。

 しばらくして三田ちゃんが立ち上がる。


「じゃあセンパイ、明日は早起きしなきゃなので、もう寝ますね」


 そう言い残して、ててて、と庭を駆けていく。


「さてと」


 姿が消えるまで見送ったあと、呟いて俺も縁側から立ち上がる。

 振り返ろうとして、嫌な空気を背後に感じた。

 今いる月明かりの差し込む場所のすぐ後ろは、庇の影が出来ていて薄い闇だ。

 その明暗を境目にして、ひどく冷たい空気が背後を流れているのを感じた。

 背中にかいた汗が急速に冷やされて背筋に緊張が走る。


 俺は迷わずに庭に下りた。

 振り返らず、一歩ずつ慎重に足を進める。 背後にへばりつくように感じていた嫌な空気から確実に遠ざかっているのを感じて、少しだけ安堵した。

 振り返ればそこに居るかもしれないし、居ないかもしれない。

 どちらか確かめたいという衝動に駆られるが、それを無理やりに押し込める。


“いいか悟、絶対に目を合わせるな。 教えた以外の返事もするな。 お前は居ない。 まだ居ないんだ”


 あの人に言われた言葉が耳の奥で蘇ってきた。

 そうだ。どちらでも同じなのだ。 “あれ”が居るか居ないかが問題なのではなく、俺が“あれ”にとって居ないものであることが重要なのだから。

 言い聞かせるように、胸に手を当てて静かに息をしながら進む。

 

 じゃり。


 地面の小石を踏む音が、すぐ真後ろで聞こえた。

 反射的に立ち止まり、じっと息を殺した。

 目を閉じて、耳に神経を集中する。 自分の鼓動が、どんどん大きく膨れ上がっていくのがわかった。


 じゃり。 じゃり。


 不規則な足音が俺の周囲を回る。 時々、立ち止まってはまた回りだす。

 俺はぎゅっと目をつむり、ただじっとそれが居なくなるのを待つ。

 途方もなく長い時間に感じられるこの一時が、ただ過ぎ去るのを待ち続けた。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ