鹿児島県鹿児島市。ロシア料理店のあさりラーメンとピロシキ。
その夜、タスッタさんはすでに相応に飲食をしたあとだった。
鹿児島にも繁華街は存在しており、居酒屋を二軒ほどハシゴして、飲食のうち「飲む」方を重点的に攻めてきた直後なのだ。
時刻はそろそろ午後十時にさしかかろうというところで、あとは宿泊先のビジネスホテルに帰って寝るばかりである。
そんな感じホテルへの道のりを歩いていたところ、ふとタスッタさんの視界の中に、気になる文字が入ってきた。
「あさり、ラーメン?」
タスッタさんは、看板に書かれていた文字を小声で声に出して呟く。
ラーメンとはいわず、料理を作るときに魚介類で出汁をとること自体は珍しくはない。
だから、そういうラーメンがあったとしても、決しておかしくはない。
だが、あまり一般的な調理法ではないことも確かであろう。
少なくともタスッタさんは、このあさりラーメンとかいうものについてこれまで実物はおろか、噂さえ聞いたことがなかった。
ではひとつ、早速試してみよう。
と、即座にそう結論した、タスッタさんであった。
その看板に近寄ってよくよく確認してみると、そのお店はラーメン屋でも中華料理店でもなく、ロシア料理店であった。
なぜロシア料理店で、あさりラーメンを。
疑問に思いながらも、タスッタさんはそのお店の中に入る。
お店の中に足を踏み入れた途端に目に入ってきたのは、棚一面に置かれたマトリョーシカだった。
ロシア料理店だから、マトリョーシカとかロシアに由来するものが置いてあるのはまだ理解できるのだが、その量が半端ではない。
壁際の棚をほとんど埋めつくす勢いで、大量のマトリョーシカが置いてある様子は、どこか異様でさえあった。
虚をつかれた形でタスッタさんが短い時間、ぼうっと立ち尽くしていると、
「お一人様ですか?」
と店員さんに声をかけられる。
お店はなかなかの入りで、座席の八割ほどがすでに埋まっていた。
店員さんに案内をされるままにカウンター席に座り、タスッタさんはとりあえずメニューを開く。
メニューに記載されている内容を確認して、タスッタさんはこのお店がロシア料理店であることを確認した。
少なくともちゃんとロシア料理らしい料理名が並んでいる。
もっとも、お客さんのほとんどは看板にも大書きされていたあさりラーメンを頼んでいるようであり、タスッタさんも頼むつもりであったが。
なんといっても、飲んだあとの締めとして食べるラーメンはおいしいですし。
健康には悪いのかもしれないが、それは気にしないことにする。
それ以外に、なにか。
タスッタさんはメニューにざっと目を走らせてから、他のお客さんも注文していたピロシキも頼むことにした。
このときのタスッタさんは小腹が空いていて、なにかお腹にたまるものを食べたかったのだ。
注文をしてからいくらもしないうちに、あさりラーメンとピロシキが出てくる。
あさりラーメンは具もほとんどないいたってシンプルなラーメンであり、ピロシキはラーメンのどんぶりの隣にあるからか、なんだか揚げ餃子のようにも見えた。
ではさっそく、と、タスッタさんはまずレンゲを手にとってラーメンのスープを飲んでみる。
あさりだ。
と、一口ですぐに感じることができるわかりやすい、澄んだ味であった。
飲酒をした直後のタスッタさんの体に、じんわりとあさりのエキスが染みて来るような錯覚さえ、おぼえた。
これは、いいですね。
と、タスッタさんは、思ってしまう。
このスープだけでも、かなりの満足感がある。
シンプルであるがゆえに、揺るぎようがないうまさだった。
今度は箸をとって、麺といっしょに啜ってみる。
麺自体はなんの特徴もない中華麺であったが、このスープといっしょにいただくとなんだかとても奥が深い料理のように感じてしまう。
変に奇を衒ったところがないのが、かえっていいんでしょうね。
と、タスッタさんはそう思った。
あまり凝ったことをせずに、素直にあさりという素材のよさを引き出している。
ジャンクな料理という印象が強いラーメンも、こうして澄んだスープで調理されるとなんだか上品で健康によさそうな料理であるかのように錯覚をしてしまう。
続いてタスッタさんは、冷めないうちにとピロシキに手をつけた。
こちらの方は揚げ物なので、根本的に油脂分が多い料理になるわけだが、もっちりとした皮の部分と意外に多かった中身の餡のバランスがよく、予想した以上においしい。
どちらもかなり研究して作りあげたのではないかな、と、タスッタさんはそんなことを思う。
ただ、この組み合わせだと、ウォッカよりは老酒かなにかの方が似合いそうだな、とも思ったが。
ロシア料理店なんですよね、ここ。
そう思ったタスッタさんは、さり気なく店内をぐるりと見渡す。
客さんたちは大半、地元の馴染み客であるらしく、それぞれにリラックスをした様子で歓談をしていた。
どうやら常連客であるらしい彼らにしてみれば、このお店がロシア料理店であるか中華料理店であるかはまるで関係がなく、行きつけの気軽に入れるお店であるから、こうして来ているのでしょうね。
と、タスッタさんはそんな風に納得をする。
地元の常連客に愛されているお店というのは、独特の雰囲気と風格を備えているものなのだ。
さて、と。
タスッタさんは改めて料理にむき直る。
これも、早くいただいて、明日に備えますか。
これからホテルに帰っても寝るだけなのだが、せっかくの料理が冷める前にいただいておくことに越したことはない。
タスッタさんは箸を持ってあさりラーメンを再度啜りはじめた。




