広島県廿日市。牡蠣専門店の定食とワイン。
その日、タスッタさんは広島の宮島に来ていた。
この季節の広島といったら、やはり牡蠣でしょう、ということで、タスッタさんには珍しく、事前にネットで情報を収集した上で無難なお店に予約を入れている。
観光地ということもあり、よさそうなお店で食べそこなうことを警戒したのだった。
宮島橋から少しいったところにあるお店は、かなり老舗の牡蠣専門店であるそうだが、パッとみた感じだとお洒落な内装によってまとめられた店内は、まだ真新しそうに見えた。
新築なのか、それとも最近に改装したのか、どちらなのかまでは判然としなかったが、いずれにせよ小綺麗で女性受けしそうな雰囲気ではある。
まあ、観光地ですしね、と、タスッタさんは思い、出迎えた店員にむかって予約を取っていることを告げる。
また正午まで少し間がある時間だったせいか、お客さんの入りもまばらな感じだった。
席まで案内をされながら、タスッタさんは、
「これなら、予約を入れるまでもなかったかな」
とか、思う。
飲食店におけるお客さんの入り具合を正確に予測することは難しい。
一介の客でしかないタスッタさんでさえそうなのだから、実際に経営をしている人たちにとってはもっと予測することが不可能なのだろうな、とも、思った。
勾配の急な階段を登り、窓からの眺めが素敵な席へと案内をされる。
店員さんが、定食をご予約でしたよねと確認をしながら、お飲物はなににいたしましょうかと尋ねてきた。
これはつまり、飲み物もなにか注文して欲しいということですよね、と、タスッタさんは思い、店員さんに差し出された飲み物用のメニューを開く。
そこには、ソフトドリンク類と並んで、意外と多種多様なワインがずらりと並んでいた。
なるほど、このお店はワインの品揃えがいいわけですか、とタスッタさんは思い、店員さんに牡蠣と相性を確認した上で、白のグラスワインを注文する。
グラスワインをちびちびと舐めているうちに、予約していた料理が届いた。
名称では定食になっていたが、実質的は牡蠣料理ばかりが並んだ、小規模なコース料理となっている。
一品あたりの量が少ないので、フルコースと称するのには語弊があるのかもしれないが、一度にいろいろな牡蠣料理が楽しめるのはお得に感じた。
まずは冷める前に、と、タスッタさんは殻つきのままでじゅうじゅうと音を立ている焼き牡蠣に箸をつける。
素手で焼けた殻を押さえると火傷をするので、滑り止めがついた軍手を渡されていた。
その軍手を左手につけ、殻を固定した上で熱々の牡蠣を頂く。
調味料はなにもつけない状態であったが、はふはふいいながら熱い牡蠣を噛み、嚥下すると、確かに牡蠣特有の旨みと食感を感じる。
牡蠣だ。
ああ、牡蠣だ牡蠣だ。
これこそが、牡蠣だ。
とか思いながら、タスッタさんは心の中でぶんぶんと首を縦に振る。
熱い牡蠣が食道を通っていくのを感じながら、タスッタさんは、確かな満足をおぼえていた。
焼き牡蠣をひとつ頂いたところで、タスッタさんは椀物に手を延ばした。
当然その具も牡蠣であり、お椀の中身は牡蠣の赤出しになっている。
牡蠣自体の風味を損なわないようにという配慮からか、あまり味が濃くなく、上品な味つけになっていた。
うん、これはこれで。
タスッタさんは心の中で頷く。
単品として頂いていたら、おそらくその上品さゆえに多少の物足りなさを感じていたのかも知れないが、この中の一品としては、この控え目さ加減でちょうどいいのかも知れない。
続いて、牡蠣めしに箸をつける。
炊き込み御飯の一種になるわけだが、これもやっぱり牡蠣だった。
一口、口に含んだ途端に、ふわんと牡蠣の風味が鼻腔に届く。
十分においしいのだけど、量が少なすぎるかな、と、タスッタさんは思う。
続いて、牡蠣フライ。
これも、牡蠣自体が小振りなものであったせいか、どうにも期待外れに思えた。
衣を噛んだ途端に溢れる、いかにも牡蠣らしいミルキーさがあまり感じられない。
これなら、東京の洋食屋さんなんかでも、もっとおいしい牡蠣フライを出すお店がいくらでもあるような気がする。
牡蠣のオイル漬けというものも試して見たが、やはりタスッタさんはこれにもあまり満足しなかった。
決して、美味しくないということではなかったのだが、これだったら生牡蠣のまま食べた方がよかったんじゃないかな、という疑問が最後まで消えなかったのだ。
途中、ワインで口をすすいだり、香の物に箸をつけたりしながら、タスッタさんは牡蠣料理を一通りいただき、最後にもうひとつ残っていた焼き牡蠣に箸をつける。
結局、最初に食べたこれが一番おいしいように思えたな。
そんなことを考えながら、タスッタさんは少し冷めかけた焼き牡蠣を口の中にいれて嚥下して、グラスに残っていたワインを一息に飲み干す。
観光地のお店ならば、こんなものなのかなあ、と、タスッタさんは思った。
そして、お料理の量だけではなく、どこか空漠とした物足りなさを感じる。




