東京都八王子市。標高五百メートルのビアガーデン。
その日、タスッタさんは京王線高尾山口駅から少し歩いてケーブルカーの清滝駅まで移動して乗り換え、そこから高尾山駅まで移動してから下車をした。
ハイキングコースがあることから軽視されることもあるようだが、高尾山も立派な山であり、本来ならば決して侮れるような場所ではない。
実際、タスッタさんもこの日は動きやすい服装をし、足元はトレッキングシューズで固めている。
ケーブルカーの高尾山駅からしばらく歩いて行くと、かなり長い行列が見えた。
平日とはいえ夏休みの最中でもあり、家族連れも含めてざっと百人以上はいるようだった。
どちらかというと普段はこうした行列を避ける傾向があるタスッタさんも、特に慌てることなくその行列の最後に着き、おとなしく整理券を受け取る。
タスッタさんが慌てなかったのは、目的地であるビヤホールのキャパが六百人という大人数を受け入れられることを知っていたからだ。
今、この場に行列してる人々がすべてそのビヤホールに入ったとしても、まだまだ満席にはならないだろう。
時刻は三時少し前。
盆を過ぎて八月も後半に入ったこの日、まだまだ日差しもきつく、空気はむせるような熱気と湿気を含んでいる。
鬱蒼と生い茂った木陰の下に入ると若干の涼を取れるのがまだしもの救いであった。
そのビアホールは三時から開店だった。
整理券を受け取ってから行列から離れた人々が、ビアホールの入口付近で適当にバラけてくつろいでいる。
そのうち、整理券の番号が呼ばれるようになり、周囲にたむろしていた人々が一人とか数名ずつビアホールの中に吸い込まれていった。
ほどなくしてタスッタさんが受け取った整理券の番号もアナウンスされて、タスッタさんはビアホールの入り口へと移動する。
そこで料金と引き換えに入場券を受け取り、その入場券に時刻が刻印される。
このビヤホールは二時間飲み放題食べ放題のシステムを採用しており、このスタンプの時刻を一分でも越えたら出口で追加徴収をされるという。
ちなみに料金はタスッタさんのような女性の場合、三千三百円であった。
眺めの展望台で散々飲食した上でこの料金なわけだから、かなり良心的な値段なのではないかな。
とか、タスッタさんは思う。
まだ早い時間であったこともあり、なかなか眺めのいい席を確保することが出来た。
真っ青な空と複雑な陰影を含んだ入道雲が浮かんでいて、目線を下に転じればどこまでも続いていく高尾山の木々が目に入る。
むっとくる夏場の空気が肌を包んでいるあたりはあれであったが、なかなかの絶景であった。
手荷物をそこに置いた上で、タスッタさんはその足で飲食物を取りに行く。
お酒類とソフトドリンク、それに料理はかなり種類が豊富で、それこそ目移りがするほどだ。
まず最初の一杯は、ビールでしょう。
とタスッタさんは思い、何種類かあるビールの中からフローズンビールを選択した。
これはキンキンを通り越して泡が半ば凍っているところまで冷やされているビールだそうだ。
ビールに合うオツマミということで、タスッタさんは第一弾のお料理として串カツ、唐揚げ、餃子をそれぞれ少量ずつお皿に持ってトレイに乗せて、自分の席に戻った。
まずはフローズンビールのジョッキを傾ける。
ほんの一口だけ飲むつもりであったが、あまりの冷たさとおいしさにごくごくと喉を鳴らしてかなり飲んでしまった。
「はぁ」
ようやくジョッキから口を離したタスッタさんは大きく息をつき、それからお皿の上に手を伸ばして串かつを取った。
衣はさくさく、中は熱々。
ああ、揚げ物は、やはりビールによく合う。
とか思いながら、タスッタさんはまたジョッキを傾けてフローズンビールをほんの少し飲んだ。
暑い中、昼間っから飲む冷たいビール。
おいしいオツマミ。
今度は箸を手にして唐揚げをいただく。
これも、熱々でおいしい。
まだ開店したばかりということもあるのだろうが、ここの場合はお客さんの人数も多いからお料理が冷める間もなく綺麗になくなっていく。
だから、いつもできたてなんだろうな、と、タスッタさんはほろ酔いの頭のなかでぼんやりとそんなことを思った。
餃子を食べながらジョッキに残っていたフローズンビールを一気に飲み干し、タスッタさんはゆっくりと周囲を見渡す。
ビアホールでありながらも家族連れが多いのは、ソフトドリンクやお菓子、デザート類も豊富で子どもでも十分に楽しめるからだろうな、とか、そんなことを思った。
大勢の子供達が集まっている場所がいくつかあり、タスッタさんは見るとはなしにそちらの方を眺めていく。
ああ、あそこにあるのはわた飴の機械。
自分で巻きつけることができるのか。
それは、お子様ならば何度でも挑戦してみたくなりますね。
あそこにあるのは、チョコレート・ファウンテン。
溶かしたチョコがだーっと流れ落ちていて、そこにマシュマロなどをつけて食べる例のアレだった。
あ、あれいいなあ。
とか、タスッタさんは考える。
タスッタさんはお酒も飲むが、甘いものも好物なのである。
あとで、いや、すぐにでもいくことにしよう。
それから、むむ。
あそこにあるのは、どうやら食べ物ではないらしい。
子どもが大勢集まっているようだが。
どうせ食べ物を取りに行くことだし、と、タスッタさんは席を立ってその場所へとむかう。
底の浅い水槽の上に、カラフルなシリコン製のボールがいっぱい浮かべられている。
これでなにをするのかと不審に思っていたら、モナカを針金で固定したものでそのボールを掬うというゲームだった。
金魚掬いならぬボール掬いである。
他にも、水の入った風船をテッシュのこよりの先につけた釣り針で引きあげる、風船釣りもあった。
どうやら、夏休みということで子供向けのサービスとして実施しているらしい。
ちなみに、無料で何度でも挑戦できるようだった。
まあ、このサービスの原価とかを想像すると、それでも十分なような気もするが。
これまで縁日的な文化にまるで縁がなかったタスッタさんは、しばらく子どもたちが挑戦するのを眺めたあと、自分でも挑戦してみる。
なんどか挑んだ末、服を濡らしながらもタスッタさんはシリコンボールを五個と水風船一個をゲットした。
取ったはいいけど、なにに使えばいいんでしょうね、これ。
とか首をひねりながら、タスッタさんは帰りがけにかき氷機がある場所へとむかう。
まだまだ暑かったので、なにか冷たいものが欲しかった。
見るとかき氷の上にお酒やカクテルを掛けている人が大勢いたので、タスッタさんもそれに習ってかき氷だけを貰ってその器を手にお酒が置いてある場所まで移動し、そこでモヒートを氷の上に注いでから自分の席に戻った。
不意に増えた荷物を置いてからモヒート味のかき氷をゆっくりといただく。
あまり早く食べ過ぎても頭が痛くなるし、ゆっくりと食べ過ぎても氷が溶ける。
真夏日のかき氷は、食べる速度の加減が難しい。
かき氷をたいらげて涼を取ったあと、タスッタさんは先ほど目をつけていたチョコレート・ファウンテンへとむかった。
タスッタさんはチョコもマシュマロも好きだった。
マシュマロにたっぷりとチョコを絡ませてからお酒のコーナーに立ち寄り、ハードシードルというお酒を貰ってくる。
耳慣れない種類のお酒であったが、聞くところによるとビールのような発泡性の果実酒だということだった。
果実酒、ということは、どちらかというと甘口なのではないかな、と、タスッタさんは想像する。
だとすれば、チョコの苦味とは相性がいいような気がした。
実際に口にしてみたハードシードルは、ハードという名前の割にはアルコール度数があまり強くないみたいで、せいぜいビール程度かな。
それで、飲んだあとの後味が、やはり果実っぽい甘みを含んでいる。
想像した通り、チョコと相性がよかった。
制限時間までまだまだ間があったが、ビールっぽいものばかり飲んできたせいか、そろそろお腹が膨れてきた気がする。
周囲のお客さんの会話を聞くとはなしに聞き流していると、どうもここは麺類もかなりおいしいらしい。
なんでもほとんど自家製麺だそうだ。
生パスタとかラーメンの評判がよさそうだった。
さて次は、パスタかラーメンか、どちらにいきましょうか。
とか、タスッタさんは考えはじめる。
現在のお腹の具合から考えてみると、その両方を一度に食べることは出来そうもない。
悩ましいところであった。
まだまだ日が長い時期であり、この時の日も高い位置にある。
タスッタさんは、いつまでも結論を付けることが出来ずに悩んでいた。