東京都千代田区。専門店の欧風カレー。
雨の中、タスッタさんは古書店の街、神保町に来ていた。
古書店の街とはいっても今では閉店した店も多く、往時ほどの賑わいはないとも聞いている。
それでも、まだ靖国通り沿いの一角にはかなりの数の古書店が並んでいた。
タスッタさんとしてはこれまでいわゆる全国的にチェーン展開をしているような新古書店しか利用したことがなく、それぞれに違った品揃えの、楽譜や演劇関係など特定のジャンルに特化したような個人商店の古書店が数十軒も間近に集中しているのが珍しく、なにを買うでもなく数件のお店をしばらく冷やかして回った。
そうした古書店からは趣がある印象受け、明るく清潔な印象の古書店とはまるで違った種類のお店のように思える。
この違いはなんだろうなあ、とか考えつつ散策を続けるうちに、何軒かの古書店がテナントとして入っているビルの二階で、丸くて赤い看板を見かけた。
「欧州カレーとエスプレッソコーヒーの店、か」
タスッタさんは小さな声でそう呟き、ちょうど昼前の時間であったので、そこに入ることにする。
雨だからか平日だったからか、店内は空いているようだった。
タスッタさんが入るとすぐに店員さんが来て、禁煙席と喫煙席のどちらを希望するのか確認されたあと、カウンター席に案内された。
席に着いたタスッタさんはいつものようにまずメニューを確認する。
専門店だからカレーの種類も多かったが、やはり専門店だからかカレーにしては値段設定が高いようにも感じた。
タスッタさんが漠然と想定する値段の倍近くする。
でも、きっとその分、手間をかけておいしくしあげているのだろうな、と、タスッタさんは考える。
これだけの値段なのだからきっと同じ外食のカレーでも、レトルトをそのまま温めて出すようなお店のものとは違うはずだ。
メニューに書かれた物の中ではチーズカレーなども興味を惹かれたが、まず最初ということもあり、ここはオーソドックスなビーフカレーを注文する。
注文を通してからいくらもしないうちに、なぜか注文をしていないじゃがいもを茹でたものがいくつか、小皿に乗った状態で出された。
皮も剥いていない状態のものが二個、湯気を立ててそのままごろんと皿の上に乗せられている。
バターらしき塊も、同じ皿の上に添えられている。
「……じゃがいもは頼んでいないのですが」
少し呆気にとられながら、タスッタさんは店員さんに確認をした。
「いえ、これもメニューの一部なっております」
「どのように食べればいいのでしょうか?」
「そのままバターをつけて食べてもよろしいですし、あとで来るカレーの中に入れてもよろしいかと」
「そうですか」
多少、疑問に思いながらもタスッタさんは頷く。
カレーの中にじゃがいもを入れたほうがいいかどうか、論争になることも多いようだが、きっとこれはそうした「カレーにはじゃがいも不要論者」の人々に配慮をした結果なのだろう。
無理にでも、そう思うことにした。
タスッタさんがアツアツのじゃがいもの皮を指で剥いたりバターをつけたりして食べているうちに次々とお客さんが入ってきて、あまり広くない店内はあっという間に満席になってしまう。
ふと入り口の方を見てみると、それでも入りきれなかった人たちが列を作って待っているようだった。
どうやらこのお店は、タスッタさんが想像していた以上に繁盛しているようだ。
バターをつけたじゃがいもは、あつあつのせいもあって想像していた以上においしかった。
でも正直、カレーのお店に来てまで食べるものではないな、という気もする。
じゃがバターを食べ終わってか、さらにしばらく待たされる。
これまでの経験からすぐに来るものと予想していたタスッタさんとしては、ここまで待たされるのが意外だった。
ルーを温めるだけなのではないか、とか、思わないでもなかったが、タスッタさん以外のお客さんたちも注文を通してからかなり長く待たされている様子であり、それでいて誰もそのことについて店員さんに文句をいう様子もない。
ということは、やはりこのお店ではこれが普通のことなのでしょうね、と、タスッタさんは無理にでも自分自身を納得させる。
店員さんに注文を通してから二十分以上経った頃、ようやく注文をしたビーフカレーが出てきた。
ライスとルーを別々の容器で出すタイプで、ライスの上にはチーズらしき物体が散らされており、ルーの中にはかなり大きめの角切り肉がごろんという感じで入っている。
待たされたせいか、香りも、これまでにタスッタさんが食べてきたカレーよりは強いように感じた。
タスッタさんは早速ルーをライスの上にかけて、食べてみる。
おいしいといえば、おいしい。
ちゃんとスパイシーで、香りも高い。
ただ、想像をしたよりも辛くはなかった。
辛味よりも、旨味と甘味が強いような気がする。
おいしいことはおいしいけど、タスッタさんがカレーに求めるおいしさとは、方向性が微妙にズレてるような。
それに、うん。
お肉が、硬い。
硬いんだけど、噛むと口の中ではらはらと分解していく。
あまり、お肉自体の味はしなかった。
これは、お肉のうまみがルーの方に出ていったあとと解釈すればいいのかな。
ルーの熱で溶けたチーズとライス、それにルーが一緒になった味わいは、確かにこれまでにタスッタさんが食べてきたカレーにはないものだった。
おいしいことはおいしいんだけど。
とか、タスッタさんは思ってしまう。
待たされて期待があがった分を越えるほどのおいしさではないのかなあ、と。
注文をしてから十分以内に出てくれば、また違った印象を持ったのかもしれないが。
正直なところをいうと、この分だとインド人とかネパール人の人たちが経営しているようなお店で出すカレーの方が、タスッタさんの好みではあった。
あちらの方がちゃんとスパイスの味と香りが楽しめるし、なによりも値段が安い。
ただ、大多数の日本人の人たちが想像するオーソドックスなカレーに近いのは、こちらの方なのかも知れないな、と、異邦人であるタスッタさんは思ってしまう。
欧州カレーとは、つまるところそれだけ、日本人にとって無難な内容のカレーなのだろうな、と。
カレーとは、ラーメンと並んで多種多様な種類がある。
それだけに、人により好みも別れるところなのだろうが、このお店のカレーはあまりタスッタさんの好むところではなかった。
値段と待たされた分、印象が悪くなっていることは否定出来ないのだが。
ビーフカレーを食べ終わったあと、タスッタさんはすぐに会計を済ませてそのお店をあとにする。
店の前にはかなり長い行列が出来ていて、タスッタさんはその人気ぶりに改めて驚かされた。
賃貸ビルの中にテナントとして入っている、つまりそれだけ外から見つけにくいお店なのに、これだけのお客さんがついているとは。
案外、タスッタさんが知らないだけで、有名なお店なのかもしれない。
タスッタさんは早足にそのお店をあとにし、食後のコーヒーをどこで飲もうかな、などと考えている。
さっきのお店で頼まなかったのは、順番待ちをしているお客さんが多かったからだが、この神保町界隈には喫茶店やカフェが多いことを、タスッタさんは知っている。
さっきのお店ではなんとなく不完全燃焼だったから、今度はもっと満足がいくお店にあたるといいな、と、タスッタさんは思った。




